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「主と共に歩み、イエス様に似た者となる事を目指して」マタイ28章16~20節(新約p64)
本日は、教会学校進級式、教会学校教師任命式です。続いて、教会学校の生徒と教会学校の教師のために、教会教育のために、お祈りをお願い致します。
今朝は、今一度、主イエス様の示された私たちの歩むべき方向性について確認したいと思います。ある時、弟子たちがイエス様に「世が終わる時のしるし」について尋ねた事があり、イエス様がお答えになった時がありました(マタイ24・3~12)。異端、偽キリストの登場、戦争とそのうわさ、民族紛争、あちらこちらでの飢饉、地震…。しかし、これらは「産みの苦しみの始まり」(24・8)と主イエスは言われます。その時には、さらに、キリスト者への迫害、裏切り、偽預言者による惑わし、不法がはびこり愛が冷える…(24・12)。
しかしピンチはチャンスとも言われるように、闇が深い時こそ、真理の光は明確に輝きます。クリスチャンは世の光として、キリストと共に忍耐しつつ信仰と愛をもって輝くのです(24・13,14)。14節の冒頭には原語では「そうしながら」という言葉があります。すなわち、そのような試練の中で、キリスト様が、福音が、かえって証されるのです(14)。その際、重要な事はキリスト者がキリストの弟子として生き、成長していく事です。今朝はそのカギとなるみ言葉です。十字架で贖いを成し遂げ、死後三日目に復活された主イエス様のみ言葉、マタイの福音書28章16~20節に改めて注目致しましょう。今、改めて、キリストの弟子として生きる事、さらにはその成長が必要なのです。
1.復活の主イエス様の権威とご命令(18~20)
復活された主イエス様は弟子たちに語られます。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。」(18)。この時、弟子達は困難な中にありました。ローマ帝国、ユダヤの宗教指導者達が敵に回っていました。民衆もイエス様を十字架につけろと叫んだ直後でした。しかし、この18節のお言葉が弟子たちの力であり、命であり、守りであり、勝利です。イエス様は天地万物の王で主です。たといローマ帝国とユダヤ宗教指導者たちと民衆が敵対していても勝利はゆるがないのです。一切の権威はキリストにあるからです。
主イエス様はその権威をもって言われます。「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい」(19~20節前半)。あらゆる国の人々を主イエス・キリストにお従いする弟子にしなさい、という主のご命令です。弟子にするとは、具体的には、その直後にありますように、①愛をもって福音をお伝えして、信仰告白に導かれた方に洗礼を授ける事。②主イエス様の教えを共に学び、信じて、守り行うように教え続ける事です。その際、教える者たちもまた、主イエスの教えを学び守る必要がある事は言うまでもありません。そして、共にキリストの弟子、すなわち、イエス様に似た者となっていくのです。
洗礼は、イエス様を信じて救われて、聖霊を頂いて、三位一体の神との霊的交わりに入る事(ローマ6:3、4)のしるしです。洗礼を受けてそれで終わりではなく、続いて、主イエス様の教えを主の御言葉によって学び続け、守り続けるのです。その人は幸いな者になります(マタイ5・2~12)。しかし主イエス様の教えとご命令は自分の力では守れません。では、どうすればいいのでしょうか?
2.復活の主イエス様のお約束(20)
主イエス様はそんな弟子たちに「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(20節後半)と約束されました。どこでも、いつでもイエス様は信仰者と共にいて下さるのです。この時の弟子たちは、まだ宣教どころではないと思われるような、つまづいたところからやっと起き上がったような弱い未熟な弟子達です。にもかかわらず、いえ、そんな弱い弟子達だからこそ、このお言葉を下さいました。弟子たちがこれから担う使命の重さを主はご存じです。しかし主イエス様と共に担うなら重荷は軽いのです(マタイ11・28~30)。
主イエス様は一切の権威をもって、父なる神の右の座に着き、天で、地上の弟子たちの為に祝福をもってとりなし祈り、今も弟子達と共に働いておられます。
福音宣教も、キリストの弟子としての成長も、主イエス様と共にするものです。主が共にいつもおられます。だからこそ、弟子としての成長、主に従う事、福音宣教や教会教育が可能となります。主イエス様を中心とし、主イエス様に共に学び倣いながら、互いに愛し合い、共に試練を耐え忍び、共に福音を証しましょう。
(祈り)父なる神様。困難な時代でも、イエス様に学び、倣い、互いに愛し合いながら、イエス様の弟子として共に健全な成長を遂げさせてください。アーメン。