説教要旨「聖書の教える良いお知らせ」ヨハネ3・1~16(新約179~180頁)
この分厚い聖書を一言で言えば、このヨハネ3章16節であると言われるほど、聖書の中心的メッセージがこのヨハネ3章16節です。今朝、改めてこの箇所から聖書の良い知らせを確認しましょう。
1.神から新しく生まれる ~神の子どもとして生きる~(1~11)
ある夜、ユダヤ人の指導者でパリサイ人のニコデモという人がイエス様を訪ねて来ました(1,2)。パリサイ人とは旧約聖書の律法を厳守しようと努力をしていた、厳格なユダヤ教の一派です。さらに彼はユダヤ人の最高法廷の71人の議員の一人。夜に来たのは世間体があったのかもしれません。彼はイエス様に尋ねます。2節。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」。彼にイエス様はお答えになりました。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(3)。「新しく」とは「もう一度」や「神から」という意味もあります。「神の国」、天国では神の御心が行われます。そのため神の国に生きる者は誰でも新しく生まれる必要があるのです。
ニコデモは「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」(4)と問います。先の「新しく生まれ」と言われた言葉を、ニコデモは「もう一度、肉体的に生まれる」と解釈したのです。しかし主イエス様の真意は、「神から」、すなわち、霊的に生まれる事にありました。これはユダヤ教や、その他の宗教、全ての人間の力では不可能。ニコデモはまずこれを認める必要がありました。
イエス様はその事を教えようとされます。5節。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません」。ここで「水」とは「悔い改め」(神への心と生活の方向転換)を意味します。主イエス様は「聖霊によって生まれる」という事を肉体的誕生とは区別して話している事を示しつつ(6)、「あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」(7、8)と言われます。風は目には見えませんが音やその影響でわかるように、目に見えない聖霊の神の働きにより、人は悔い改めて(神に立ち帰り)、十字架で身代わりに死なれた救い主イエス様を信じて、神の霊である聖霊によって霊的に新しく生まれ、神の国に入り、神の家族の一員となります(エペソ2・19)。ニコデモは「そのようなことがあり得るでしょうか。」(9)と答えます。「あなたはイスラエルの教師なのに、そのことが分からないのですか。…」(10~11)とイエス様。
2.神から新しく生まれ、永遠の命を持つために必要なのは信仰(12~16)
イエス様は彼に「だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません」(13~14)と言われます。民数記21章4~9節で、神様につぶやいたイスラエルの民達が、神様から送られた毒蛇にかまれて苦しんでいた時、神様は指導者モーセに青銅の蛇を旗竿につるすように命じ、その青銅の蛇を仰ぎ見るならば救われると示されました。その事を信じて青銅の蛇を仰ぎ見た人たちは毒が消えたのです。その様に、この後、「人の子」すなわちイエス様が、この青銅のへびのごとくに十字架につるされます。それは主イエスを「信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つため」(15)に、全人類の罪を身代わりに背負い、父なる神からの怒りの刑罰を受けるためだったのです。
イエス様が十字架にかけられた時、ニコデモはあの夜、語られた事、そして旧約聖書を通して学んできた事の成就をイエス様に見たのでしょう。ニコデモがどの段階でイエス様とその御言葉を信じて、聖霊によって新しく生まれたかはわかりません。しかし、まさに風がどこから来てどこに行くかわからないように、イエス様をキリスト(救い主)と信じた時に彼の心は聖霊によって新しく生まれ、神からのいのち、「永遠のいのち」を得ました。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(16)。この「永遠のいのち」にキリスト様による救いの全てが含まれます。主イエス様を信じましょう。
【祈り】父なる神様。私たちを大切な存在として愛し、あなたの独り子、救い主イエス様を信じて受け入れる者には、永遠の命をくださり感謝致します。