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基本集会のご案内

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2025年1月25日土曜日

1月26日(日)第一礼拝動画配信

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説教要旨「主イエス様から信仰の目を離さない」ルカ24152(新約112113)

1.主イエス様を見失った、敬虔な信仰者ヨセフとマリア(4149

イエス様の両親はユダヤ三大祭りの過越の祭りには毎年エルサレムに行きました(41)。イエス様が十二歳になられた時も、イエス様の両親は祭りの慣習に従って都へ上り、祭りの期間を過ごしてから帰路につきました(4243)。しかし少年イエスはエルサレムにとどまっておられたのです。両親はこの時それに気づかず主イエス様を見失ったのです。両親は少年イエスが自分たち一行の中に一緒についてきているものと思って一日の道のり(数十キロ)を行きました。それから少年イエスが見つからなかったので、少年イエスを捜しながらエルサレムまで引き返したのです。そして三日の後に少年イエスが神殿で、旧約聖書の教師たちの真中にすわって話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけました(46)。その時、人々は少年イエスの知恵と答えに驚いていたのです(47)。

両親はそんな少年イエスを見て驚き、母マリアは少年イエスに言いました。どうしてこんなことをしたのですか。見なさい。お父さんも私も、心配してあなたを捜していたのです。」(48。両親は本当に心配していたのです。するとイエス様は両親に言われました。どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」(49。イエス様はここで神を自分の父と呼ぶ事でご自身を「神の子」と宣言されたのです。イエス様と父なる神は一体なのです。しかし両親にはイエス様の話された言葉が「理解できなかった」50)。この「理解」という言葉は元々、「合わせる」という意味で、新しい事柄をすでに知っている事柄と合わせて考え理解するという意味です。イエス様の両親はこれまで自分たちに起こった様々な事と、今回のイエス様のお言葉とを合わせて考えることができませんでした。両親は受胎告知の時の天使ガブリエルの言葉(ルカ1313335)や、ヨセフへの天使の言葉(12023)等(21012202832)を合わせて考えるなら、イエス様は神の子であり、神殿はイエス様の父の家である事を理解できたでしょう。

しかし両親はいつの間にか、毎年の祭りの慣習や行き交う人の流れに流されるように、この世に流されたのでしょうか。過ぎ越しの祭りの中心人物であられる神の御子、主キリスト・イエス様を見失ってしまったのです。思慮深い模範的なマリアとヨセフでさえこのような誤りに陥りました。

私たちも、信仰生活に慣れて来る中で、教会生活や諸行事、日々の忙しさの中で、世の中の流れ等で、いつの間にか生ける真の神、主イエス様を心が見失う事のないように、信仰心を主イエス様に向けていきましょう(へブル12・2)。

 

2.両親と一緒にナザレに下られた主イエス様(5152

さて、「神の子」の自覚を持ち、両親にも現わされた主イエス様ですが、その歩みは終始一貫、謙遜でした。51節。それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。神の子であり神であられるお方が、父なる神の家である神殿を離れ、弱さや足らなさもあったヨセフとマリアと一緒に、小さな町ナザレに下ってゆかれ、両親に仕えられたところに、神の子イエス様のへりくだりが現れています。

聖書は親を愛し敬う事を命じています。その人には神様の豊かな祝福がある事が約束されています(エペソ623)。ここで、主イエス様が親を敬う事の模範を示して下さっています。母マリアは敬虔な信仰者でした(ルカ1・26~56)。父ヨセフも御言葉に信頼し神に従順に従う信仰者でした。しかし二人とも神ご自身であられるイエス様から見れば、弱さ、足らなさ、罪のある人間でした。しかし、主イエス様は弱さや罪のある両親を愛し敬い、お仕えになられました。

そしてイエス様は神ご自身でありますが、人として健全に成長し、知恵が増し加わり、背たけも大きくなり、神と人とにいつくしまれたのです(52)。

私たちも主イエス様に倣いたいと思います。両親との関係は最初の人間関係です。父なる神を第一にしつつ、罪を犯すことはしないで、弱さや罪ある両親にも謙遜にお仕えするならば、他の人間関係でも謙遜にお仕えしていくようになります。主イエス様に信頼し倣いつつ、神に第一にお従いしつつ、両親や隣人に謙遜にお仕えしましょう。そのように、父なる神に信頼して第一に従いつつ、弱さや足らなさもある両親や隣人に、愛と謙遜をもってお仕えしていく中で、人として健全に成長し、知恵が増し加わり、神と人とに喜ばれるのです。

【祈り】天の父なる神様。世の生活の中でいつの間にか、主イエス様とその素晴らしさについて、心が見失ったりしませんようにお守り下さい。アーメン。

2025年1月20日月曜日

1月19日(日)第一礼拝録画配信

 

