2026年3月2日月曜日

3月1日(日)第一礼拝配信 「私を主イエス様のように変えて下さい」 ピリピ人への手紙2章5~12節(新約p396)

 

説教要旨私を主イエス様のように変えて下さいピリピ人への手紙2章5~12節(新約p396                 

ピリピ人への手紙は、使徒パウロが、ローマかエペソかカイザリヤにある獄中から送った手紙で、50年代後半~60年代初めに書かれたと言われています。パウロは、キリストのために、福音のために、投獄されていました。有罪判決が下れば、死刑も免れられない状況だったのです。そんなパウロをピリピの教会は気にかけ、支援をしていました。ピリピの教会は使徒パウロが開拓伝道した教会です(参照;使徒16640)。ピリピ人への手紙は、ピリピにある教会の兄弟姉妹に宛てられた手紙です。

 そして214節では教会に一致を勧めています。そして511節では一致の基盤はキリストであることを示しています。直前の2611節には、当時の讃美歌と思われるキリスト賛歌が記されています。教会の一致の唯一の基盤、基礎であるイエス・キリストについて歌われている賛美です。6~7,8~9,10~11と区切って読むと歌詞のようにも見えます。パウロはこのように、キリスト讃美歌を引用しつつ、「そういうわけですから」と続けます。12節。「こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。」

使徒パウロは、2111で、イエス・キリストの父なる神への御心への従順、十字架の死に至るまでへりくだり、従順であられたその従順を示します。その中で、教会の一致の基礎である、キリストの十字架の救いを示し、復活のキリストご自身を示しました。そして、キリストの模範を示し、互いに謙遜になり、キリストにあって一致するように勧めます。それは、神への従順の中にあります。使徒パウロがピリピの教会に行ける時にそうであったように、使徒パウロが不在である今も、より神に対して従順であるように、と教えます。そして、その神への従順の中で、「恐れおののいて」、つまり、神への聖なる畏敬の念をもって、謙遜に主に信頼して従い、「あなたがたの救い」の「達成に努めなさい」と命じます。「救い」とは「罪と滅びから神が救ってくださること」であり、「永遠の命の祝福」を意味する言葉です。また、「救い」には「健全な状態」の意味も含まれます。その「健全な状態」の中には教会の一致をも示しているとも言われます。となると各人がイエス様を信じて救われる、という事ともに、さらにはピリピ教会の中にあった「不健全な状態」、つまり「不一致」を、神への従順によって解決しなさい、という事も含まれると言えます。「達成に努める」という言葉は「働く、努力する」というニュアンスがあり、「働いて得る」という意味もあります。もちろん、罪びとの救いは、律法を行う事によってではなく、キリストを信じる信仰によるもので、ただ神の恵みです。しかし、様々な誘惑や試練の中でも、神を信じ、キリストを信じ、その信仰を続け、信仰者として成長し、成熟し、神の御心に沿った愛の実を結んでいくために、健全なクリスチャンにふさわしい生活のために神にとどまり続ける信仰の忍耐、神に信頼し従い続ける忍耐が必要となってきます。信仰を、この世で、全うしていくことが必要なのです。そこには忍耐が必要となり、神と神への御言葉への信仰の継続が必要です。信仰のレースを全うするために、キリストの励まし、指導の御言葉を聴きながら、信頼して従っていく事が必要です。先導されるのはイエス・キリストです(へブル1214)。

 一方で、イエス様によって救われた者同士がつぶやきあったり、言い争ったりしているならば、それは互いの信仰生活を益しません。むしろ教会の共通基盤であるイエス・キリストへの信頼の中で、キリストにならいて、神に従順に従う中で、主にある愛をもって、互いに愛し合い、愛の一致を保っていく事の大切さをこのピリピ12節では教えているのです。そのようなきよい愛の生き方は、まさに神への従順なくしてはできない事であり、それはキリストを基礎とし信頼し、罪ゆるされ、義と認められ、神と和解したからこそ可能となってくる生き方です。キリストを信じて救われたからこそ、聖霊に助けられ導かれながら、そのキリストへの信仰、神への信仰、神の御言葉への信仰をを「働かせて」、罪への誘惑や迫害といったものをふりほどきつつ、神への信仰と従順をもって、愛の実を結び続けていく。そして天国に凱旋するという事です。愛によって働き出る信仰をもって、教会の兄弟姉妹が互いに愛し合う愛の一致を保っていく事を、パウロは勧めます。

