説教要旨「主なる神を第一にする祝福された生涯」創世記26:23~25(旧約45頁)
1.神のみ言葉を信じて従う中にある主の祝福(26・1~12)
イサクの時代、その父アブラハムの時代にもあったのですが飢饉がありました(1)。そこでイサクは「ゲラル」という所に行きます。さらにイサクは父の時と同様エジプトに身を寄せようとしたようです。当時、飢饉の時には肥沃なエジプトに下るのが当時の常識だったようです。しかし唯一まことの神様はイサクに現われて仰せられます。「エジプトへは下ってはならない。わたしがあなたに告げる地に住みなさい。あなたはこの地に寄留しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福する。あなたとあなたの子孫に、わたしがこれらの国々をすべて与える。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たす」(2,3)。主のみ言葉通りにエジプトには下らず、イサクがその地に留まり、種を蒔くと、その年に百倍の収穫を見ます(12)(当時の農業では25~40倍でも豊作)。その理由は「主が彼を祝福された」(12)からでした。主と主のみ言葉に信頼して従う中に、試練の中でも、主の祝福を見ます。
2.神と共に、神に信頼して神を第一として生きる祝福の生涯(13~25)
こうしてイサクは非常に裕福になりました。しかし「ゲラル」のペリシテ人たちはイサクをねたみます(13~14)。それでペリシテ人はイサクの父アブラハムの時代に掘られた全ての井戸をふさぎます(15)。しかしイサクは戦争をせずにそこを去って「ゲラル」の谷間に天幕を張りそこに住みます(17)。イサクは井戸を再び掘りました。そして湧き水の出る井戸を見つけます(19)。どんなに財産があっても水がなければ生きていけません。水が必要です。本当に喜んだ事でしょう。ところが「ゲラル」の羊飼いたちは「この水はわれわれのものだ」と言って、イサクの羊飼いたちと争ったのです(20)。イサクは戦争をせずにその地を離れます。昔の井戸掘りですから機械もない中です。井戸掘りは20~40mも掘るという大事業だそうです。しかもめったと水が出るものではないそうです。そういう中でやっと水が出たのに奪われる。これは大きな試練です。もう一度同じような事がありました。しかしイサクは争わず、そこから移って他の井戸を掘ります。その井戸については争いがなかったのでその名をレホボテ(自由の地、広々とした地)と呼びました。レホボテはゲラルよりもさらに南に40キロのエジプトに近い場所。約束の地からはみ出たのかもしれません。だからでしょうか、イサクはそこから北東およそ30キロのイスラエルの最南端(参照;Ⅰサム3:20)、ベエル・シェバに上りました(23)。最南端ですからぎりぎり約束の地という所でしょう。そこはかつて父アブラハムが主の名によって祈った所でした(21・33)。試練の中で亡き父を慕い求めていたのかもしれません。
しかしその夜、主ご自身がイサクに現われて仰せられます。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに」(24)。父アブラハムを支え守り導き祝福して下さった主ご自身からの御声。イサクはどれほど心強く嬉しかった事でしょうか。イサクはそこに祭壇を築き主の御名によって祈ります。まず礼拝を捧げたのです。そして彼はそこに天幕(生活の拠点)を張り、イサクのしもべらはそこに井戸を掘りました(そこに長く住むという事の現れ)(25)。神第一の信仰生活です。主に信頼し第一にする生涯に導くために主は「ゲラル」での試練を許されたのでしょう。
イサクは主に信頼し従う中で神に祝福を受けました。その根底にあるのは、「アブラハムのゆえに」。主とアブラハムとの契約のゆえに、イサクは主に祝福されたのです。私たちもイエス・キリストの十字架の血による契約のゆえに、ただ神の恵みにより、イエス様を信じる信仰によって、「キリストにあって」神の祝福にあずかります(ローマ4・25~5・1、エペソ2・4~8、ヨハネ15・5、ガラテヤ3・14)。さて、イサクは試練の中で特に問題の無いレホボテに留まる事もできましたが、さらにベエル・シェバに上ってきた時、主が臨まれました。地味ですがそこに父亡き後、父アブラハムから継承した信仰が現われています。彼は誰に強制されたわけでもなく、神に従い自らを捧げます。それは主が共におられるという主の臨在の恵みの故でした。やがて敵対していた人達もイサクの祝福の歩みを見て、イサクと共に神がおられる事を認め(28)、彼の土地を認め、和平を結びます(28~31)。奇しくもかつて父もこの地で和平条約を締結(21・32)。ちょうどその日、掘っていた井戸から水が出たとの報告(32)。イサクは父と同じ試練を通して、神と共に生きる父と同じ信仰と祝福に導かれたのです。
【祈り】父なる神様。主を信じて従う祝福の生涯を歩ませて下さい。アーメン。
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