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2025年 クリスマス諸集会のご案内

 

2026年1月4日日曜日

2026年1月4日(日)第一礼拝配信「キリストにあって互いに愛し合う教会」ヨハネの福音書15章12節(新約p216)

 

説教要旨「キリストにあって互いに愛し合う教会」ヨハネの福音1512節(新約p216

今朝は、主の年2026年の教会聖句を中心に「キリストにあって互いに愛し合う教会」について見ます。今日の個所は、主イエス様がいよいよ十字架におかかりになられる直前の告別説教です。14章では父なる神と御子イエス様に信頼し続なさいとの命令とその根拠について語られています。主イエス様に信頼する人はイエス様につながっている人です。1518節ではぶどうの木のたとえから、主イエス様につながり続けるようにとの命令、父なる神様と主イエス様とその弟子とその結実について教えています。その流れで912節に続きます。

 9節。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。」。父なる神がイエス様を愛する愛は、イエス様が私たちを愛する関係に現れています。イエス様はいつも父なる神様から無限の愛を頂き、いつも父なる神様との無限の愛の交わりの中に生きておられる。だからイエス様は私たちをご自身との愛の交わりの中に招きいれて下さる。父なる神が御子を愛し、その父と子の愛、神の愛の中に私たちも招き入れられています。その愛の中、すなわち、イエス様の中にあなたたがはとどまりなさい、と主イエス様は言われます。それほどの愛で愛して下さる!何とすばらしいことでしょうか!

 10節。「わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです」。主イエス様こそ弟子の模範です。無条件で全ての人はイエス様が身代わりに死ぬほどに愛されています。しかしその愛を信じないので、イエス様との愛の関係の中にとどまらない。神を信じ、また私を信じなさい、わたしの愛にとどまりなさい、と言われる言葉を信じない。そうするならば、どんなに愛されていても、その愛を受け取らない、わからない、信じられない、という事でしょう。

 神様がどんなにすばらしい救い主である神の独り子イエス様をお送りしても、どんなに無償の愛を提供しても、信じてもらえない、受け取ってもらえなければその愛のすばらしさを体験できず、その中に生きる事ができません。イエス様はイエス様を信じ続ける事を命じておられます。そして、イエス様とつながり続ける事、イエス様を信じてイエス様と一つでありつづける事を求めておられます。この事を遵守し続けるならば、イエス様の愛を受け取り、愛の実を結ぶようになるのです。そして、愛の実が結ばれるとそこには喜びの実が結ばれます。

たくさんの奇跡的な偉業を達成したとしても愛し合うことをしないならば、むなしいことになってしまうと思うのです。私たちが主イエス様に信頼し、主に祈りつつ、主のお言葉を信じて遵守していくなら、聖霊により愛の実が結ばれるように主イエス様は必ずして下さいます。そして、そこには喜びの実が結ばれます。

 11節。「わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました」。イエス様のように生きるために必要なもの、神様の愛、「イエス様の平安」(1427)と共に「イエス様の喜び」が私たちの中にあるようになり、喜びが満ち溢れるために、イエス様は、ここで、イエス様のご受難、十字架の死を前にして、この告別説教を切々と語られました。

イエス様を信じる人の心の中には聖霊様が働いておられます。ですから、御霊の実は愛、喜び、平安…と続きます(ガラテヤ5・22)。私たちは結局何が欲しいかと言えば喜びです。神はすべての人を愛し合う喜びに招いておられる。その喜びは永遠の喜びです。主は喜び合いたいのです!そして愛し合いたいのです。

 だからでしょうか、12節をご覧ください。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」とイエス様はお命じになられました。ここでの愛という言葉は両方ともギリシャ語で「アガペー」。この言葉は神の愛を表現する時によく用いられます。イエス様が弟子たちをアガペーの愛で愛したように、あなたがたはお互いをアガペーの愛でこれから互いに愛し合い続ける事、これが私の戒め、命令です、と言われるのです。

そのような愛は私たちの内から絞り出そうとしても出てきませんが、イエス様に信頼しつながる中で、主に祈り求めていく時、アガペーの愛が聖霊により私たちに注がれ、その愛をもって互いに愛し合えるように神はして下さるのです。

愛の冷えた世においても、主イエス様の愛の炎は燃え続けています。このお方が共にいて、つながってくださり、愛の炎を燃え立たせ、愛の実を結ばせて下さいます。なんと感謝な事でしょうか!

