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「主イエス様のとりなしの祈り」ルカの福音書23章32~38節(新約170頁)
本日は教会役員任命式が礼拝の中で執り行われます。続いて、教会役員の為にお祈りをお願い致します。今朝は、受難節に入ったこの時期に、イエス様の御受難を覚えつつ、イエス様と共に、キリストの弟子として生きる上で欠かせない「赦し」、他者を愛していくために必要な「とりなしの祈り」について見ましょう。
1.全き愛に生き、全人類の救いの為に奔走されたイエス様になされた仕打ち
主イエス様が十字架にかけられる際、他にも二人の犯罪人が、イエス様と共に死刑にされるために引かれます(32)。「どくろ」(ラテン語でゴルゴダ)と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエス様と犯罪人とを十字架につけました。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に(33)。イエス様は何の悪いこともしていないのに、むしろ全き愛に生きられたのに、犯罪者に挟まれる形で、その真ん中に十字架の上にはりつけにされたのです。全人類の救い主を、イエス様を信じない人々は十字架にくぎ付けにし、極悪人に仕立てたのです。主イエス様は人々の救いの為に奔走し、尽くされたのに、人々はイエス様を十字架に追いやります。
2.敵をも愛してとりなし祈る、主イエス様の愛(34)
しかし、イエス様はそれでも自分を殺す者をも愛され祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」(34)。イエス様は、このような驚くべき、敵をも愛する愛をもって、とりなしの祈りをされたのです。
その後、イエス様を十字架につける人々はくじを引いて、イエスの着物を分けました(34)。イエス様は何も着るものがありませんでした。民衆はそばに立ってながめていました。指導者たちもあざ笑って言いました。「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ったらよい」(35)。兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出します(36)。そして、「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と言ったのです(37)。
しかし、イエス様はそれらの愚弄、挑発を受けているのにもかかわらず、十字架から降りませんでした。降りることができなかったのではありません。降りようと思えば降りることがおできになるのですが、決して降りようとはされなかった。なぜなら、イエス様は、この時、全人類を罪と罪の刑罰である地獄から救うために、全人類の罪を身代わりに背負って、父なる神の怒りの刑罰を身代わりに受けておられたからです。それによって、イエス様を信じる者を救うためです。ここにもご自分の敵たちのために身代わりに死ぬ愛が示されます。
悪魔は罪人をあおって、イエス様を必死に挑発し、必死に十字架からおろそうと働きかけましたが、イエス様は決して挑発に乗らず、十字架にはりつけにされたままとなってくださったのです。イエス様が十字架から降りなかったから、主イエス様を信じる私たちは救われるのです。十字架の死は失敗ではなく成功です。
さて、「これはユダヤ人の王」と書いた札も十字架の主イエスの頭上に掲げてありました(38)。これはピラトが書いた罪状書きです。イエス様がローマ総督ピラトの尋問を受けられた時(マタイ27・11~14)、ピラトが「あなたはユダヤ人の王ですか」(11)と問うと、イエス様は「そのとおりです」と言われました。ピラトは、イエス様は死刑になるような罪を犯しておらず、祭司長、長老たちがねたみのために、イエス様を引き渡してきたことを見抜いていました。
祭司長たちはこのピラトの書いた罪状書きを見て、「ユダヤ人の王と自称していた、と書いてくれ」と要求しますが(ヨハネ19・21)、ピラトはそれを許さず、このように書かせました(ヨハネ19・22)。この看板の通り、イエス様はまことのユダヤ人の王でした。さらに言えば、神の国の王、天国の王、永遠の王、天地万物の主なる神、救い主なのです。しかし、民はユダヤ人の真の王であられる、イスラエルの主なる神を拒んで、信じ受け入れずに、十字架の死刑に処したのです。「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」(ヨハネ1・11)。主イエス・キリスト様を信じないユダヤ人たちは、イエス様が真のユダヤ人の王である、と正直に言われた事を、偽りとして訴えて、それを罪状としたのです。罪人の愚かさの暴露です。
ここに記されている人間の罪は、私たちの内にある罪の性質でもあります。人間の罪が、イエス様を十字架につけたのです。しかし、イエス様は、そんな罪人たちを愛されました。その証拠に、イエス様は、十字架上で、人類の赦しを、とりなし、祈られました。そして人類の為に、身代わりに死んでくださいました。
(祈り)天の父なる神様。あなたの独り子、主イエス様が罪人である私たちのために、十字架でとりなし祈り、身代わりに死んで下さった事を感謝致します。