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説教要旨「いつも主イエス様を信じて生きる」使徒16章25~34節(新約268p)
1.試練の中でも主に信頼し続け、主を賛美したパウロたち(16~25)
使徒パウロがピリピという都市にいた時の事です。突然、占いの霊に取りつかれた女性がついて来て、パウロ達を困らせ続けます。ついに、パウロはイエス様のお名前によって占いの霊を女から追い出しました(16~18)。すると、この女の占いでもうけていた人たちからパウロは恨まれ、役人に訴えられます(19~21)。町の人々も反対したので、パウロとシラスは何度もムチ打たれ、牢に入れられました。そして厳重に番をするように命じられた看守は二人を奥の牢に入れ、足に足かせをかけます(22~24)。良い事をしたのに、かえって苦しい目に合わせられたパウロ達。しかし獄に入れられたにもかかわらず、25節。「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた」。二人は苦難の中でも神に信頼していたのです。
2.人生の危機の中で受け取られた神の祝福(26~34)
すると26節。「すると突然、大きな地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまった。」。そして27節。「目を覚ました看守は、牢の扉が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした」のです。ローマ法によると、囚人の脱獄を許した看守は、その囚人に課せられていたのと同じ刑に服することになっていました。看守の人生は突然の地震で一転。不当な法により死に直面させられ、いざ、その死に直面した時、その死の先には何の希望もなかったのです。
しかし、そんな看守の所に希望の声が聞こえたのです。「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」(28)とパウロは叫びます。まさか、と思ったでしょう。けれども、その声の通りでした。牢屋の扉が開いているのに、囚人は一人も逃げ出さなかったのです。まさに奇跡です。看守の命は救われたのです。看守は、この突然の地震というハプニングを通して、人生の土台を揺り動かされました。そして、死に直面した時、その先に何の希望も救いも無い事を知ったのです。
それは同じく、死ぬかも知れない状況に置かれてもなお、神に信頼して祈り、神に賛美を捧げ続ける二人の囚人パウロとシラスとは全く違う自分でした。そして看守は、この時、魂の目が覚めて、ひれ伏して二人に「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか」(30)と尋ねます。二人は「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(31)と伝えます。
ローマ帝国において、主はローマ皇帝だと思われていたようです。救い主はローマ皇帝であり、平和を与え、命を守ってくれるのはローマ帝国だと思われていました。その様に信じていた人たちにとってローマ皇帝は神であり、神の子でありました。けれども大地震を通して、看守は、そのローマ皇帝の支配下にあるローマ帝国の命令が自分に死を迫り、そして、ローマ帝国はその死の先にある絶望、滅びに対して何の力もない事を知ったのです。しかし、今や本当の救い主イエス様を信じるように、と招かれたのです。二人の囚人を苛酷な環境で生かし、強め、喜びを与えているのは、この主イエス・キリスト様である事を知るのです。
さらに、パウロ達は福音宣教、主のみことばの伝道を続けます。32節。「そして、彼と彼の家にいる者全員に、主のことばを語った」。すると、33~34節。「看守はその夜、時を移さず二人を引き取り、打ち傷を洗った。そして、彼とその家の者全員が、すぐにバプテスマを受けた。それから二人を家に案内して、食事のもてなしをし、神を信じたことを全家族とともに心から喜んだ」(34)。なんと、看守とその家族が救われました!そこには大きな喜びがありました。
看守にやってきた突然の人生の危機。けれども、その危機さえも神様の御手の中にありました。それは看守とその家族が神の祝福を受け取り、救われるきっかけとなったのです。パウロとシラスの投獄、大地震さえも、神は益に変えられました。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ8・28)。主イエス様は私たちに、どんな時も、絶対絶命のピンチの時でも、希望を与え、絶望から救い、生きる力を与えてくださるお方です。
苦しい惨めな環境におかれても、主を信じる者に力と愛と喜びを与え、御業をなして下さるお方です。主イエス・キリストに信頼して、より頼むなら、人生の土台は決して揺り動かされる事はありません。「聖書はこう言っています。『この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。』」(ローマ10・11)。
(祈り)父なる神様。主が揺るがない人生の土台となって下さり、感謝致します。