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説教要旨「苦難の中でも主と共に生きる幸いがある」マタイ2章13~23節(新約p3)
1.主への賛美と感謝(ルカ2章25~31節)
この聖書の箇所はクリスマスメッセージ(ルカ2・1~20)の続きです。羊飼いたちの礼拝後、生後40日目にはエルサレムにて、主の教えの通りに、幼子をささげます(22~24)。その時の出来事です。ここに主への賛美と感謝があります。
①
シメオンの賛美(25~31)
25節に「エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた」とあります。シメオンは神様から「主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられて」(26)いました。彼は聖霊に導かれて、神殿に連れてこられた幼子イエス様にお会いしました(27)。すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言います。「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。
私の目があなたの御救いを見たからです」(29~30)。シメオンの心は、たとい今、自分が死んでも、心安らかにこの世を去れる心となりました。それは、彼が神の御救いを見たからです。神の御救いとは主イエス様ご自身です。イエス様はイスラエルの救い主だけでなく、私たち異邦人の救い主でもあるのです(31~32)。
②
アンナの感謝(36~38)
さて、「アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた」(36~37)とあります。彼女は祈り深い、神に仕える敬虔な信仰者でした。彼女は短い夫婦生活の後、未亡人になるという喪失の悲しみを経験し、やもめとして過ごしました。そして84歳で救い主イエス様にお出会いしました。彼女は救い主イエス・キリスト様のゆえに「神に感謝をささげ」ました(38)。それは待ち望み続けた「エルサレムの贖い」をしてくださる方がイエス様だからです。さらに彼女はイエス様を人々に伝えたのです(38)。私達も苦難や悲しみを抱えていても、それでも、私たちを救い、救いを完成される、救い主イエス・キリストご自身を今、信じて仰ぎ、感謝、賛美致しましょう。
2.油断せずに主に聴き従う(マタイ2章13~23節)
マタイ2・1~12はクリスマス礼拝でご一緒に見ました。東方の博士たちを不思議な星が導いて、救い主である幼子イエスまで導きました。博士たちはイエス様を礼拝し、贈り物をささげました (11)。そのような、心温まる出来事の後、主の御使いから神の言葉がマリヤの夫ヨセフに与えられます。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています」(13) 。そこで、「ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、 ヘロデが死ぬまでそこにいた」(14~15)のです。一方、ヘロデ王はイエス様を殺そうとしていました(マタイ2・8、13、16)。しかし、博士たちは主に示しを受けてヘロデの所には戻りませんでした(12)。すると、「ヘロデは、…激しく怒った。そして人を遣わし、…ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。…」(16)のです。嬉しい喜びと感動のクリスマス直後の試練…。しかし主が守ります。そして再びエジプトにいるヨセフに主の御使いが現れました。「立って、幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。」(20)。ヨセフは主のお導きに従います。「そこで、ヨセフは立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。」(21)。このように従順に主に従い続けてきたヨセフでしたが、「アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れ」(22)ます。しかし、ヨセフはそのような恐れを抱く状況の中でも主に信頼し、祈りつつ、主の警告に従い(22)、ガリラヤ地方に退き、ナザレ村に行って住みます(22~23)。これらの出来事は父なる神様が事前に預言していた通りでした (15,17,23)。苦難を含めて、全ての事は全知全能の神様の計り知れない御摂理の御手の中にあるのです。その中で父なる神は、幼子イエス様の父として、神に信頼して聞き従い、神と共に歩むヨセフを用いられました。ヨセフは私たちの信仰の模範です。試練や苦難の中でさえも最善に守り導き、その中でも幸いを与える事のできる神を信じてお従いしましょう。この年末年始、主を信じ仰ぎ祈り、主に感謝しつつ、偶像礼拝等の罪は油断なく避けつつ過ごしましょう(Ⅰコリント10・13,14)。
(祈り)主なる神様。主に感謝しつつも、油断せず、この世の旅路を歩みます。アーメン。