                               ↗途中で回線不調の為、途切れました。

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2025年1月17日金曜日

1月12日(日)午後3時頃~ 臨時礼拝録画配信

           ☆彡美しい長崎の夜景

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2025年1月4日土曜日

1月5日(日)9時半~ 新年主日礼拝 第一礼拝配信

 


(上で視聴できない場合は、少し時間をおいて、下の予備回線をお試しください)


「キリストにあって強くなる教会ピリピ人への手紙4章1113節(新約聖書399p~)

主を賛美致します。皆様、改めまして、主イエス様の御降誕を基準に数えて、2025年、明けまして、おめでとうございます。西暦は、A.D.~年と記されてきましたが、ラテン語の「アンノドミニ (Anno Domini)の略であり、「主(イエス・キリスト)の年に」という意味です。クリスマスのみならず、新年を迎える事も、実は、イエス・キリストの御降誕と関係があるのですね。ですので、「A.D.」、すなわち、「主イエス・キリストの年」の2025年の最初の主日の日曜日に、まず、このようにして、みなさまとご一緒に、主を礼拝する機会が与えられました事、本当に、感謝でございます。

主イエス・キリストを信じる、唯一まことの神の民、神の家族、として、互いに愛し合いながら、共に、父なる神がお迎え下さる天のふるさと、天の家を、共に目指しつつ、今年も、ご一緒に、協力して、前進して参りましょう!

 

1.キリストにあって強くなる必要性

年明けの新年合同礼拝に備え、祈り、み言葉に向き合う中で、私は「ハッ」とさせられた事がありました。それは、私たちのすぐ隣のロシアが今なお、その隣のウクライナと戦闘状態にあるという事が続いている事です。更には、北朝鮮の兵隊がウクライナで戦い、多くの負傷者が出ているという事の重大性について、です。そのニュースを見た時、最初は、多くのニュースの一つとして見ていたのですが、私は、改めて、事の重大さに、はっと気づかされた次第です。改めて、日本の隣国のロシアと北朝鮮が、そのロシアの隣国のウクライナと戦闘状態にあり、死傷者が多数出ている。しかも、日本の隣国ロシアと北朝鮮は核兵器を保有しているという重大性を改めて心に覚え、一刻も早くに戦争を双方が止めるように、少なくとも、全知全能の主に祈り続ける事の必要性を覚えた次第です。

 また、パレスチナ・イスラエル戦争の早期停戦と平和の実現のために、少なくとも、祈り続ける必要を思わされます。さらには、世界の国々の為にも、今、改めて、心の目を覚まして、祈って行く事の大切さを思わされております。

 合わせて、さらには、主イエスにあって、一人一人のキリスト者が、そして、キリスト教会が、信仰や愛や知恵や実践において、さらに強くなる、成長していく必要性を改めて感じております。たとい、試練や困難がやってきても、主と共に乗り越えて行くために、平時から信仰や愛や知恵が養われていく必要を感じています。霊的に眠りこける事のないように、霊的に覚醒して、目を覚まして祈りつつ、普段から、主に信頼していく歩み、主に従っていく、愛を行っていく歩みが、鍛えられる必要を思わされています。普段から、主と共に平和を作り出していく歩みが、いざとなった時にも生きて来るのではないか、と思うのです。普段の主に従う営みが、試練や困難に直面した時の備えとなると信じます。

 

2.使徒パウロの示した模範(ピリピ41113

 使徒パウロは、投獄された獄中(11317)で、次のように記します。

ピリピ41113。「・・・私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました。私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」と。パウロは獄中に投獄されている状況や、経済的な問題を抱えながらも、共に親しく御臨在くださり、ご一緒にいて下さる主イエス様に信頼し、より頼みつつ、主の御心を、主と共に、主との共同作業で、行う事できました。そして、信仰者の模範となり、慰め、励ます事ができたのです。

主の年2025年、この使徒パウロを模範として、さらに成長し、鍛えられた信仰者へと、成長させていただくなら、すばらしいなあ、と思うのです。一歩でも二歩でも半歩でも、何とか、成長させていただく、一年となる事を願います。

 その際に、改めて、覚えたい事は、親しく共にいて下さる、力と愛と知恵と謙遜、全ての良きものの源であられる唯一真の神ご自身、主イエス・キリスト様、聖霊の神様に心を向ける事、信頼する事、お従いする事の重要性です。無い事を願いますが、たとい困難や試練に会ったとしても、全知全能で最善以外をなさらない、主なる神様に依り頼み、聴き従って参りましょう。その事によってのみ、私たちは弱くても、主と共にあるので強い、という神の真の強さに生かされます。

【祈り】主なる神様。どんな境遇でも、あなたと共になら、弱い私たちでも、あなたの愛と力と慎みの御霊によって、強く生きていけると信じます。アーメン。