長崎めぐみ教会ホームページにようこそ!日本イエス・キリスト教団長崎めぐみ教会は、長崎県時津町にある伝統的なプロテスタントのキリスト教会です。 聖書の教える、唯一まことの造り主なる全知全能の神様は全人類を、そして、あなたを本当に愛しておられます。この神の愛は戦争や疫病、災害、物価高騰等の混迷の時代でも全く変わりません。 世界のベストセラーであり、唯一まことの神の誤りのないお言葉である『聖書』から、この唯一まことの神の愛を知って頂けましたら幸いです。 このホームページがその一助となるように願いつつ、随時更新していますので、どうぞ、ご覧下さい。また、皆様のご来会をお待ちしております。 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書よりイエス・キリスト様のおことば)
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基本集会のご案内
基本集会のご案内 〇日曜礼拝 (毎週日曜日午前)*第一、第二礼拝等のご案内 第一礼拝 (お話は第二礼拝よりも短めです) 午前 9 時 30 分~ 10 時 頃 *終了時間が10時15分頃まで延長する場合もあります。 【ライブ(録画)配信でもご視聴できます】 *回線不具合等に...
2024年12月28日土曜日
2024年12月24日火曜日
2024年12月21日土曜日
12月22日(日)クリスマス第一礼拝配信
(上で視聴できない場合は、少し時間をおいて、下の予備回線をお試しください)
「最高の王キリストへの礼拝にたどりつく幸い」マタイ2章1~12節(新約p2~3)
クリスマスおめでとうございます。この時も、主イエス・キリスト様の御降誕の喜びの福音(良い知らせ)に心を向けて参りましょう。
1. 救い主イエス・キリスト様へと導く不思議な星(1~2、9~10節)
1、2節に『イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」』とあります。エルサレムから見て東方の異邦人の博士たちが、西の空に上った不思議な星の光を手がかりに、遠路はるばる危険な旅を経てエルサレムに来ました。それはユダヤ人の王として生まれるメシヤを求めての事でした。
その星が不思議な星であった事は、9、10節の不思議な動きを見ると分かります。「…かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。」。この時、自然界もまた救い主のご降誕を知らせる為に、神に用いられて不思議な動きを見せました。
さて、この博士たちの訪問を受けてヘロデ王は大慌てで(3)、ユダヤの祭儀をする祭司長たち、「律法学者」と呼ばれている信徒リーダーたちを全て招集して「キリストはどこで生まれるのか」(4)と問いただしました。彼らは5,6節で「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」と答えています。これは旧約聖書のミカ書5章2節(ミカは前750年~前700年頃の預言者)の引用です。この預言の通り、キリストであるイエス様はベツレヘムでお生まれになりました(マタイ2・1)。
2.最高の王イエス・キリストにたどりつく幸い(3~11)
3節。「これを聞いてヘロデ王は動揺した。」。イスラエルの民も恐れています(3)。それは新しい「ユダヤ人の王」の出現によって、ヘロデ王が嫉妬して何かするのではないか!?という恐れです。そんな恐怖政治をする王がこの時代にもいたのです。またローマ帝国からの弾圧の恐れでした。ヘロデが密かに動き始めます。7,8節。『そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。』。この言葉の通りキリストを礼拝したら良いのに、ヘロデの思いはキリスト抹殺(16)。人間の罪の闇の深さをヘロデの内に見ます。
そんなヘロデ王のたくらみを知らない異邦人の博士たちはヘロデ王に従い、送り出されて出かけます。すると9節。「博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。」。彼らは「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」(10)。クリスマスツリーのてっぺんに飾られる「ベツレヘムの星」の由来はこの星です。博士達は星研究者としてこの不思議な星の動きを喜ぶ以上に、この星が示す偉大なユダヤ人の王としてお生まれになったお方を最高に喜んだのでしょう。その星が示すように、このお方はまさに天地万物を治める王。この星は聖書を通して、今も私たちをも救い主イエス様への礼拝(クリスマス)に導いています。