(祈り)主なる神様。イエス様を信じて、イエス様とつながって生きます。私をキリストの弟子として成長させ、聖霊による愛の実を結ばせて下さい。アーメン。


2025年12月27日土曜日

2025年12月28日(日)第一礼拝動画配信「苦難の中でも主と共に生きる幸いがある」 マタイの福音書2章13~23節(新約p3)

 

        ↗配信はこちらから

説教要旨「苦難の中でも主と共に生きる幸いがある」マタイ2章1323(新約p3

1.主への賛美と感謝(ルカ2章25~31)

 この聖書の箇所はクリスマスメッセージ(ルカ2120)の続きです。羊飼いたちの礼拝後、生後40日目にはエルサレムにて、主の教えの通りに、幼子をささげます(2224)。その時の出来事です。ここに主への賛美と感謝があります。

   シメオンの賛美(2531)

25節にエルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた」とあります。シメオンは神様から主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられて」(26)いました。彼は聖霊に導かれて、神殿に連れてこられた幼子イエス様にお会いしました(27)。すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言います。「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。 私の目があなたの御救いを見たからです」(2930)。シメオンの心は、たとい今、自分が死んでも、心安らかにこの世を去れる心となりました。それは、彼が神の御救いを見たからです。神の御救いとは主イエス様ご自身です。イエス様はイスラエルの救い主だけでなく、私たち異邦人の救い主でもあるのです(3132)

   アンナの感謝(3638)

さて、「アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた」(3637)とあります。彼女は祈り深い、神に仕える敬虔な信仰者でした。彼女は短い夫婦生活の後、未亡人になるという喪失の悲しみを経験し、やもめとして過ごしました。そして84歳で救い主イエス様にお出会いしました。彼女は救い主イエス・キリスト様のゆえに「神に感謝をささげ」ました(38)。それは待ち望み続けた「エルサレムの贖い」をしてくださる方がイエス様だからです。さらに彼女はイエス様を人々に伝えたのです(38)。私達も苦難や悲しみを抱えていても、それでも、私たちを救い、救いを完成される、救い主イエス・キリストご自身を今、信じて仰ぎ、感謝、賛美致しましょう。

2.油断せずに主に聴き従う(マタイ2章1323)

マタイ2112クリスマス礼拝でご一緒に見ました。東方の博士たちを不思議な星が導いて、救い主である幼子イエスまで導きました。博士たちはイエス様を礼拝し、贈り物をささげました (11)。そのような、心温まる出来事の後、主の御使いから神の言葉がマリヤの夫ヨセフに与えられます。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています」(13) 。そこで、「ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、 ヘロデが死ぬまでそこにいた」(1415)のです。一方、ヘロデ王はイエス様を殺そうとしていました(マタイ281316)。しかし、博士たちは主に示しを受けてヘロデの所には戻りませんでした(12)。すると、「ヘロデは、…激しく怒った。そして人を遣わし、…ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。…」(16)のです。嬉しい喜びと感動のクリスマス直後の試練…。しかし主が守ります。そして再びエジプトにいるヨセフに主の御使いが現れました。「立って、幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。」(20)。ヨセフは主のお導きに従います。「そこで、ヨセフは立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。」(21)このように従順に主に従い続けてきたヨセフでしたが、「アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れ」(22)ます。しかし、ヨセフはそのような恐れを抱く状況の中でも主に信頼し、祈りつつ、主の警告に従い(22)、ガリラヤ地方に退き、ナザレ村に行って住みます(2223)。これらの出来事は父なる神様が事前に預言していた通りでした (15,17,23)。苦難を含めて、全ての事は全知全能の神様の計り知れない御摂理の御手の中にあるのです。その中で父なる神は、幼子イエス様の父として、神に信頼して聞き従い、神と共に歩むヨセフを用いられました。ヨセフは私たちの信仰の模範です。試練や苦難の中でさえも最善に守り導き、その中でも幸いを与える事のできる神を信じてお従いしましょう。この年末年始、主を信じ仰ぎ祈り、主に感謝しつつ、偶像礼拝等の罪は油断なく避けつつ過ごしましょう(Ⅰコリント101314)。

(祈り)主なる神様。主に感謝しつつも、油断せず、この世の旅路を歩みます。アーメン。


2025年12月23日火曜日