あじさいの季節になりました
第一礼拝録画 *視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。
六月第二主日礼拝順序 -花の日・子どもの日-
前 奏
頌 栄 あめつちこぞりて(新聖歌60・ゴスペル2) (起立)
主の祈り (下記載)
祈 祷 司会者 (着席)
信仰告白 使徒信条(下記載)
聖 書 マタイの福音書6章25~34節(新約p10~11) 司会者
メッセージ 「心配しないで主なる神を信じて従う」 後藤 健一師
讃 美 空の鳥も(新聖歌289) (起立)
献 金
頌 栄 父・ 御子・ 御霊 (新聖歌63・ゴスペル3) (起立)
祝 祷 牧 師
*交読文とSGは割愛し、讃美歌も一曲減らしております(コロナ感染対策)
主の祈り
天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ、
み国を来らせたまえ、みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ、
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ、我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ、我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ、
国とちからと栄えとは 限りなく なんじのものなればなり、アーメン。
使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、 生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。
25ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。26空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。27あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。28なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。29しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。30今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。31ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。32これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。33まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。34ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。
新日本聖書刊行会翻訳.新約聖書新改訳2017(新改訳聖書センター)(Kindleの位置No.815-863).INOCHINOKOTOBASHA.Kindle版.
「野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。…今日あっても明日は 炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、 あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」(マタイ6章28~39節)
【説教要旨】「心配しないで主なる神を信じて従う」マタイ6・25~34(新約10~11頁)
花々の美しい季節となりました。今朝は教会のカレンダーでは「花の日・子どもの日」です。その事を意識しつつ、マタイ6・25~34の箇所からご一緒に学びたいと思います。マタイ6・25~34は主イエス様の山上の説教の一部です。
25節。「ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。」。「だから」とあるので、直前の19~24節を受けています。天に宝を積んで生きる、神に第一に仕えて生きようとする時に心配になるのが、どうやって食べていくのか、着る服はどうなるのか・・・でしょう。しかし全てをご存じの主イエスはそれらの事で思い煩うな、と言われます。その理由はいのちもからだも食べ物よりも着物よりも大切だからです。
なぜならば、26節。「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。」。父なる神は空の鳥を養っていて下さる。空の鳥は刈り入れをして蔵に納める事もしていないのに、日々、神に養われている。もちろん、これは仕事も家事も何もしなくて怠けてもよい、という事ではありません。空の鳥も自分の為、子の為、せっせと食べ物を捜し、届けています。だから、この言葉で受け取るべき教えは、神が養って下さるから心配しないでよい、という事です。そもそも、「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。」(27)とあるように、自分が自分の命の為に思い煩い、悩んだからといって自分の命を延ばすことはできない。かえって精神的にも肉体的にも有害無益。だから「心配するな」という事です(健康管理は大切です)。
また28節~32節。「なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます」。ですから、33節。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」。空の鳥、野のゆりを養っておられる天の父なる神は、当然、あなたがたの必要のすべてを知っておられる。だから、父なる神に信頼して、神の国とその義とを第一に求めよ、と言われます。生きていくための必要は父なる神がすべてご存じで、よくして下さるから、あなたがたは心配しないで、地上の富に心奪われず、心置きなく、神の国と神の義とを第一にして神に従い、富にではなく主に仕えよ(24)、と言っておられるのです。もちろん、神に従う中に、隣人を愛して、正当な働きをする事も含まれています(参照;エペソ4・28)。
そして、神の国と神の義こそ真の宝であり、神御自身との関係、神御自身こそ真の富なのです。だから神の国とその義とを第一にする、すなわち、神を第一にしてお従いしてこそ、私たちが本当に価値ある人生を送る事になるのです。そして神の国を第一に求めて生きる人に、神は神の国を与え、それに加えて、この世での必要なものを与えて下さるのです。だから、この世で富むことを求めるのではなく、天に宝を積む、神に第一にお仕えして生きる事こそ、賢い生き方です。
そして34節。「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」。神は養ってくださる。明日の必要も主がご存じ。だから明日の為に心配しなくていい。「明日のことは明日が心配します」。つまり今日は明日を心配しない。明日になれば、次の日の事を心配しない。要するに、いつも明日の事を心配しなくていい、という事(将来の備えは大切)。今日というこの日、今と言うこの時に、心配しないで、神に信頼して全身全霊を集中して神に従えばいい、という事。主は私たちを養って良くして下さいます。だから何事も思い煩わず、心配しないで、主に全く信頼して、お従いし、神の国とその義を第一にしていく事に心を集中しましょう。
(祈り)天の父なる神様。野の花を装って下さるあなたは、私たちにもっと良くして下さると信じます。心配しないであなたに信頼しお従いします。アーメン。
0 件のコメント:
コメントを投稿