さて博士たちは神様から送られたその星の指し示す家に入りました。11節。「それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」。異邦人はユダヤ人達から見下されていました。しかしイエス様は彼らの礼拝そして彼らの贈り物をお受け下さったのです。そして博士たちは、その後も、神に導かれて旅を続けます。「彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。」(マタイ2・12)。賢い博士たちでも見抜けなかった危険からも神はお守り下さったのです。
腹黒いヘロデが王である大変な暗黒の時代で、星とみ言葉の光に導かれて、遠い異邦の地から来た博士達によるクリスマス礼拝が幼子キリストに捧げられました。彼らは最高の王イエス・キリストへの礼拝にたどりついたのです。
(祈り)父なる神様。罪と悪の暗躍するこの世でも、主のみ言葉と聖霊の光に導かれて最高の王イエス・キリストに信頼し礼拝させて下さい。アーメン。
2024年12月14日土曜日
12月15日(日)礼拝配信
説教要旨「天地に輝く主の栄光」ルカの福音書2章8~20節(新約p110)
今朝はルカの福音書2章1~7節の続きです。イエス様は御降誕後、飼葉桶に寝かされました。救い主キリストなのにどうして?神様はどうして、そんな状況になるのをお許しになったのか?しかし、神様には、深い御心があったのです。
1.羊飼いたちにとってのしるしとなった、飼い葉おけのキリスト(8~12)
さてイエス様が御降誕された夜、羊のお世話をしていた羊飼いたちのところに、突然、天使がやってきました。天使によって神様の栄光があたりを照らしたので、羊飼いたちは「この上もなく」恐れました。しかし、彼らに天使は言いました。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます」(10)。「この民全体」とありますが、この大きな喜びはユダヤ人だけでなく全世界の人の喜びでもあります。この上もない恐れにある羊飼いたちに、この上もない喜びの福音が与えられました。
この知らせを聞いた羊飼いたちは、羊を飼って生活をするため、宗教家たちが作った規則を守るのが難しかったのです。周りの人から、「汚い」、「悪い人達」と見られて、嫌われて、みんなから仲間外れにされていた人たちでした。裁判で証言する事もゆるされませんでした。しかし、神様は、この羊飼いたちに、一早く、この知らせを教えてくれたのです。それによって、神様は全ての人にこの良い知らせを伝える、という事を示したのです。
その良い知らせとはこれです。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(11)。この当時、「救い主」という名前はローマの王様を呼ぶときに使われていましたが、本当の救い主はイエス様だ、という事を天使は示しています。主というのは神様という事です。「キリスト」とは私たちを完全に救ってくださる救い主の事です。神であり救い主であるキリストが、今日、赤ちゃんとなってお生まれになった。キリストは全く神でありながら全く人となって来られたお方です。それは私たちの救いのためでもあります。
さらに天使は言いました。「あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです」(12)。なんと、その救い主が、動物のえさ箱に寝かされているというのです。そして、天使たちのいうことは本当でした。いつも、羊を飼いながら、家の外で、羊と一緒に夜も昼も寒い時も生活をしていた羊飼いたちにとっては、動物小屋に寝ている救い主イエス様を身近に感じたはずです。
主は愛の冷えた世の状況すらも、全てを神の益の為に用いられました。天の王座から、誰でもお会いできる家畜小屋の飼い葉おけにまで、神である救い主は、降りて来て下さいました。これによって、羊飼いたちがキリストと出会う機会となったのです。このキリストの愛と謙遜が輝く時となりました。
2.天の父なる神に栄光、地の御心にかなう人々に平和(13~20)
イエス様の御降誕というあまりの出来事の故に、天使たちも神を賛美せずにはおれなかったのでしょう。また、「平和がみこころにかなう人々にあるように」と祝福せずにはおれなかったのでしょう。「みこころにかなう」とは「神に喜ばれる」の意味。「信仰がなくては神に喜ばれることはできない」(へブル11・6)(その他、へブル10・38を参照)。神の御心にかなう人、神に喜ばれる人とは、イエス・キリストを信じて、神の救いの恵みを受け取る人です。そして、イエス様を信頼して生きていく人です。そういう人に(の中に)「平和」と天使は歌いました。「平和」とはギリシャ語ではエイレーネーで、ヘブル語でいえばシャロームです。①平和、泰平、和睦、融和、安全、②平和、安泰、無事、幸福、③神の国の内容に従ってキリストによる救いの内容をなすもの、の意味です。命や幸福があふれる言葉です。イエス様にこのシャロームがあります。永遠の命、全き愛、限りない神の愛、世が与える事のできない全き平安、知恵、力、聖霊の満たし、安息、・・・。イエス様に信頼して生きる人の心には神からの愛、喜び、平安が与えられ、人を愛し、平和を造り出す人になっていきます。それは聖霊によるのです(ガラテヤ5章)。
