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2023年3月18日土曜日

3月19日(日)礼拝動画配信&説教要旨 「試練の中でも主を信じ仰ぐ」エレミヤ書29章10~14節

基本集会のご案内

〇日曜礼拝(毎週日曜日、毎朝行っています)

第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)

午前930分~10【ライブ(録画)配信でもご視聴できます】

*回線不具合等により、配信開始が遅くなる場合や配信ができない場合もあります。時折起こる回線不具合の為、第二礼拝、午後礼拝の配信となる場合もございます。あらかじめご了承ください。

*説教者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。

*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。

*この週は第一礼拝時回線不具合発生のため、第二礼拝のメッセージ部分の録画配信のみとなりました。申し訳ございませんでした。

第二礼拝 午前1030分~1130分頃

  (お話は第一礼拝よりも詳しくお話します)

☆諸事情により、どうしても上の時間帯での礼拝出席がかなわず、その他の時間帯での個別の礼拝【早朝(例・朝6時~6時半)礼拝、午後礼拝、夕礼拝(午後8時~8時半)等】の時をご希望の方は、ご遠慮なく、事前にご相談ください。なるb対応させて頂きます。

〇教会学校(子ども) 午前9時半~10時頃

〇聖書研究祈り会 毎週水曜日 午前1030分~1130分頃

*各集会は全て無料ですが礼拝では自由献金の時があります(強制ではなく自由です)

「やさしい聖書の学び」(お申し込み随時受付中)*ご都合の良いお時間で聖書を学べます。オンラインでも個別にも対応致します。ご遠慮なくご相談下さい。

*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。

三月 第三主日礼拝

◇礼拝の始まり5分前には心を静めて、静かにお待ちください。

♢讃美歌は心を込めつつ、声は小さめに歌いましょう(コロナ感染対策)。 

 

前 奏                            

頌 栄       あめつちこぞりて(新聖歌60)               (起立)

主の祈り     (週報左下記載)                             

祈 祷                           司会者 (着席) 

信仰告白       使徒信条 (週報右下記載)                   

聖 書     エレミヤ書29章1014節(旧約1344頁)         司会者

メッセージ   「試練の中でも主を信じ仰ぐ」         後藤健一牧師

讃 美    『屈するなかれ』(新聖歌444)              (起立)                                              

献 金                                                                                   

頌 栄      父・ 御子・ 御霊  (新聖歌63・ゴスペル3)            (起立) 

 祷                                 後藤健一牧師

*交読文とSGは割愛し、讃美歌も減らしております(コロナ感染対策)

主の祈り

天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ、

み国を来らせたまえ、みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ、

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ、我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ、我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ、

国とちからと栄えとは 限りなく なんじのものなればなり、アーメン。


使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、 生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。


メッセージ聖書箇所エレミヤ書 291014節(旧約1344頁)

29:10 まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。

 

29:11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

 

29:12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。

 

29:13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。

 

29:14 わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──主のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』

 

      聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

【今日の聖句】

わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている

──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

(エレミヤ書29章11節)

【メッセージ要旨】

「試練の中でも主を信じ仰ぐ」エレミヤ書291014節(旧約p1344

ユダ史上、最も暗黒かつ悲劇的時代、預言者エレミヤは前627年頃、20歳頃に預言者として神様に召されます。ヨシヤ王の時代に宗教改革。しかし表面的。その後、王が変わり事情は一変。エレミヤへの迫害、規制、投獄を繰り返します。エレミヤが民衆の間にあった背教、指導者の偽善、誤った神殿信仰を指摘したからでした。偽預言者の預言が語られる中で(2824)、エレミヤの預言(2816)は成就(17)。バビロンには偽預言者や占い師が存在していました(2989)。この29章4~15節は、前605年第一回、前597年の第二回バビロン捕囚後に、預言者エレミヤに神様から伝えられた、そのバビロンに捕らえ移されたユダの人々に対する神様のメッセージ。神様は試練の中にあるユダの民に指導を与えます。第一に、その町の平安を祈り、日常生活をそこでしなさいという事(29・5~7)。第二に、捕囚の期間とその意義(291011)、第三に、捕囚先のそのバビロンの地で、主に祈り、主を求める事でした(291214)。

 

1.試練さえも主の御手の中にある(1011

 2910節。「まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。』。「バビロンに七十年が満ちるころ」とあるように神様はバビロン捕囚という試練の期限を定めました。この神様の試練の期限は絶望から民を守った事でしょう。しかし異郷の地バビロンに捕囚にされる民からすれば、約束の地から離れたバビロン捕囚が70年も続くなどとは聞きたくない事でしょう。しかし神様はそのような中でも、イスラエルの民を「顧み」、「あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる」と仰せになります。試練の中でも、主の御手の中には愛と恵みと希望があります。

そして、11節。 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」。大変、有名なみ言葉です。神様の御計画はわざわいではなく、平安、将来、希望を与えるため。もちろん70年は短くありません。自分の思いや年数の長さに心奪われていたら行き詰まります。しかし試練の中でも、へりくだって神様に目を向けるならば活路が見えてきます。そして神様のみことばにへりくだって聞き従うのです。一見、絶望的に見えるバビロン捕囚という試練でしたが、神様の眼から見れば「それはわざわいではなく平安を与える計画」であり、「将来と希望を与えるため」だったのです!私達も試練に心を奪われるのではなく、主と主の御言葉に信頼して参りましょう。

 

2.試練の中でも主にお会いする(1214

 291214節。「 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──主のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』」。さらに神様は捕囚期間中に与えられる恵みと最高の祝福を示します。それは異教の地バビロンの只中で神様に祈るなら、神様が聴いてくださり、神様を心を尽くして求めるなら、神様を見出せる事。彼らには今や約束の地も、エルサレムも、立派な神殿もありません。しかしバビロンでもまことの神様に祈り、礼拝することができるのです。バビロン捕囚で国や立派な神殿を失い、目に見える支えがなくなった今、つらいですが、逆に、かえって神様にのみ頼ることをしやすい環境になったともいえます。ここで彼らの信仰がかえって育まれていくのです。そして彼らはやがて信仰復興するのです。神様はイスラエルの民にバビロン捕囚という試練を与えました。しかし、その試練の中にも神様の恵みがありました。そして試練は永遠ではなく期間限定。さらに、その試練は災いではなく幸いを与えるためのものでした。神は異教の地バビロンにおいても彼らの祈りを聴き、彼らの真剣な求めに応じて出会って下さる事を示されたのでした(参照;エレミヤ33・3)。私達もどんな試練の中でも、主と、主の最善を信じましょう。

(祈り)主よ。たとい苦難が長引き、時に思うようにいかない時も、どんな時でも、あなたとあなたの御言葉に希望があります。あなたの最善のご計画と御業を信じて、どこまでも、あなたに信頼して祈りつつ、お従いします。アーメン。




*メッセージ内容、その他、ご質問、ご意見、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。

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