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2025年 クリスマス諸集会のご案内

 

2025年12月27日土曜日

2025年12月28日(日)第一礼拝動画配信「苦難の中でも主と共に生きる幸いがある」 マタイの福音書2章13~23節(新約p3)

 

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説教要旨「苦難の中でも主と共に生きる幸いがある」マタイ2章1323(新約p3

1.主への賛美と感謝(ルカ2章25~31)

 この聖書の箇所はクリスマスメッセージ(ルカ2120)の続きです。羊飼いたちの礼拝後、生後40日目にはエルサレムにて、主の教えの通りに、幼子をささげます(2224)。その時の出来事です。ここに主への賛美と感謝があります。

   シメオンの賛美(2531)

25節にエルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた」とあります。シメオンは神様から主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられて」(26)いました。彼は聖霊に導かれて、神殿に連れてこられた幼子イエス様にお会いしました(27)。すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言います。「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。 私の目があなたの御救いを見たからです」(2930)。シメオンの心は、たとい今、自分が死んでも、心安らかにこの世を去れる心となりました。それは、彼が神の御救いを見たからです。神の御救いとは主イエス様ご自身です。イエス様はイスラエルの救い主だけでなく、私たち異邦人の救い主でもあるのです(3132)

   アンナの感謝(3638)

さて、「アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた」(3637)とあります。彼女は祈り深い、神に仕える敬虔な信仰者でした。彼女は短い夫婦生活の後、未亡人になるという喪失の悲しみを経験し、やもめとして過ごしました。そして84歳で救い主イエス様にお出会いしました。彼女は救い主イエス・キリスト様のゆえに「神に感謝をささげ」ました(38)。それは待ち望み続けた「エルサレムの贖い」をしてくださる方がイエス様だからです。さらに彼女はイエス様を人々に伝えたのです(38)。私達も苦難や悲しみを抱えていても、それでも、私たちを救い、救いを完成される、救い主イエス・キリストご自身を今、信じて仰ぎ、感謝、賛美致しましょう。

2.油断せずに主に聴き従う(マタイ2章1323)

マタイ2112クリスマス礼拝でご一緒に見ました。東方の博士たちを不思議な星が導いて、救い主である幼子イエスまで導きました。博士たちはイエス様を礼拝し、贈り物をささげました (11)。そのような、心温まる出来事の後、主の御使いから神の言葉がマリヤの夫ヨセフに与えられます。「立って幼子とその母を連れてエジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています」(13) 。そこで、「ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに逃れ、 ヘロデが死ぬまでそこにいた」(1415)のです。一方、ヘロデ王はイエス様を殺そうとしていました(マタイ281316)。しかし、博士たちは主に示しを受けてヘロデの所には戻りませんでした(12)。すると、「ヘロデは、…激しく怒った。そして人を遣わし、…ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。…」(16)のです。嬉しい喜びと感動のクリスマス直後の試練…。しかし主が守ります。そして再びエジプトにいるヨセフに主の御使いが現れました。「立って、幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。」(20)。ヨセフは主のお導きに従います。「そこで、ヨセフは立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。」(21)このように従順に主に従い続けてきたヨセフでしたが、「アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れ」(22)ます。しかし、ヨセフはそのような恐れを抱く状況の中でも主に信頼し、祈りつつ、主の警告に従い(22)、ガリラヤ地方に退き、ナザレ村に行って住みます(2223)。これらの出来事は父なる神様が事前に預言していた通りでした (15,17,23)。苦難を含めて、全ての事は全知全能の神様の計り知れない御摂理の御手の中にあるのです。その中で父なる神は、幼子イエス様の父として、神に信頼して聞き従い、神と共に歩むヨセフを用いられました。ヨセフは私たちの信仰の模範です。試練や苦難の中でさえも最善に守り導き、その中でも幸いを与える事のできる神を信じてお従いしましょう。この年末年始、主を信じ仰ぎ祈り、主に感謝しつつ、偶像礼拝等の罪は油断なく避けつつ過ごしましょう(Ⅰコリント101314)。

(祈り)主なる神様。主に感謝しつつも、油断せず、この世の旅路を歩みます。アーメン。


2025年12月23日火曜日

2025年12月20日土曜日

12月21日 礼拝動画配信「天地に輝く主の栄光」ルカの福音書2章8~20節(新約p110)*回線不具合のため説教要旨のみです。

説教要旨「天地に輝く主の栄光」ルカの福音書2章8~20節(新約p110

先週はルカの福音書217節にて、イエス様が御降誕後、飼葉桶に寝かされた所でした。救い主キリストなのにどうして?神様はなぜ、そんな状況になるのをお許しになったのか?しかし神様には深い御心があったのです。