羊飼いたちの前から天使が消えても、彼らは、神の御言葉がその通りになった事のゆえに、神を賛美しています。彼らの帰るところは相変わらず、差別される羊飼いとしての生活です。しかし、彼らの心に天からの喜び、キリストから来る平和が満ちました。彼らはキリストを信じて救われたのです。
【祈り】天の父なる神様。私たちにも救い主、主イエス・キリスト様による救いと平和をお与え下さり感謝です!主に栄光がありますように!アーメン。
2024年12月7日土曜日
12月8日(日)第一礼拝 午前9時半~
「飼い葉おけに寝られたイエス様」ルカの福音書2章1~7節(新約p110)
アドベント第二週。続いて救い主イエス様の御降誕について心を向けましょう。
1.神の預言の約束の成就(2・1~7、ミカ5・2)
今からおよそ2024年前の事です。ローマ帝国の皇帝アウグストゥス(前27~後14年在位)が勅令を出します。「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。」(1~3)。第一回の最初の人口調査は前8~後6年頃の長きにわたって行われたとも言われています。ユダヤ民族の場合は自分の家系であり血筋でもある、先祖の町に帰らなければなりませんでした。そのため、4,5節。「ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。」とあります。主イエス様の母マリアのいいなずけの夫で、イエス様の法的社会的な父親となるヨセフも住民登録の為に自分の先祖の町ベツレヘムに帰りました。彼はダビデ王家の家系・血筋だったからです(Ⅰサムエル16・1、マタイ1・1~18)。しかし彼はこの時、ガリラヤ地方のナザレに住んでいたので、そこから旅をします。その時、彼はいいなずけの妻マリアを連れていきました。マリアは妊娠中で胎内には赤ちゃんがいました。その子は神様の力で奇跡的に処女マリアの胎にお宿りになった、神様の子であり神様であるイエス様でした(ルカ1・26~38)。
ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまでは140キロの長旅。出産間近のマリアと胎児にとって命がけの旅。ベツレヘムの町でも、住民登録の為に人が多く帰って来ており(3)、宿屋には泊まれる場所がありません。しかも誰も、今にも子どもが生まれそうな妊婦に部屋を譲る人がいませんでした。そんな時に赤ちゃんが産まれてきました。6,7節。「ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」。それで母マリアは初産なのに、最初の子である赤ちゃんイエス様をこのような形で出産し、布にくるみ、動物のえさ箱に寝かせるしかありませんでした。神様、なぜ、よりによってこんな時に…!? でも、それが神の時(タイミング)だったのです。胎児のイエス様始め、マリア、ヨセフにとって大変な試練の時でしたが、旧約の預言ミカ5・2の通り、イエス様はユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。ローマ皇帝の一方的な命令さえも用いて、主はご自身の約束を成就されたのです。
2.飼い葉おけに寝かされたイエス様に見る謙遜(7)
でもなぜ、神の子、キリストであるイエス様は天地万物の王であるのに飼い葉おけに寝かされる事を主は許されたのでしょうか。神様はこの事さえも神の目から見た益になさいます(ローマ8・28)。すなわち、8節以降で、当時、社会から疎外されていた羊飼い達にとって、キリストご降誕のしるしとして、この飼い葉おけに寝かされている事も用いられます。それは今日も、全ての人の救い主キリスト様のご降誕のしるし、福音の良い知らせのしるしとなっています。すなわち、飼い葉おけに寝かされたキリスト様のお姿に、救い主キリスト様の十字架に至る謙遜を見ます。救い主キリストは神でありながら、人間の赤ちゃんとなってこの世界に来て下さっただけでなく、飼い葉おけに寝かされる事も受け入れて下さいました。世間の冷たさにさらされても、それでも、この罪の世にとどまって下さったのです。人となられた神であるイエス・キリストには全く罪がありませんでした。しかし私達罪人を救うために主イエス・キリストはこの罪の世に、人となって来て下さったのです。しかも、十字架で全人類の身代わりに死ぬために神の御子は人間となられたのです(ピリピ2・5~9)。十字架の死に至るまでの主イエスの謙遜!このイエス様の謙遜と愛のゆえに、主イエス・キリストを信じる者が救われる、救いの道が開かれたのです(ヨハネ3・16)。
