長崎めぐみ教会ホームページにようこそ!日本イエス・キリスト教団長崎めぐみ教会は、長崎県時津町にある伝統的なプロテスタントのキリスト教会です。 聖書の教える、唯一まことの造り主なる全知全能の神様は全人類を、そして、あなたを本当に愛しておられます。この神の愛は戦争や疫病、災害、物価高騰等の混迷の時代でも全く変わりません。 世界のベストセラーであり、唯一まことの神の誤りのないお言葉である『聖書』から、この唯一まことの神の愛を知って頂けましたら幸いです。 このホームページがその一助となるように願いつつ、随時更新していますので、どうぞ、ご覧下さい。また、皆様のご来会をお待ちしております。 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書よりイエス・キリスト様のおことば)
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基本集会のご案内
基本集会のご案内 〇日曜礼拝 (毎週日曜日午前)*第一、第二礼拝等のご案内 第一礼拝 (お話は第二礼拝よりも短めです) 午前 9 時 30 分~ 10 時 頃 *終了時間が10時15分頃まで延長する場合もあります。 【ライブ(録画)配信でもご視聴できます】 *回線不具合等に...
2024年12月28日土曜日
2024年12月24日火曜日
2024年12月21日土曜日
12月22日(日)クリスマス第一礼拝配信
(上で視聴できない場合は、少し時間をおいて、下の予備回線をお試しください)
「最高の王キリストへの礼拝にたどりつく幸い」マタイ2章1~12節(新約p2~3)
クリスマスおめでとうございます。この時も、主イエス・キリスト様の御降誕の喜びの福音(良い知らせ)に心を向けて参りましょう。
1. 救い主イエス・キリスト様へと導く不思議な星(1~2、9~10節)
1、2節に『イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」』とあります。エルサレムから見て東方の異邦人の博士たちが、西の空に上った不思議な星の光を手がかりに、遠路はるばる危険な旅を経てエルサレムに来ました。それはユダヤ人の王として生まれるメシヤを求めての事でした。
その星が不思議な星であった事は、9、10節の不思議な動きを見ると分かります。「…かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。」。この時、自然界もまた救い主のご降誕を知らせる為に、神に用いられて不思議な動きを見せました。
さて、この博士たちの訪問を受けてヘロデ王は大慌てで(3)、ユダヤの祭儀をする祭司長たち、「律法学者」と呼ばれている信徒リーダーたちを全て招集して「キリストはどこで生まれるのか」(4)と問いただしました。彼らは5,6節で「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれています。『ユダの地、ベツレヘムよ、あなたはユダを治める者たちの中で決して一番小さくはない。あなたから治める者が出て、わたしの民イスラエルを牧するからである。』」と答えています。これは旧約聖書のミカ書5章2節(ミカは前750年~前700年頃の預言者)の引用です。この預言の通り、キリストであるイエス様はベツレヘムでお生まれになりました(マタイ2・1)。
2.最高の王イエス・キリストにたどりつく幸い(3~11)
3節。「これを聞いてヘロデ王は動揺した。」。イスラエルの民も恐れています(3)。それは新しい「ユダヤ人の王」の出現によって、ヘロデ王が嫉妬して何かするのではないか!?という恐れです。そんな恐怖政治をする王がこの時代にもいたのです。またローマ帝国からの弾圧の恐れでした。ヘロデが密かに動き始めます。7,8節。『そこでヘロデは博士たちをひそかに呼んで、彼らから、星が現れた時期について詳しく聞いた。そして、「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」と言って、彼らをベツレヘムに送り出した。』。この言葉の通りキリストを礼拝したら良いのに、ヘロデの思いはキリスト抹殺(16)。人間の罪の闇の深さをヘロデの内に見ます。
そんなヘロデ王のたくらみを知らない異邦人の博士たちはヘロデ王に従い、送り出されて出かけます。すると9節。「博士たちは、王の言ったことを聞いて出て行った。すると見よ。かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。」。彼らは「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。」(10)。クリスマスツリーのてっぺんに飾られる「ベツレヘムの星」の由来はこの星です。博士達は星研究者としてこの不思議な星の動きを喜ぶ以上に、この星が示す偉大なユダヤ人の王としてお生まれになったお方を最高に喜んだのでしょう。その星が示すように、このお方はまさに天地万物を治める王。この星は聖書を通して、今も私たちをも救い主イエス様への礼拝(クリスマス)に導いています。
