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説教要旨「豊かな実を結ぶ人生のために」ヨハネの福音書15章1~5節(新約p215~)
今朝は十字架の直前に主イエス様が愛弟子達に語られた説教に学びます。
1.成長させて下さる神様 ~主の御言葉と試練等による取り扱い~(1~3)
主イエス様は愛弟子達に言われます。1節。「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。」。また5節で「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。」と言われました。イエス様を信じてイエス様に従っていく弟子たちは、イエス様というぶどうの木の枝のようなものです。ぶどうの枝はぶどうの幹にしっかりとつながっていると、そこから栄養分が流れてきて、ぶどうの実を結びます。そして良い実がなるためには手入れが必要です。同じようにイエス様を信じ従っていく弟子達が、聖霊による愛の実を結ぶように天の父なる神様は教え導いて下さるのです。2節を見ると「わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き」とあります。ここは農夫が実を結ぶように必要な手入れ(剪定や支え等)をして下さると理解したいと思います。時に神様は苦痛を伴う取り扱いを与える場合もあります。しかしそれはただ「もっと多く実を結ぶ」ためです。罪を犯す事は、神様が愛の実を豊かに結ばせるために妨げになります。主は悔い改めに導かれることによって、さらに豊かな愛の実を主は結ばせるのです。
2節後半。「実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。」。主は成長している弟子はもっと成長するために、さらに教え導かれるのです。神様のみ言葉によって手入れがなされるのです。キリストの弟子も成長段階に応じた神様の取り扱いがなされるのです。神様は耐えられない試練は与えません。クリスチャンに与えられる試練は、神様がその試練を通して、さらに成長させ、さらに愛の人に変えるためです。主を忍耐しつつ信じ続ける信仰の訓練でもあるのです。御言葉に立てば時に試練はありますが成長があるのです。
イエス様は「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでにきよいのです。」(3)と言われました。父なる神様は、聖書のみ言葉、神のみ言葉によって、私たちを手入れして下さり、「もっと多くの実を結ぶ」キリストの弟子とされます。主なる神様の御言葉に信頼して聴き従って参りましょう。
2.さらなる成長のために~キリストに信頼し続け、聖霊を祈り求める~(4~8)
さらにイエス様は実を結ぶ人生のために必要な事を話されました。4~5節。「わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」。「とどまる」とは口語訳では「つながる」と訳されます。ここでは「信頼する」という事でしょう。イエス様はイエス様に信頼する者につながり、とどまって下さるのです。イエス様に信頼し続ける人は多くの実を結ぶと約束されています。なぜならイエス様とつながり、イエス様が心に宿り、住んで下さっているからです。「実」とは「御霊の実」(ガラ5・22~23)、愛(第一コリント13・1~8、13、14・1)の実、キリストの弟子の結実です。キリストに信頼し、神の言葉に従う時、愛の実が結ばれます。イエス様を信じてとどまる以外に神様による愛の実を結ぶ事はできないのです。6節は厳粛です。だからこそ主は「わたしにとどまりなさい」と愛故に命じます。
7節に「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。」とあります。ここでは実を結ぶために必要不可欠な聖霊を祈り求める事で、聖霊が注がれてさらに実を結ぶ事を教えています(ルカ11・13)。これは主イエスを信じ受け入れ、主の御言葉を信じる人へのイエス様の約束です。そういう人のお祈りに神様は最善の形で答えて下さいます。それはその人がイエス様を信じ、神様の言葉に従い、愛の実を結ぶ事と矛盾しない形で最善に答えられます。その事を確信して神様に祈り続けましょう。そして聖霊の実である愛の実を通して農夫である父なる神の栄光が現わされるのです。8節。「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。」とある通りです。ここで「わたしの」とは「イエス様のもの」という意味です。「イエス様のものである弟子となる」という事です。イエス様のものである弟子達となったら主に栄光が帰されます!その事を祈り求め続けましょう。
(祈り)主よ。私にキリストの弟子としての愛の実を結ばせて下さい。アーメン。
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