1.羊飼いたちにとってのしるしとなった、飼い葉おけのキリスト(812

さてイエス様が御降誕された夜、羊のお世話をしていた羊飼い達の所に、突然、天使がやってきました。天使によって神様の栄光があたりを照らしたので羊飼い達は「この上もなく」恐れました。しかし、彼らに天使は言いました。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます」(10)。「この民全体」とありますが、この大きな喜びはユダヤ人だけでなく全世界の人の喜びでもあります。この上もない恐れにある羊飼いたちに、この上もない喜びの福音が与えられました。

この知らせを聞いた羊飼いたちは、羊を飼って生活をするため、宗教家たちが作った規則を守るのが難しかったのです。周りの人から、「汚い」、「悪い人達」と見られて、嫌われて、みんなから仲間外れにされていた人たちでした。裁判で証言する事もゆるされませんでした。しかし、神様は、この羊飼いたちに、一早く、この知らせを教えてくれたのです。それによって、神様は全ての人にこの良い知らせを伝える、という事を示したのです。

その良い知らせとはこれです。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(11)。この当時、「救い主」という名前はローマの王様を呼ぶときに使われていましたが本当の救い主(「癒し主」の意味もあり)はイエス様だという事を天使(医者ルカも)は示します。主というのは神様という事です。「キリスト」とは私たちを完全に救ってくださる救い主の事です。神であり救い主であるキリストが今日、赤ちゃんとなってお生まれになった。キリストは全く神でありながら全く人となって来られたお方です。それは私たちの救いのためでもあります。

さらに天使は言いました。「あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです」(12)。なんと、その救い主が、動物のえさ箱に寝かされているというのです。そして、天使達の言う事は本当でした。いつも、羊を飼いながら、家の外で、羊と一緒に夜も昼も寒い時も生活をしていた羊飼いたちにとっては、動物小屋に寝ている救い主イエス様を身近に感じたはずです。

主は愛の冷えた世の状況すらも、全てを神の益の為に用いられました。天の王座から、誰でもお会いできる家畜小屋の飼い葉おけにまで、神である救い主は、降りて来て下さいました。これによって、羊飼いたちがキリストと出会う機会となったのです。このキリストの愛と謙遜が輝く時となりました。

2.天の父なる神に栄光、地の御心にかなう人々に平和(1320

イエス様の御降誕というあまりの出来事の故に、天使たちも神を賛美せずにはおれなかったのでしょう。また、「平和がみこころにかなう人々にあるように」と祝福せずにはおれなかったのでしょう。「みこころにかなう」とは「神に喜ばれる」の意味。「信仰がなくては神に喜ばれることはできない」(へブル116)(その他、へブル1038を参照)。神の御心にかなう人、神に喜ばれる人とは、イエス・キリストを信じて、神の救いの恵みを受け取る人です。そして、イエス様を信頼して生きていく人です。そういう人に(の中に)「平和」と天使は歌いました。「平和」とはギリシャ語ではエイレーネーで、ヘブル語でいえばシャロームです。①平和、泰平、和睦、融和、安全、②平和、安泰、無事、幸福、③神の国の内容に従ってキリストによる救いの内容をなすもの、の意味です。命や幸福があふれる言葉です。イエス様にこのシャロームがあります。永遠の命、全き愛、限りない神の愛、世が与える事のできない全き平安、知恵、力、聖霊の満たし、安息…。イエス様に信頼して生きる人の心には神からの愛、喜び、平安が与えられ、人を愛し、平和を造り出す人になっていきます。それは聖霊によるのです(ガラテヤ5章)。

羊飼いたちの前から天使が消えても、彼らは、神の御言葉がその通りになった事のゆえに、神を賛美しています。彼らの帰るところは相変わらず、差別される羊飼いとしての生活です。しかし、彼らの心に天からの喜び、キリストから来る平和が満ちました。彼らはキリストを信じて救われたのです。

【祈り】天の父なる神様。私たちにも救い主、主イエス・キリスト様による救いと平和をお与え下さり感謝です!主に栄光がありますように!アーメン。