さて博士たちは神様から送られたその星の指し示す家に入りました。11節。「それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」。異邦人はユダヤ人達から見下されていました。しかしイエス様は彼らの礼拝そして彼らの贈り物をお受け下さったのです。そして博士たちは、その後も、神に導かれて旅を続けます。「彼らは夢で、ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った。」(マタイ2・12)。賢い博士たちでも見抜けなかった危険からも神はお守り下さったのです。
腹黒いヘロデが王である大変な暗黒の時代で、星とみ言葉の光に導かれて、遠い異邦の地から来た博士達によるクリスマス礼拝が幼子キリストに捧げられました。彼らは最高の王イエス・キリストへの礼拝にたどりついたのです。
(祈り)父なる神様。罪と悪の暗躍するこの世でも、主のみ言葉と聖霊の光に導かれて最高の王イエス・キリストに信頼し礼拝させて下さい。アーメン。
2024年12月14日土曜日
12月15日(日)礼拝配信
説教要旨「天地に輝く主の栄光」ルカの福音書2章8~20節(新約p110)
今朝はルカの福音書2章1~7節の続きです。イエス様は御降誕後、飼葉桶に寝かされました。救い主キリストなのにどうして?神様はどうして、そんな状況になるのをお許しになったのか?しかし、神様には、深い御心があったのです。
1.羊飼いたちにとってのしるしとなった、飼い葉おけのキリスト(8~12)
さてイエス様が御降誕された夜、羊のお世話をしていた羊飼いたちのところに、突然、天使がやってきました。天使によって神様の栄光があたりを照らしたので、羊飼いたちは「この上もなく」恐れました。しかし、彼らに天使は言いました。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます」(10)。「この民全体」とありますが、この大きな喜びはユダヤ人だけでなく全世界の人の喜びでもあります。この上もない恐れにある羊飼いたちに、この上もない喜びの福音が与えられました。
この知らせを聞いた羊飼いたちは、羊を飼って生活をするため、宗教家たちが作った規則を守るのが難しかったのです。周りの人から、「汚い」、「悪い人達」と見られて、嫌われて、みんなから仲間外れにされていた人たちでした。裁判で証言する事もゆるされませんでした。しかし、神様は、この羊飼いたちに、一早く、この知らせを教えてくれたのです。それによって、神様は全ての人にこの良い知らせを伝える、という事を示したのです。
その良い知らせとはこれです。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」(11)。この当時、「救い主」という名前はローマの王様を呼ぶときに使われていましたが、本当の救い主はイエス様だ、という事を天使は示しています。主というのは神様という事です。「キリスト」とは私たちを完全に救ってくださる救い主の事です。神であり救い主であるキリストが、今日、赤ちゃんとなってお生まれになった。キリストは全く神でありながら全く人となって来られたお方です。それは私たちの救いのためでもあります。
さらに天使は言いました。「あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです」(12)。なんと、その救い主が、動物のえさ箱に寝かされているというのです。そして、天使たちのいうことは本当でした。いつも、羊を飼いながら、家の外で、羊と一緒に夜も昼も寒い時も生活をしていた羊飼いたちにとっては、動物小屋に寝ている救い主イエス様を身近に感じたはずです。
主は愛の冷えた世の状況すらも、全てを神の益の為に用いられました。天の王座から、誰でもお会いできる家畜小屋の飼い葉おけにまで、神である救い主は、降りて来て下さいました。これによって、羊飼いたちがキリストと出会う機会となったのです。このキリストの愛と謙遜が輝く時となりました。
2.天の父なる神に栄光、地の御心にかなう人々に平和(13~20)
イエス様の御降誕というあまりの出来事の故に、天使たちも神を賛美せずにはおれなかったのでしょう。また、「平和がみこころにかなう人々にあるように」と祝福せずにはおれなかったのでしょう。「みこころにかなう」とは「神に喜ばれる」の意味。「信仰がなくては神に喜ばれることはできない」(へブル11・6)(その他、へブル10・38を参照)。神の御心にかなう人、神に喜ばれる人とは、イエス・キリストを信じて、神の救いの恵みを受け取る人です。そして、イエス様を信頼して生きていく人です。そういう人に(の中に)「平和」と天使は歌いました。「平和」とはギリシャ語ではエイレーネーで、ヘブル語でいえばシャロームです。①平和、泰平、和睦、融和、安全、②平和、安泰、無事、幸福、③神の国の内容に従ってキリストによる救いの内容をなすもの、の意味です。命や幸福があふれる言葉です。イエス様にこのシャロームがあります。永遠の命、全き愛、限りない神の愛、世が与える事のできない全き平安、知恵、力、聖霊の満たし、安息、・・・。イエス様に信頼して生きる人の心には神からの愛、喜び、平安が与えられ、人を愛し、平和を造り出す人になっていきます。それは聖霊によるのです(ガラテヤ5章)。