主の御前に悔い改めるべきは悔い改めつつ、主と主のみことばへの信仰に立ち、キリストにならいて、神に従順に従い、御霊によって愛に生きるという事が、愛の一致を保ちます。   【祈り】主よ。私を主イエス様のように変えて下さい。アーメン。


2026年2月25日水曜日

2026年2月22日(日)「主にあって愛し合い一つとなる教会」ヨハネの福音書17章1~5節(新約p219~)

 

説教要旨「主にあって愛し合い一つとなる教会」ヨハネの福音書17章1~5節(新約p219)                  

 1これらのことを話してから、イエスは目を天に向けて言われた。『父よ、時が来ました。子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。』とあります。「時」とは十字架の時です。「目を天に向けて」イエス様は父なる神への親しい信頼をもって、「父よ」と呼びかけて、祈られました。そして、地上生涯における最後の時、すなわち、十字架の上に上げられる時が来たことを知り、ご自分の命を棄てる事によって御父の栄光を現わす事ができるように、そのために、ご自分の受難の死がご自分の栄光を現わす機会となるように祈られました。

 2節。「あなたは子に、すべての人を支配する権威を下さいました。それは、あなたが下さったすべての人に、子が永遠のいのちを与えるためです。。父が子に人間の全ての主権をすでに与えたように、子に父が与えたすべての人に永遠のいのちを子が与えるため、そのために、父が子の栄光を現わしてください、との祈りです。主イエスの身代わりの死により、主イエスを信じる者は永遠の命の賜物が与えられる事となったのです。

 3節。「 永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。。ここで「知る」とは、「人物を特に霊的・人格的交わりによって知る事」です。ここでの「永遠のいのち」とは、唯一真の父なる神と御子イエス・キリストと霊的に人格的交わりによって知る事、知り続ける事を教えています。すなわちそれは、絶えず増大していく経験でもあります。この永遠の主との愛の交わりに私達を入れる為、主イエスは私たちの罪を身代わりに背負って死んでくださいました。

 4節。「わたしが行うようにと、あなたが与えてくださったわざを成し遂げて、わたしは地上であなたの栄光を現しました。。バックストン先生は「私たちもこの世を去るときに同じことを叫びたいのであれば、日々、主と共に歩み、一日の業をその日になし終えなければなりません。」と記しています。イエス様は父なる神様からの使命、仕事を果たすことによって、父なる神の栄光をあらわしたのです。イエス様の地上の全生涯は、神の愛の展開でした(ヨハネ3・16)この4節のお言葉は、すでに先取りして、受難が全うされた事を確信しておられるのです。まさに、「わたしはすでに世に勝ったのです」(16・33)という先取りの勝利宣言です。

 5節。「父よ、今、あなたご自身が御前でわたしの栄光を現してください。世界が始まる前に一緒に持っていたあの栄光を。。そして、今一度、父なる神に切に祈られる主イエス様。主イエスの祈りは、十字架の受難を通してお受けになる神の栄光の輝きを祈り求めています。主イエスがお求めになられた栄光とは、永遠の昔からお持ちである父なる神の傍ら(共にある)で持っているその栄光です。バックストン先生は次のように書いています。「主はほかの栄光をお求めになりません。ただ父と交わることのみをお求めになります。」。24節でも、「父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。」とあります。バックストン先生は、「その栄光は父の愛でした。主はその栄光をお求めになります。主は決してほかの栄光、ほかの権力をお求めにはなりません。ただ父の愛をお求めになりました。それは主の栄光でした。それはまた私たちの栄光です。私たちはそれを求めますか。私たちの栄光は、父に愛されることです。父の愛を経験することです。神はだれをも愛してくださいます。けれども、だれもがみな神の愛を経験するわけではありません。私たちの栄光は、ほかのことではありません。父の愛を経験することです。これは、世にいる間の最上の恵みです。私たちはたびたび伝道の力を求めます。心の喜びや楽しみを求めます。さまざまな成功を求めます。けれども、これらのことは真の栄光ではありません。私たちが求めるべき栄光は、ただ父の愛のみです。」。そして、11節。「…聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。」。全ての教会を愛し守り養い導いておられる主に全幅の信頼をもってお従いしましょう。神様の御心はクリスチャンたちが、主にあって一つとなって愛し合う事です。天国はそういう所です。

(祈り)天の父なる神様。あなたは大切な独り子をお与えになり、十字架でお捨てになるほどに私たちを愛して永遠のいのちを与えて下さり感謝致します。それこそ、私たちの栄光です。あなたは全ての信仰者・教会を愛し、導き、守り、一つとされると信じます。どんな時でも、主に信頼しお従いします。アーメン。

