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2025年5月3日土曜日

5月4日(日)礼拝動画配信「復活の主イエス様が与えてくださる喜び」ルカの福音書24章44~53節(新約174頁)


 説教要旨「復活の主イエス様が与えてくださる喜び」ルカの福音書244453節(新約174頁)

今週も先週に続いて、復活後のイエス様のお姿に注目しましょう。

復活の主イエス様にペテロが出会い、そして、エマオという村に向かっていた二人の弟子にも復活の主イエス様が出会ってくださった。そのことを弟子たちが集まって話し合っていました。すると、その弟子達の真ん中にイエス様が現れます(36)。イエス様は取り乱す弟子たちに、「なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのですか。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」(3839と言われます。さらに、復活後の手足をお見せになりました(40)。それでも、うれしさのあまりに、まだ信じられず、不思議がっている弟子たちに、イエス様は焼き魚を食べる様子を見せられ、幽霊ではなく、復活された肉体もったお方であることをお示しになられました。

1.聖書を悟らせるために心を開かれ、教えられる復活の主イエス(44~47

そして、主イエス様は旧約聖書からキリストの十字架と復活について悟らせます。44節。「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません」。さらにイエス様は聖書を悟らせるために「彼らの心を開いて」(45言われます。4648節。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、あなたがたは、これらのことの証人となります。」と言われました。イエス様の十字架と復活の証人です。

2.聖霊の約束をして、祝福しながら天に上げられた主イエス様(49~53)

 しかし、生まれながらの彼らの力では到底、主の証人、宣教の働きはできない事であることを主はご存知でした。弟子たちの状況の困難さもご存知でした。イエス様の事を伝える力、神様の助けと力が必要であることもイエス様はご存知でした。ですから、イエス様は「わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24・49)と言われたのです。この力とは聖霊の力です。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒18

イエス様は十字架で死なれる前にも弟子たちに教えていました。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです」(ヨハネ14・16)。これは、後に、エルサレムで祈っていた弟子たちに聖霊が降られる事をイエス様はあらかじめ言われておられたのです。

 また、イエス様は言っておられました。ヨハネ1412・・・わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです」 。イエス様は今も目には見えなくても生きておられ、子なる神として最高の天の父なる神の右に座しておられる。しかも、世の人々を救うために、今もご自身も働き、弟子たちをこの世に派遣して共に働いておられる。信仰者を通して、教会を通して、さらに大きくこの世の真っただ中において、ご自身の働きを、さらに大きく展開しておられるのです。

主イエス様は復活されました。主イエス様は生きておられます。そして、やがて、弟子たちの前で天にお帰りになられました。その際、イエス様はベタニア(使徒1・12にはオリーブ山とある)の近くに弟子たちを導き、イエス様は弟子たちのために手を挙げて祝福しながら天にお帰りになられました(5051)。

イエス様は大祭司として今も天においてとりなし、祝福して祈って下さっています。だから、いつでも、ご自身によって神に近づく人々を、完全に救って下さいます(へブル4・14~16、7・24~26)。弟子たちと共にいつもいて、見守って下さっています。いつも助けて下さっています(マタイ28・20)。

ですから、復活の主イエス様を信じた弟子たちは非常な喜びを抱いて、エルサレムに帰ります。そして、いつも宮にいて神を賛美しました(52~53)。共におられる主が喜びと賛美を与えて下さったのです。そして約束通り、聖霊を待ち望む弟子たちに聖霊をお与えくださり、イエス様の復活の証人として下さったのです(使徒2章)。イエス様のお働きは今も世界中で展開され続けています。

【祈り】父なる神様。復活の主イエス様を信じて、喜んで、主を賛美します。アーメン。

2025年4月26日土曜日

2025年4月27日(日)第一礼拝動画配信 午前9時半~「あなたを愛して寄り添って下さる神、イエス様」ルカの福音書24章13~32節(新約172頁~)

 

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説教要旨

「あなたを愛して寄り添って下さる神、イエス様」ルカの福音書241332節(新約172頁~)

先週はイエス様のご復活を記念するイースター(復活祭)でした。今朝はその続きを見ましょう。十字架で死んで三日目に復活されたイエス様が顕現されます。

1. 信仰が弱っている者とも共に歩んで下さる主イエス様(1316)