羊飼いたちの前から天使が消えても、彼らは、神の御言葉がその通りになった事のゆえに、神を賛美しています。彼らの帰るところは相変わらず、差別される羊飼いとしての生活です。しかし、彼らの心に天からの喜び、キリストから来る平和が満ちました。彼らはキリストを信じて救われたのです。
【祈り】天の父なる神様。私たちにも救い主、主イエス・キリスト様による救いと平和をお与え下さり感謝です!主に栄光がありますように!アーメン。
2024年12月7日土曜日
12月8日(日)第一礼拝 午前9時半~
「飼い葉おけに寝られたイエス様」ルカの福音書2章1~7節(新約p110)
アドベント第二週。続いて救い主イエス様の御降誕について心を向けましょう。
1.神の預言の約束の成就(2・1~7、ミカ5・2)
今からおよそ2024年前の事です。ローマ帝国の皇帝アウグストゥス(前27~後14年在位)が勅令を出します。「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。」(1~3)。第一回の最初の人口調査は前8~後6年頃の長きにわたって行われたとも言われています。ユダヤ民族の場合は自分の家系であり血筋でもある、先祖の町に帰らなければなりませんでした。そのため、4,5節。「ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。」とあります。主イエス様の母マリアのいいなずけの夫で、イエス様の法的社会的な父親となるヨセフも住民登録の為に自分の先祖の町ベツレヘムに帰りました。彼はダビデ王家の家系・血筋だったからです(Ⅰサムエル16・1、マタイ1・1~18)。しかし彼はこの時、ガリラヤ地方のナザレに住んでいたので、そこから旅をします。その時、彼はいいなずけの妻マリアを連れていきました。マリアは妊娠中で胎内には赤ちゃんがいました。その子は神様の力で奇跡的に処女マリアの胎にお宿りになった、神様の子であり神様であるイエス様でした(ルカ1・26~38)。
ガリラヤのナザレからユダヤのベツレヘムまでは140キロの長旅。出産間近のマリアと胎児にとって命がけの旅。ベツレヘムの町でも、住民登録の為に人が多く帰って来ており(3)、宿屋には泊まれる場所がありません。しかも誰も、今にも子どもが生まれそうな妊婦に部屋を譲る人がいませんでした。そんな時に赤ちゃんが産まれてきました。6,7節。「ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」。それで母マリアは初産なのに、最初の子である赤ちゃんイエス様をこのような形で出産し、布にくるみ、動物のえさ箱に寝かせるしかありませんでした。神様、なぜ、よりによってこんな時に…!? でも、それが神の時(タイミング)だったのです。胎児のイエス様始め、マリア、ヨセフにとって大変な試練の時でしたが、旧約の預言ミカ5・2の通り、イエス様はユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。ローマ皇帝の一方的な命令さえも用いて、主はご自身の約束を成就されたのです。
2.飼い葉おけに寝かされたイエス様に見る謙遜(7)
でもなぜ、神の子、キリストであるイエス様は天地万物の王であるのに飼い葉おけに寝かされる事を主は許されたのでしょうか。神様はこの事さえも神の目から見た益になさいます(ローマ8・28)。すなわち、8節以降で、当時、社会から疎外されていた羊飼い達にとって、キリストご降誕のしるしとして、この飼い葉おけに寝かされている事も用いられます。それは今日も、全ての人の救い主キリスト様のご降誕のしるし、福音の良い知らせのしるしとなっています。すなわち、飼い葉おけに寝かされたキリスト様のお姿に、救い主キリスト様の十字架に至る謙遜を見ます。救い主キリストは神でありながら、人間の赤ちゃんとなってこの世界に来て下さっただけでなく、飼い葉おけに寝かされる事も受け入れて下さいました。世間の冷たさにさらされても、それでも、この罪の世にとどまって下さったのです。人となられた神であるイエス・キリストには全く罪がありませんでした。しかし私達罪人を救うために主イエス・キリストはこの罪の世に、人となって来て下さったのです。しかも、十字架で全人類の身代わりに死ぬために神の御子は人間となられたのです(ピリピ2・5~9)。十字架の死に至るまでの主イエスの謙遜!このイエス様の謙遜と愛のゆえに、主イエス・キリストを信じる者が救われる、救いの道が開かれたのです(ヨハネ3・16)。
主イエス・キリスト様は飼い葉おけにお宿り下さったように、神の御前に罪のある私たち人間の心の中にもお宿り下さいます。こんなに罪深く、弱い、私たちのうちにも、イエス様を信じて心を開くならば、キリストは喜んで私たちの心の中に来て下さるのです。そしてそこに生き、住み、治め、きよめて下さいます。イエス様を心の片隅に追いやるのでなく、心の王座にお迎えし、礼拝しましょう。(祈り)主イエス・キリストの父なる神様。私たちにあなたの大切な独り子、神の御子イエス様をお遣わし下さり感謝致します。どうぞ、主イエス様、私の心の中にお宿り下さい。そして私の人生を主として王として導いて下さい。アーメン。