2026年2月16日月曜日

2026年2月15日(日)説教要旨「主に導かれて福音宣教」使徒の働き16章6~10節(新約p267)




*回線不具合のため、この度は説教要旨のみとなります。申し訳ありません。


説教要旨「主に導かれて福音宣教」使徒の働き16章6~10節(新約p267)                   

クリスチャンたち教会を迫害した迫害者サウロはイエス様に出会って救われ、変えられました。その後、サウロ(別名パウロ)は多くの人に救い主イエス様の事を伝えるようになります。ある時、パウロはこれまでイエス様を伝えてきた人たちに会うために、彼らのところに行ってみようと思いました(36)。この決断が、思いがけない伝道旅行の始まりとなったのです。そこで、シラスという人と一緒に出発(1540)。アンティオケアというところを出発して、シリア地方、キリキヤ地方を通り、諸教会を励ましていきました(41)。さらに、デルベ、リステラという所に行って諸教会を励ましました(16・1~5)。

1.聖霊の導き(6~8)

それから彼らはアジアという今のトルコの西側地域を通りますが、そこでみことばを語ることを聖霊によって禁じられました。そこで、フリュギア・ガラテヤの地方を通って、そのアジア地域を通り抜けていきます。7節。こうして、アジアのミシアという地域に面した所まで、一気に進んでいきました。西側にはエーゲ海があります。そこで、北のビティニアという地方に進んで行こうとしたのですが、そこでもまた、イエス様の御霊がそれをお許しになりませんでした(8)。

2.主の御心を確認、確信して踏み出したパウロたち(9~10)

それでミシアを通って、エーゲ海に面した町トロアスに下ってそこで泊まりました。そして9節。ある夜、パウロは幻を見ました。ひとりのマケドニア人が彼の前に立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください。」とひたすらお願いするのでした。マケドニアは、エーゲ海の海を渡った向こう岸の地域でした。著者のルカは次のように書いています。10節。「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした」、と。ここで、「私たち」とありますが使徒の働きの著者ルカがここで旅に加わったようです。また当時、幻や夢は神が人間に意志を伝えるための手段として認められていました。主は様々な方法で受け手の人々にふさわしい仕方でご自身の御心をお示しになります。

そして、ルカは次のように記します。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである」(10節後半)とあります。この「確信した」は元来「結び合わす」という意味があり、9・22には「証明する」という意味で用いられています。この語はいろいろな証拠から一つの結論を引き出す事を表すのに使われます(小平徳行師)。この確信と結論に至るまでに、①パウロに与えられている異邦人伝道の使命があり、そして、②これまで、御霊に禁じられてきた事、そして、③今回の幻。それらのすべてが一つにつながったのです。そこで、パウロ達は、主の御心と確信して、エーゲ海を渡ります。主は、様々な形で御心をお示しになります。そして、それらは調和するのです。

神様は目には見えませんが生きておられます。神様は今も全ての人を愛して、救おうとしておられます。「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」(イザヤ4522。そして、クリスチャンに未信者を愛する心を与え、未信者の心のSOSを聴いて、救い主イエス様を伝えるように導かれます。パウロたちは聖書をよく学び、いつも祈りながら生活をしていました。ですからイエス様をよく信じて、イエス様の御心がよくわかりました。そしてすぐに従えました。神様に示されて「ただちに」伝道に行ったパウロ達。神様から止められたらしない。神様からするように導かれたら「ただちに」するパウロたち。私たちも聖書のお言葉を忠実に学び、また、いつもお祈りしながら、イエス様のみ言葉(聖書)、聖霊のお導きに、素直に、すぐに、的確に、お従いするクリスチャンにさらに成長させて頂きましょう。

また、もし、まだイエス様を信じていない人がいるなら、今、神はイエス様によってその人をイエス様への信仰へ導き救おうとしておられます。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒1631

さてパウロ達は主の導きを信じて、海を渡りリディアという方と出会い、彼女が救われます(161415)。しかし、その後、パウロ達は悪霊につかれた女性から悪霊を追い出した事がきっかけで迫害と投獄に遭いますが、その投獄先でも主に祈りつつ賛美を捧げて過ごします。その中で今度は地震が起こりますが、囚人が誰も逃げていないという奇跡的出来事を通して伝道の機会が生じ、看守と家族が救われます(163134)。その後、パウロたちは釈放されリディアの家に帰ります(3540)。こうして後のピリピ教会が誕生したのでした。

(祈り)主よ。私もパウロのようにイエス様の御心にすぐに従える人に成長させてください。救いを求める人々に主イエス様を伝えさせてください。アーメン。