イエス様が十字架で死なれた金曜日の三日後の日曜日の事。イエス様の二人の弟子がエルサレムから11km離れたエマオ村に向かってとぼとぼと歩いていました。二人は女弟子達が知らせた、イエス様のご遺体のない空っぽの墓、イエス様が復活したとの天使のお告げ、について納得できず、その事を真剣に議論し苦悩していました。すると15節。いつの間にか主イエス様が二人の話を共に歩きながらじっと聴いていました。二人の肉眼はイエス様を見ていました。しかし弟子達は気づきません(16)。現に彼らはこの後イエス様と話しています。問題は彼らの信仰の目がふさがれていた事です。それゆえイエス様のみ言葉を忘れ、信じず、霊的暗黒の中でもがいていたのです。そんな彼らと共に主は歩きます。イエス様は私たちの信仰が鈍り、共にいて下さるイエス様に気づかない時も、変わらない愛をもって共に歩んで下さいます!またイエス様は私たちの話、議論を、全て聞いておられる。イエス様は私たちの心もすべて見通しておられる神様です。

 

2. あなたの心を受けとめつつ、愛をもって真理をお語り下さるイエス様(1732

するとイエス様は二人に言いました。「その話は何のことですか?」(17。弟子達は復活のイエス様に気づかず暗い悲しい顔でした。一人が答えました。「ナザレ人イエス様のことです。この方は、神と民全体の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、この方を死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまいしまいました。私たちは、この方こそイスラエルを解放する方だ、と望みをかけていました。実際、そればかりではありません。そのことがあってから三日目になりますが、仲間の女たちの何人かが、私たちを驚かせました。彼女たちは朝早く墓に行きましたが、イエス様のからだが見当たらず、戻って来ました。そして、自分たちは御使いたちの幻を見た、彼らはイエス様が生きておられると告げた、と言うのです。それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、まさしく彼女たちの言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」(19~24)。するとイエス様は彼らの話をじっと聞いた後に言いました。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか」(2526)。それから旧約聖書の預言からキリストについて、すなわち御自身の事について説明します(27)。二人の弟子はその話を聞いて不思議と心が熱くなります(32)。彼らの、復活の主イエスを信じる妨げ、障壁となっていた誤りが、主イエスとの対話の中で、主のみ言葉によって、解消されていったのです。

その二人の弟子の問題は、主イエス様から教えられていた教えの一部分しか信じていなかった事です。それゆえイエス様の十字架と復活に躓いたのです。キリストがなぜローマ帝国に死刑にされるのか、と。しかし二人はイエス様の聖書の解き明かしを聴いているうちに、さらに話を聞きたいと思ったのでしょう。その人に言いました。「一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています」(29。そして3人で食事をします。すると先ほどの人がパンをもって神様にお祈りしてから、パンを分けて二人に渡したその時、二人は気づきます。「イエス様だ!」。するとイエス様は彼らには見えなくなりました(31)。イエス様はこの二人の弟子に、イエス様が復活して生きておられる、という事を教えるために現れて下さったのです。彼らはついに復活の主を信じます。

二人の弟子は話し合いました。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」(32。彼らはイエス様のお話をいつも聴いていたので、イエス様のお話でいつも心が熱くなっていた事を思い出したのです。

イエス様の話を聴いていると神様の愛、希望、信頼が心にわいてくるのです。この時、彼らの心にも力がわいてきたのです。それは今日も同様です(ローマ5・1~5)。私達が愛の冷えた世の罪の影響や自分の罪のために信仰の火が下火になり冷たくなっていても、復活の主イエス様のみ言葉に聴き、主イエス様と交わる時、私たちの信仰と愛と希望の炎が復興するのです。主に聴き続けましょう。

【祈り】復活の主イエス様。あなたは生きておられ、私たちの信仰が下火になっているような時も共に寄り添い、回復に導いて下さり、感謝致します。アーメン。


2025年4月19日土曜日

2025年4月20日(日)第一礼拝動画配信 午前9時半~「復活されたイエス・キリスト」ルカの福音書24章1~12節(新約172頁)