主イエス・キリスト様は飼い葉おけにお宿り下さったように、神の御前に罪のある私たち人間の心の中にもお宿り下さいます。こんなに罪深く、弱い、私たちのうちにも、イエス様を信じて心を開くならば、キリストは喜んで私たちの心の中に来て下さるのです。そしてそこに生き、住み、治め、きよめて下さいます。イエス様を心の片隅に追いやるのでなく、心の王座にお迎えし、礼拝しましょう。(祈り)主イエス・キリストの父なる神様。私たちにあなたの大切な独り子、神の御子イエス様をお遣わし下さり感謝致します。どうぞ、主イエス様、私の心の中にお宿り下さい。そして私の人生を主として王として導いて下さい。アーメン。
2024年11月30日土曜日
12月1日(日)午前9時半~ 第一礼拝配信
説教要旨
「ご自分民を諸々の罪から救う王、イエス様」マタイ1章18~25節(新約p1~2)
アドベント(待降節)第一週目に入りました。今年も主イエス様の御降誕を記念するクリスマスに備えつつ、主イエス様の再臨に備えて参りましょう。
1.聖霊によって処女マリアの胎に宿られた主イエス(18~20)
18節。「イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。」。すでに婚約していたイエス様の母となるマリアとその婚約者の夫ヨセフ。しかし二人が同棲する前にマリアの胎に子がいる事が判明します。その妊娠は「聖霊によって」とあります。マリアはその事をヨセフよりも先に天使から告知されていました(ルカ1・26~38)。その妊娠は全能の神による奇跡でした。マリアはその事を受け入れ、主に自分自身を委ねます。「私は主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように」(ルカ1・38)。ここに神への全き信頼を見ます。人は誰も主イエスが聖霊によってマリアの胎盤に受胎した瞬間を見てはいませんが、マリアはその現実が自分の体になり、妊娠する事を実体験しました。
一方、マリアの婚約者の夫ヨセフは自分があずかり知らない、マリアの妊娠を聴いて苦悶します。そして19節。「夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。」。婚約中に婚約者以外の他の男性と関係をもつなら、それは旧約聖書の律法違反であり、姦淫と同じになります(申命記22・22~24)。ヨセフは神を敬う正しい人でしたので自分のあずかり知らない妊娠をしたマリアを妻にめとるわけにいきません。そして当時の律法解釈、申命記24・1に基づいて離婚状を書いて内密に離縁する事にしたのです。それはマリアが人々にさらしものにされる事から守ろうとしたのです。ヨセフはマリアを愛していました。しかし決断したのに彼は「このことを思い巡らしていた」(20)。「マリアがそんな事をするだろうか…しかしなぜ妊娠するのだ…神の御心はどこにあるのか」と苦悩していたのでしょう。そんな時、20節。『彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」』。神は夫のヨセフにもマリアの胎の子が聖霊による事を教えて下さいました。
2.ご自分民を諸々の罪から救う王、イエス様(21)
さらに神の使いはヨセフに告げます。「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです」(21)。「罪」とは原語では複数形ですので「諸々の罪」とも訳せます。私たち人類を不幸のどん底に突き落としてきた、その諸々の罪から、御自分の民を、神の国の王イエス様は救って下さるのです!ですから、21節。「恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい」と天使は告げます。ヨセフは主の御言葉の通りにします(24,25)。
3.共にいて、親しく交わって下さる主イエス様(22~23)
しかも、22~23節。『このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。』。人類のもろもろの罪から救って下さる救い主が、私たちと共にいてくださいます。さらに主イエス様を信じ受け入れる者の中にいて下さるのです。それは主イエス様を信じ受け入れる者と親しい交わりを持って下さり、ご自身の永遠の命をもって生かして下さる為なのです(Ⅰヨハネ1・3、黙示録3・20)。
主イエス様が十字架でわれらの罪を身代わりに背負って、身代わりに死んでくださいました。ですから罪からの救い主イエス・キリスト様を信じて受け入れる時から、罪から救う力が働き、神の永遠の命がその人を真に生かします。そして罪の病とその結果である罪の生活と永遠の滅びから救われます。御子イエス様が身代わりに死ななければならないほどに罪深い場所が人間の心です。そんな心の真ん中に、罪なき聖なるイエス様が来て下さいます。そして罪に勝利し、愛に生きる人生を送らせて下さるのです。それは人類の全てのもろもろの罪を、主イエス様がすべて身代わりに背負って十字架で死んで下さったから成就した救いです。そして神の聖霊による神の御業です。それらは旧約聖書の預言の成就です。
ですから今年のクリスマスもこのお方のご降誕を心から喜び祝いましょう!
