2026年2月13日金曜日

2026年2月8日(日)礼拝動画配信「私たちの患いと病を負われた主イエス様」マタイの福音書8章16~17節(新約p14)

 

説教要旨「私たちの患いと病を負われた主イエス様」マタイの福音書8章1617節(新約p14)

このマタイ8章16,17節には主イエスの癒しの働きについての要約が記されています。8117節には三つの癒しの記事があります。そこには主イエスの憐れみに満ちた癒しの御業がなされています。また、主イエスはみ言葉によって悪霊どもを追い出したとあります。悪霊につかれて悩み苦しめられている方々が大勢、主イエスのみもとに連れて来られました。また病気の方々も連れてこられました。イエス様のそばにいた弟子達は恐れたり不安になったりしたかもしれません。しかし、主イエスは悪霊どもを追い出しました。そこには主と主のみ言葉の権威が現わされています。悪霊の働きや、病気、その他の試練で辛い時も、共におられる主イエス様とそのみ言葉と御業に信頼すればよいのですね。

病気の人々をみな残らず癒された、とあります。ここには主イエスの愛の込められた回復と癒しの御業があります。例えばマタイ8章3節前半では、ツァラアトという病の人に対して「イエスは手を伸ばして彼にさわり」とあります。旧約聖書においてツァラアトと呼ばれる律法に規定された病は、律法によって何らかの意味で「汚れ」たものとされていました(レビ記13章)。そして、このツァラアトの病人は、そのツァラアトの病のゆえに汚れた者として隔離され「宿営の外」に住む事になっていました(レビ記134546)。このツァラアトの病人に「さわる」ということは、ユダヤ人にとっては触った者も汚れた者となる、という理解でありました。この点、レビ記5・3の旧約聖書の律法では「いかなるものであれ、触れれば汚れると言われる人間の汚れに触れ…」とあります。

しかし主イエス様は、あえて、このツァラアトの病人に「手を伸ばして」触ったのでした。イエス様は触らなくても、この後、8513節では、言葉一つで体の中風(麻痺)の病をいやしておられます。ですから、主イエス様は触らなくても癒す事ができました。しかし主イエスはあえて、この時、ツァラアトの病の人に触ったのでした。それは主イエスの愛と憐れみであるとともに、その病をご自身が担うことによって、その人を癒し、きよめるためでありました。

この点、マタイ8・17にはこれらの奇跡がイザヤ書の成就である事を示しています。「これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就されるためであった。『彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った』」と。イザヤ53・4については「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛み(あるいは『悲しみ』*欄外注)を担った」とあります。そして、この事は、主イエスの十字架を指し示しています。イザヤ53・5に「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。」とあります。この点、Ⅰペテロ224には「キリストは自ら、十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたがは癒された。」とあります。そして、この事は、肉体の病気の有無にかかわらず、私達にもあてはまります。強調しますが、肉体的病それ自体が罪ではありません。使徒パウロもまた、三度も祈ったのに取り去られなかった肉体上の不具合がありました。肉体的不具合が、神様の深いお心の中で残される事もあり得ます。その大前提で申し上げると、人類共通の「罪」という魂の不具合(病)、に対して、魂の最高の医者である主イエスが、私たちの霊的クリニック(診療所)となって、愛をこめて関わってくださいます。そして、その「罪」という魂の不具合を癒し、治し、きよめて下さるのです。この「罪」という病は、主イエスにしか癒せない、治せない、きよめることができないのです。主イエスご自身が、ご自分の命、ご自分の血による贖いという罪の解決を備えて下さいました。

私たちがこの魂の医者である主イエスの御許に信仰をもって求める時、主イエスの血というワクチンによって、罪という病が癒される、きよめられるのです。この事は主イエスのご降誕に際して、主の御使いを通して告げられていました。「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」(マタイ1・21。主ご自身から、魂の医者であられる主イエスから、人類共通の病である「罪という病」の癒しと予防の恵みを受けようではありませんか。その中で、私達は、主の御前に、正直に、自分自身を明け渡して、取り扱っていただこうではありませんか。私たちも解決して頂きたい何かの課題があるなら、特に人類共通の「罪という病」の癒しと予防を、主イエスの愛の御心と最善の御業に信頼して、切に祈り願いたいと思います。

【祈り】主なる神様。私たち人類共通の「罪という病」を癒し、救うために、主イエス様が十字架で身代わりに御苦難を受けられた事を感謝致します。アーメン。


0 件のコメント:

コメントを投稿