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説教要旨「復活されたイエス・キリスト」ルカの福音書24章1~12節(新約172)

今日は教会の暦ではイースター、キリストの復活祭です。先週は十字架で全人類の罪を背負い身代わりに死なれたイエス様のみ言葉に学びました(ルカ23・43)。その後、イエス様は十字架上で息を引き取られました。アリマタヤのヨセフという金持ち(マタイ2757)の議員で、正しい人(50)が、イエス様のご遺体を引き取って、まだ誰も葬ったことのない墓に納めました(53)。その納められる様子をイエス様について来ていた女性の弟子達は見届けていました(55)。それが金曜日の日没頃でした。女性たちは香料と香油を準備して葬りに備えました。金曜日の日没から土曜の日没まで安息日なので戒めに従って休みました。この間は安息日なので死体に触れることができなかったのです。また安息日が土曜の日没に終わった後は暗いので、女性が外を出歩き、真っ暗な墓に行くのは危険でした。それで女性たちが精一杯、早く行ったのが、安息日が終わった翌日の明け方の日曜日の早朝だったのです。その間イエス様のご遺体は土、日と墓に安置されたのです。

 

1.復活したイエス様を見失った女弟子たち(1節~4節前半)

241節。「週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た」とあります。十字架からイエス様のご遺体が取り降ろされて、墓に収められた時には、金曜日の日没が迫り、もう安息日が始まる頃だったので、略式の埋葬しかできませんでした。なので、彼女たちは改めて正式な葬りを行う為に、愛するイエス様の墓に来たのでした。金曜日を含めて金、土、日の、三日後の日曜日の明け方早くに駆けつけました(241)。

しかし墓に来てみると、2節。「見ると、石が墓からわきに転がされていた」のです。当時の墓は横穴に大きな石をごろりとフタをした形の墓でした。しかしそのフタの石がわきに転がしてありました。これは天使によるものでした(マタイ282)。そしてルカ24章3節。「そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった」のです。4節では「そのため途方に暮れていると」とあります。「途方にくれる」という言葉は「とまどい」とも訳されます。それはイエス様が葬られた墓に、イエス様のご遺体を求めて来たのに、無かったからです。

2.約束通り復活されたイエス・キリスト(4節後半~12節)

すると4節後半。「見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。」とあります。二人の天使が彼女たちの近くに来たのです。彼女たちは「恐ろしくなって、地面に顔を伏せ」5ます。すると天使たちはこう言いました。5節後半~6節。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです」。重要な出来事の証人として、神によって遣わされた天使は二人であった事が示されています。イエス様のご遺体が無いのは、天使が証言するように、死から復活して生きておられるからです。

さらに天使たちは言います。6節後半~7節。「まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう」と。彼女たちはイエス様を敬愛し慕うからこそ、イエス様の死を心から悲しみ嘆きました。しかしイエス様が殺される事だけでなく、三日目に復活するというイエス様の約束(ルカ9・22、マタイ27・63)を忘れていた、又は確信していなかったのです。

しかし主イエス様のみ言葉を伝えられて、8節。「彼女たちはイエスのことばを思い出した」。彼女たちの信仰がイエス様のみことばを聴く事から、回復に導かれます(ローマ1017)。それは天使を通してでしたが、イエス様のみ言葉を思い起こす事によったのです。また復活の主イエスにその後お会いします(マタイ28910)。彼女達は他の男の弟子たちにイエス様の復活を知らせます。

ところが11節。「この話はたわごとのように思えたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった」とあります。当時の女性の証言は重んじられていなかった事もあったでしょう。また、主イエスの十字架の死があまりの事だったので、そこからの復活という事が信じられなかったのかもしれません。しかし彼女たちの証は無駄に終わりません。12節。「しかしペテロは立ち上がり、走って墓に行った。そして、かがんでのぞき込むと、亜麻布だけが見えた。それで、この出来事に驚きながら自分のところに帰った」とあります。彼女たちの精一杯の証は、三度、主イエス様を知らないと否んだ使徒ペテロを立ち上がらせました。やがてペテロも復活の主イエス様に出会い、復活の主イエス様を証言するようになります。(祈り)天の神様。イエス様は十字架で死んで復活した事を信じます。アーメン。