日々の生活でのもろもろの罪の問題の中でもあきらめないで、罪からの救い主イエス・キリスト様を信じ仰ぎ続け罪から救われつつ感謝と賛美を捧げましょう!
(祈り)主イエス様。この罪の世界に来てくださり、十字架で救いを成就し、あなたを信じる私の心の中にも来て、共にいて、親しい交わりに入れて下さり感謝します。アーメン。
2024年11月24日日曜日
基本集会のご案内
基本集会のご案内
〇日曜礼拝(毎週日曜日午前)*第一、第二礼拝等のご案内
第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)
午前9時30分~10時頃 *終了時間が10時15分頃まで延長する場合もあります。
【ライブ(録画)配信でもご視聴できます】
*回線不具合等により、配信開始が遅くなる場合や配信ができない場合もあります。時折起こる回線不具合の為、第二礼拝、午後礼拝の配信となる場合もございます。あらかじめご了承ください。
*説教者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。
第二礼拝 午前10時30分~11時45分頃
(お話は第一礼拝よりも詳しくお話します)
☆諸事情により、どうしても上の時間帯での礼拝出席がかなわず、その他の時間帯での個別の礼拝【早朝(例・朝6時~6時半)礼拝、午後礼拝、夕礼拝(午後8時~8時半)等】の時をご希望の方は、ご遠慮なく、事前にご相談ください。なるべく対応させて頂きます。
☆彡 現在の当教会のコロナ対策方針
☆各自で適宜お気をつけください。
〇教会学校(子ども) 午前9時半~10時頃
〇聖書研究祈り会 毎週水曜日 午前10時30分~11時30分頃
〇こども宿題タイム (基本)毎週木曜日 午後3時~4時半頃
*各集会は全て無料ですが礼拝では自由献金の時があります(強制ではなく自由です)。
*教会学校、聖書研究祈り会、こども宿題タイムはお休みの時もありますので、
事前に、お電話等でお尋ねください。
☆「やさしい聖書の学び」(お申し込み随時受付中)*ご都合の良いお時間で聖書を学べます。オンラインでも個別にも対応致します。ご遠慮なくご相談下さい。
*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。
☆彡教会周辺の地図はこちら↓
2024年11月16日土曜日
2024年11月9日土曜日
11月10日(日)礼拝ライブ配信「試練の中での脱出の道」第一コリント10章13~14節(新約340p)
基本集会のご案内
〇日曜礼拝(毎週日曜日午前)*第一、第二礼拝等のご案内
第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)
*席数は第二礼拝に比べて空席(15席程)は十分あります(駐車場は軽4台or普通車2台程。事前にご連絡頂くと駐車場の空きの確認や予約ができて確実です。どうぞ、ご相談下さい)。空席状況や駐車場がご心配の方はあらかじめご連絡ください。
午前9時30分~10時頃 *終了時間が10時15分頃まで延長する場合もあります。
【ライブ(録画)配信でもご視聴できます】
*回線不具合等により、配信開始が遅くなる場合や配信ができない場合もあります。時折起こる回線不具合の為、第二礼拝、午後礼拝の配信となる場合もございます。あらかじめご了承ください。
*説教者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。
*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。
第二礼拝 午前10時30分~11時45分頃
(お話は第一礼拝よりも詳しくお話します)
☆諸事情により、どうしても上の時間帯での礼拝出席がかなわず、その他の時間帯での個別の礼拝【早朝(例・朝6時~6時半)礼拝、午後礼拝、夕礼拝(午後8時~8時半)等】の時をご希望の方は、ご遠慮なく、事前にご相談ください。なるべく対応させて頂きます。
☆彡 現在の当教会のコロナ対策方針
☆各自で適宜お気をつけください。
☆なお引き続き密は避けるため席数(15席程)が限られています。また駐車場も軽自動車4台分(実質2~3台分)と限られています。ご参考までに、現在は午前9時半~の第一礼拝の集会の方が空席が15席程と十分あります。第二礼拝は日によっては空席が4~5席の時もあります。空席状況がご心配の方はあらかじめご連絡頂く事をお勧めしております(特に第二礼拝出席時)。
(教会の電話 095(870)7200、あるいは牧師直通携帯;080-6322-5554)。
