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「主と主のみ言葉を信じる時に見えてくるもの」マタイ1章18~25節(新約p1~2)
アドベント(待降節)第二週目に入りました。今朝も主イエス様の御降誕を記念するクリスマスに備えつつ、イエス様のご降誕について見て参りましょう。
1.聖霊によって処女マリアの胎に宿られた主イエス様(18~20)
18節。「イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。」。すでに婚約していたイエス様の母となるマリアとその婚約者の夫ヨセフ。しかし二人が同棲する前にマリアの胎に子がいる事が判明します。その妊娠は「聖霊によって」とあります。マリアはその事をヨセフよりも先に天使から告知されていました(ルカ1・26~38)。その妊娠は全能の神による奇跡でした。マリアはその事を受け入れ、主に自分自身を委ねます。「私は主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように」(ルカ1・38)。ここに神への全き信頼を見ます。人は誰も主イエスが聖霊によってマリアの胎盤に受胎した瞬間を見てはいませんが、マリアはその現実が自分の体になり、妊娠する事を実体験しました。
一方、マリアの婚約者の夫ヨセフは自分があずかり知らない、マリアの妊娠を聴いて苦悶します。そして19節。「夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。」。婚約中に婚約者以外の他の男性と関係をもつなら、それは旧約聖書の律法違反であり、姦淫と同じになります(申命記22・22~24)。ヨセフは神を敬う正しい人でしたので自分のあずかり知らない妊娠をしたマリアを妻にめとるわけにいきません。そして当時の律法解釈、申命記24・1に基づいて離婚状を書いて内密に離縁する事にしたのです。それはマリアが人々にさらしものにされる事から守ろうとしたのです。ヨセフはマリアを愛していました。しかし決断したのに彼は「このことを思い巡らしていた」(20)。「マリアがそんな事をするだろうか…しかしなぜ妊娠するのだ…神の御心はどこにあるのか」と苦悩していたのでしょう。そんな時、20節。『彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。」』。神は夫のヨセフにもマリアの胎の子が聖霊による事を教えて下さいました。不可解な事も、主なる神様と主の御言葉を信じていく時に、見えてくるものがあります。
2.ご自分民を諸々の罪から救う王、主イエス様(21)
さらに神の使いはヨセフに告げます。「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです」(21)。「罪」とは原語では複数形ですので「諸々の罪」とも訳せます。私たち人類を不幸のどん底に突き落としてきた、その諸々の罪から御自分の民をお救い下さる救い主がマリアからお産まれになる。ですから、20節。「恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい」と天使は告げます。ヨセフは主の御言葉の通りにします(24,25)。
3.共にいて、親しく交わって下さる主イエス様(22~23)
しかも、22~23節。『このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。』。このイエス様のご降誕についてはイザヤ書7章14節の預言の成就でありました。危機的状況の中で、主の方から恵みによってユダの国に与えられた主からの「インマヌエル」預言。その預言の全貌がついに実現したのでした。人類のもろもろの罪から救って下さる救い主が、この罪深き世に、神でありながら同時に人間となってお越し下さった!困難な世でも、主イエス様を信じ受け入れる者と共に生き、寄り添い、その中に生きて下さり、親しい交わりを持って下さり、ご自身の永遠の命をもって生かして下さる為です(Ⅰヨハネ1・3、黙示録3・20)。
その後、主イエス様は十字架でわれらの罪を身代わりに背負って、身代わりに死なれます。そのために、ご降誕下さいました。ですから罪からの救い主イエス・キリスト様を信じて受け入れる時から、罪から救う力が働き、神の永遠の命がその人を真に生かします。そして罪の病とその結果である罪の生活と永遠の滅びから救われます。御子イエス様が身代わりに死ななければならないほどに罪深い場所が人間の心です。そんな心の真ん中に、罪なき聖なるイエス様が来て下さいます。そして罪に勝利し、愛に生きる人生を送らせて下さるのです。それは人類の全てのもろもろの罪を、主イエス様がすべて身代わりに背負って十字架で死んで下さったから成就した救いです。そして神の聖霊による神の御業です。
(祈り)主よ。この罪の世界に来てくださり、十字架で救いを成就し、あなたを信じる私の心の中にも来て、共にいて、親しい交わりに入れて下さり感謝します。アーメン。
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