〇日曜礼拝(毎週日曜日、毎朝行っています)
第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)
午前9時30分~10時頃【ライブ(録画)配信でもご視聴できます】
*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。
第二礼拝 午前10時30分~11時30分頃
(お話は第一礼拝よりも詳しくお話します)
☆諸事情により、どうしても上の時間帯での礼拝出席がかなわず、その他の時間帯での個別の礼拝【早朝(例・朝6時~6時半)礼拝、午後礼拝、夕礼拝(午後8時~8時半)等】の時をご希望の方は、ご遠慮なく、事前にご相談ください。なるb対応させて頂きます。
〇教会学校(子ども) 午前9時半~10時頃
〇聖書研究祈り会 毎週水曜日 午前10時30分~11時30分頃
*各集会は全て無料ですが礼拝では自由献金の時があります(強制ではなく自由です)。
☆「やさしい聖書の学び」(お申し込み随時受付中)*ご都合の良いお時間で聖書を学べます。オンラインでも個別にも対応致します。ご遠慮なくご相談下さい。
*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。
三月 第二主日礼拝
◇礼拝の始まり5分前には心を静めて、静かにお待ちください。
♢讃美歌は心を込めつつ、声は小さめに歌いましょう(コロナ感染対策)。
前 奏
頌 栄 あめつちこぞりて(新聖歌60) (起立)
主の祈り (下記載)
祈 祷 司会者 (着席)
信仰告白 使徒信条 (下記載)
聖 書 詩篇23篇1~6節(旧約954頁) 司会者
讃 美 『飼い主わが主よ』(新聖歌206)
(起立)
献 金
頌 栄 父・ 御子・ 御霊 (新聖歌63・ゴスペル3) (起立)
祝 祷 後藤健一牧師
*交読文とSGは割愛し、讃美歌も減らしております(コロナ感染対策)
主の祈り
天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ、
み国を来らせたまえ、みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ、
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ、我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ、我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ、
国とちからと栄えとは 限りなく なんじのものなればなり、アーメン。
使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、 生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。
メッセージ聖書箇所・詩篇23・1~6(旧約954頁)
1主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
2主は私を緑の牧場に伏させ
いこいのみぎわに伴われます。
3主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに
私を義の道に導かれます。
4たとえ 死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを 恐れません。あなたが ともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです。
5私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。
6まことに 私のいのちの日の限り
いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。
私はいつまでも 主の家に住まいます。
新日本聖書刊行会翻訳.旧約;聖書新改訳2017(新改訳聖書センター)(Kindleの位置No.67165-67186).INOCHINOKOTOBASHA.Kindle版.
「主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。」(詩篇23篇3節)
【メッセージ要旨】
「主はあなたを守られる方」詩篇23・1~6(旧約954頁)
みなさんの好きな歌は何ですか。自作の歌がある人はきっとその歌に思い入れがある事でしょう。冒頭「ダビデの賛歌」とあります。詩篇23篇はイスラエルの名君であったダビデ王の歌です。この詩篇23篇をじっくり読むとその歌が実体験に基づき、さらには聖書の教えと全く矛盾しないどころか見事に要約されている事に驚きます。詩篇23篇が真実な真理である事が現れています。ダビデが人生の様々な悩みをなめつくした後、人生を振り返って歌ったと言われています。特にダビデが息子に謀反を起こされる苦しい状況の中でバルジライという人に接待をされた事が背景にあると言われています(第二サムエル17・27~29)。
1.いつも愛して守り養って下さる主なる神(1~3)
1節。ダビデは「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」と歌います。羊は弱い動物で羊飼いがいないと生きてはいけません。ダビデ自身も羊飼いでしたのでよくわかっていました。その上でダビデは一国の王でありながら、主が羊飼いで自らを主の羊と告白します。ここにダビデの謙遜を見ます。
2節。「主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。」。緑の牧場とは餌のある所。パレスチナでは牧草と水は乏しく、優れた牧者によってのみそこを捜し当てる事ができます。か弱い羊の一切は牧者にかかっています。牧者なしには飢えと猛獣の危険からの保証はありません。緑の牧場に「伏す」とは安心して餌を食べ身を横たえる事のできる安全な状態。羊飼いを信用していないとできません。それだけ主は信頼できる羊飼いだという事です。
3節。「主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。」。主なる神は信仰者を正しい道に導き、救いに導き、その魂をよみがえらせ、何度も回復させます。それは「御名のため」です。「御名」とは神ご自身と、その聖なる神の御性質(愛、義、真実等)を現わします。神は正しいので正しい道に導きます。それはご自身の聖なるご性質にあずからせる為です。
2.どんな試練の中でも守り導いて下さる主なる神(4)
ですから、「たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。」(4)と告白できます。「死の陰の谷」とは狭く険しく見通しの効かない場所。パレスチナには深い谷があり猛獣がそこに住んでしばしば羊を襲いました。しかし災いを恐れないと言えるまでの主の守りと導きへの信頼です。目に見えない主の現実の守り(むち)と導き(杖)によって、主を知ります。救い主イエス・キリストは「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10・11)と言われました。主イエスこそ真の牧者です。
3.敵から常に守りつつ、敵前でも祝福を注いで下さる主なる神(5~6)
主は守りに加え、豊かな恵みを注ぎ続けてくださいます。ですから5節。「私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています」と歌われます。主の守りがあるので敵の前でも平然と食事ができるほど安全なのです。一方で、愛する息子に追われて逃げるダビデ。その背後には自分の犯した姦淫罪等の刈り取りもありました(Ⅱサムエル12・11)。どれほどつらかったでしょうか。しかし神はそんなダビデを追いかけるようにして彼を守り、祝福を注いで下さったのです!ダビデは息子に追われ涙を流しましたが(15・30)、この神の愛と恵みに感激の涙を流したと思うのです。「頭に香油を注いでくださいます」とは喜びの象徴。主人が客人の頭に油を注ぐことはパレスチナでは客を歓迎する時の習慣でした。「杯」は人生を現わし、杯があふれるとは神様からの豊かなおもてなしによって人生に神様の祝福があふれている様子でしょう。自分の罪の刈り取り、愛する息子が敵になる苦しみ。しかし何とその時すら主の完全な守りと豊かな祝福がありました!ですから6節。「まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます」。原語では冒頭に「とだけ」とあります。「いつくしみ」(原語は「へセド」で「契約に基づく愛」)と「恵み」(「良い事」)「だけが」ダビデを追いかける!愛する人が敵になって追い迫る試練を超えて、神の真実な契約に基づく愛と良き事だけがダビデを猛追し迫り守り祝福する!これこそ神の恵み!その神の愛と恵みは「いのちの日の限り」で、試練の中でも常にあるのです!今もです!
【祈り】父なる神様。あなたがいつも愛と真実をもって共にいて守って下さると信じます。
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