☆引き続き、コロナ対策の為、ご体調のすぐれない方や、コロナの感染がご心配な方は、ご無理はなさらないで、上の方にあります、「礼拝ライブ配信または録画配信」を用いて、ご自宅にて、主なる神様を礼拝頂ければと存じます。その他、ご心配な点等やご質問等ございましたら、どうぞ、お尋ね下さい。
〇教会学校(子ども) 午前9時半~10時頃
〇聖書研究祈り会 毎週水曜日 午前10時30分~11時30分頃
〇こども宿題タイム (基本)毎週木曜日 午後3時~4時半頃
*各集会は全て無料ですが礼拝では自由献金の時があります(強制ではなく自由です)。
*教会学校、聖書研究祈り会、こども宿題タイムはお休みの時もありますので、
HPで最新情報をお確かめになられるか、お電話等でお尋ねください。
☆「やさしい聖書の学び」(お申し込み随時受付中)*ご都合の良いお時間で聖書を学べます。オンラインでも個別にも対応致します。ご遠慮なくご相談下さい。
*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。
☆彡教会周辺の地図はこちら↓
メッセージ要旨
「試練の中での脱出の道」第一コリント10章13~14節(新約340p)
あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。
(第一コリント10章13節)
冒頭の聖書のことばは、キリストの弟子の一人である使徒パウロの手紙の一節です。使徒パウロは神様に導かれて、この手紙を書きました。ですから、このお言葉は神様のお言葉でもあるのです。このお言葉と似た言葉を、たまにアスリートの方々の口から聴く事があります。たとえば、以前、水泳選手の池江璃花子選手が自身の白血病を公表した後で、「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています」と旧・ツイッターに以前、投稿しておられました。
聖書には「神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません」とあります。でも、改めて、今朝、聖書の続きを見てみると、続いてこうあります。「むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」と続いています。私達が、耐えられない試練はない、と言えるのは、なぜなのでしょうか。
1.唯一まことの真実な神様がおられて、助けて下さるから
それは、唯一まことの神様がいて助けて下さるからです。冒頭の聖書の箇所に、「神は真実な方です。・・・」とあります。ということは、真実な神がおられる、という事を聖書は宣言しております。聖書の別の箇所には、「神は愛です」(Ⅰヨハネ4・16)とあります。愛と真実の神がおられる。この神は、聖書を読んでいくと、「人間が」造った偽物の「神々」ではなく、「人間を」造られた本物の神です。その神は、「わたしが主(神)である。ほかにはいない」(イザヤ45・5)と宣言する、唯一の神なのです。この唯一まことの神は、全知全能の神で、愛と真実をもって、人間を愛して、救い出し、守り導き、助けて下さる神様なのです。ですから、私達が、「耐えられない試練はない」と言えるのは、私達が自分の力で乗り越えられるからではなく、この聖書の教える唯一まことの神様がおられて、私達を真実な愛で愛して、救い、守り、導き、助けて下さるからなのです。
続いて、その真実な神様が「耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます」と続いています。私達も、この現実世界で生きて行く時、様々な試練に直面します。当時のコリントの教会の信徒の試練の一つは、例えば、偶像礼拝の誘惑とプレッシャーでした。これはこの世で、特に日本で、唯一まことの神を信じて従って生きる者が皆、大なり小なり直面します。その他、自分の力だけでは耐えられない、また他の人に助けてもらっても耐えられないと思えるような試練に直面する事もあるかもしれません。しかし人間を造られた唯一真の神様は、「耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます」と聖書は約束、宣言しています。だから、この真実な神様に信頼して従って生きる時、この真実な神様と共になら、「耐えられない試練はない」と言えるのです。ですから、「愛する者たちよ、偶像礼拝を避けなさい」(14)と続きます。
2.唯一まことの神こそ試練の中の脱出の「道」である
冒頭の聖書のことばの後半に、「耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます」と続いています。私は、「道」と聴くと、ヨハネの福音書14章6節の、救い主イエス・キリストのお言葉を思い起こします。すなわち、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネ14章6節)とのおことばです。この聖書の箇所は、以前、英国女王エリザベス2世の国葬で、当時のトラス首相によって朗読された箇所の一節です。イエス・キリスト御自身の自己紹介が記されている箇所です。主イエス様は「わたしが天国の道なのだ」と言われます。そして、その道は真理の道であり、永遠の命の道なのです。その道だけが父なる神の御許、唯一の神の家、天国に通じる一本道なのです。聖書を読むと、主イエス・キリストは、神ご自身が、私達を救うために、神でありながら同時に人となられて来られたという事が教えられています。それは私たちを滅びから救い、天国に迎え入れるためでした。そして、私達が救われるために、イエス様は私達の罪を身代わりに背負って、父なる神からの刑罰を受け、十字架刑に処せられました。ですから御自身を信じる者を救う事ができるのです。そしてこの試練の多い現実世界でも、信仰者と共に人生を歩み、守り助けて下さいます。
(祈り)天の父なる神様。この世では試練がありますが、救い主イエス様が共にいて、試練の中でも脱出の道となって下さり、感謝です。イエス様によって祈ります。アーメン。
2024年11月2日土曜日
11月3日【日】礼拝録画配信「小さい子どものように神様を信頼する」マタイ18章1~5節(新約36頁)
基本集会のご案内
〇日曜礼拝(毎週日曜日午前)*第一、第二礼拝等のご案内
第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)
*席数は第二礼拝に比べて空席(15席程)は十分あります(駐車場は軽4台or普通車2台程。事前にご連絡頂くと駐車場の空きの確認や予約ができて確実です。どうぞ、ご相談下さい)。空席状況や駐車場がご心配の方はあらかじめご連絡ください。
午前9時30分~10時頃 *終了時間が10時15分頃まで延長する場合もあります。
【ライブ(録画)配信でもご視聴できます】
*回線不具合等により、配信開始が遅くなる場合や配信ができない場合もあります。時折起こる回線不具合の為、第二礼拝、午後礼拝の配信となる場合もございます。あらかじめご了承ください。
*説教者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。
*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。
第二礼拝 午前10時30分~11時45分頃
(お話は第一礼拝よりも詳しくお話します)
☆諸事情により、どうしても上の時間帯での礼拝出席がかなわず、その他の時間帯での個別の礼拝【早朝(例・朝6時~6時半)礼拝、午後礼拝、夕礼拝(午後8時~8時半)等】の時をご希望の方は、ご遠慮なく、事前にご相談ください。なるべく対応させて頂きます。
☆彡 現在の当教会のコロナ対策方針
☆各自で適宜お気をつけください。
☆なお引き続き密は避けるため席数(15席程)が限られています。また駐車場も軽自動車4台分(実質2~3台分)と限られています。ご参考までに、現在は午前9時半~の第一礼拝の集会の方が空席が15席程と十分あります。第二礼拝は日によっては空席が4~5席の時もあります。空席状況がご心配の方はあらかじめご連絡頂く事をお勧めしております(特に第二礼拝出席時)。
(教会の電話 095(870)7200、あるいは牧師直通携帯;080-6322-5554)。
☆引き続き、コロナ対策の為、ご体調のすぐれない方や、コロナの感染がご心配な方は、ご無理はなさらないで、上の方にあります、「礼拝ライブ配信または録画配信」を用いて、ご自宅にて、主なる神様を礼拝頂ければと存じます。その他、ご心配な点等やご質問等ございましたら、どうぞ、お尋ね下さい。
〇教会学校(子ども) 午前9時半~10時頃
〇聖書研究祈り会 毎週水曜日 午前10時30分~11時30分頃
〇こども宿題タイム (基本)毎週木曜日 午後3時~4時半頃
*各集会は全て無料ですが礼拝では自由献金の時があります(強制ではなく自由です)。
*教会学校、聖書研究祈り会、こども宿題タイムはお休みの時もありますので、
HPで最新情報をお確かめになられるか、お電話等でお尋ねください。
☆「やさしい聖書の学び」(お申し込み随時受付中)*ご都合の良いお時間で聖書を学べます。オンラインでも個別にも対応致します。ご遠慮なくご相談下さい。
*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。
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メッセージ要旨
「小さい子どものように神様を信頼する」マタイ18章1~5節(新約36頁)
イエス様の受難予告の後、弟子たちは、お互いの間で誰が一番偉いのか?という議論をしていました。そして弟子たちはイエス様に答えを尋ねます。1節。「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか。」。この問いに対するイエス様の答えが2~5節です。三つに分けて見ていきましょう。
1.天国に入るためには?(2~3)
まず2~3節です。「2 イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、3 こう言われた。「まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。」。ここで、イエス様は、「自分が一番偉い」とお互いがはりあって、お互いを支配しようといた弟子達に対し、幼い子を呼び寄せて御自分の側で真ん中に立たせ、「向きを変えて」つまり「悔い改めて」、「心を入れ替えて」、「子どもたちのように」ならないならば、天の御国で一番になるどころか、その天の御国に入ることさえできないよ、と言われたのです。一体どういうことでしょうか。「小さい子ども」がここで立たされていますが、幼子は保護者に頼って生きています。一人では生きていけない弱くて小さい存在です。いばろうにもいばれません。もちろん、小さい子も罪びとですので、わがままな心はもっていますが、彼らは自分の弱さ、小ささを体験的に知っているのです。
さて「天の御国」とは神様の恵みの支配の事を表します。天国の王様は天の父なる神様であり、その御子イエス様です。この幼な子のように、主に保護してもらわなければ(救ってもらわなければ)自分では生きていけない、その事を自覚している人こそ、イエス様により頼み、イエス様の愛と恵みの支配を心から受け入れ、そして天国に入るのです。一方で「自分が一番偉い」と思い込んで、他の人を支配しようとする心は、天の御国においてふさわしくありません。それは天の御国の王である主の御支配に反する事だからです。
ですから「自分が一番偉い」と思って、ほかの人を支配しようとする心の向きを変えて、そういう生き方、考え方を変えて、そして、幼な子のように、自分の無力、自分の罪深さ、神の前に自分の力では到底立ちえない、立場無き身であることを素直に認めて、悔い改めて、イエス様の前に自分を低くする事が必要です。そして、ただイエス様の愛と恵みの支配(救い)に寄りすがって救って頂く事が、そもそも、天の御国、神の恵みの支配の中で生きるために、全ての人、全てのキリストの弟子に必要不可欠な事なのです (3)。
2.天国で一番偉い人は?(4)
このようにお答えになった上で、イエス様は弟子たちの質問に答えます。4節。「 ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです」。自分の無力さ、立場の無さを認め、素直に、イエス様の愛と恵みの支配を受け入れる人が天国に入ります。天国はそういう人達の国なのです。そういう人たちは、神の前に、子どものようにへりくだる人です。イエス様を王様としている人です。そして、イエス様に信頼して従う人です。そういう人は謙遜な人になります。なぜなら、イエス様が謙遜な方だからです。イエス様こそ十字架の上で私達の全ての罪と汚れと呪いを背負い、父なる神から身代わりに罰を受けて一番自分を低くして下さった(劣った地位を受け入れた)方で、天国で一番偉いのです。
3.イエス様を真ん中にして、子どもを含めて、おたがいを大切に(5)
さらにイエス様は言われました。5節。「また、だれでもこのような子どもの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。」。ここで、「このような子ども」とありますが、これは悔い改めて、こどものように自分の無力を認めて、イエス様を王様として心に迎えたキリストの弟子の事です。キリストの弟子は、自分の罪深さを認め、神の前に自分の力では立てない事を認めて、自分の小ささを認めています。へりくだっています。ですから、この世においては、軽んじられたりしやすいでしょう。しかし、イエス様を心の王座にお迎えしている人なのです。ですから、このような、幼な子のようにイエス様を心の王座にお迎えしている人を、イエス様の名のゆえに受け入れる人は、イエス様を受け入れるのです。彼らにした事はイエス様にした事になるのです。主にある兄弟姉妹互いに愛し合う事が大切です。
(祈り)主よ。私たちは皆、幼子のように弱く小さい者です。ただあなたの恵みと憐れみによって生かされ、主イエスを信じて救って頂いた恵みを感謝致します。私達も主イエス様に倣って生きられますように。アーメン。出典:©2017 新日本聖書刊行会