2025年7月12日土曜日

7月13日(日)第一礼拝動画配信「神様から祝福される人生」 創世記26章23~25節(旧約45頁)

 

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説教要旨「神様から祝福される人生創世記262325(旧約45)

1.神のみ言葉を信じる中にある祝福(26・1~12

イサクの時代、その父アブラハムの時代にもあったのですが、飢饉がありました(1)。そこでイサクはゲラルという所に行きました。さらにイサクは父と同様、エジプトに身を寄せようとしたようです。当時、飢饉の時には肥沃なエジプトに下るのが当時の常識だったようです。しかし唯一まことの神様はイサクに現われて仰せられます。エジプトへは下ってはならない。わたしがあなたに告げる地に住みなさい。あなたはこの地に寄留しなさい。わたしはあなたとともにいて、あなたを祝福する。あなたとあなたの子孫に、わたしがこれらの国々をすべて与える。こうしてわたしは、あなたの父アブラハムに誓った誓いを果たす」(23。主のみ言葉通りにイサクがその地に留まり、種を蒔くと、その年に百倍の収穫を見ます(12)(当時の農業では2540倍でも豊作)。その理由は「主が彼を祝福された」(12からでした。主と主のみ言葉に信頼して従う中に、試練の中でも、主の祝福を見ます。

2.神と共に、神を第一として生きる(1325

こうしてイサクは非常に裕福になりました。しかし現地のペリシテ人たちはイサクをねたみます(1314)。それでペリシテ人はイサクの父アブラハムの時代に掘られた全ての井戸をふさぎます(15)。しかしイサクは戦争をせずにそこを去ってゲラルの谷間に天幕を張りそこに住みます(17)。イサクは井戸を再び掘りました。そして湧き水の出る井戸を見つけました(19)。どんなに財産があっても水がなかったら生きていけません。生きていくために水が必要です。本当に喜んだ事でしょう。ところがゲラルの羊飼いたちは「この水はわれわれのものだ」と言って、イサクの羊飼いたちと争ったのです(20)。イサクは戦争をせずにその地を離れます。昔の井戸掘りですから機械もない中です。井戸掘りは20~40mも掘るという大事業だそうです。しかもめったと水が出るものではないそうです。そういう中でやっと水が出たのに奪われる。これは大きな試練です。もう一度同じような事がありました。しかしイサクは争わず、そこから移って他の井戸を掘ります。その井戸については争いがなかったのでその名をレホボテ(自由の地、広々とした地)と呼びました。レホボテはゲラルよりもさらに南に40キロのエジプトに近い場所。約束の地からはみ出たのかもしれません。だからでしょうか、イサクはそこから北東およそ30キロのイスラエルの最南端(参照;Ⅰサム3:20)、ベエル・シェバに上りました(23)。最南端ですからぎりぎり約束の地という所でしょう。そこはかつて父アブラハムが主の名によって祈った所でした(2133)。試練の中で亡き父を慕い求めていたのかもしれません。

しかしその夜、主ご自身がイサクに現われて仰せられます。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加える。わたしのしもべアブラハムのゆえに」(24。父アブラハムを支え守り導き祝福して下さった主ご自身からの御声。イサクはどれほど心強く嬉しかった事でしょうか。イサクはそこに祭壇を築き主の御名によって祈ります。まず礼拝を捧げたのです。そして彼はそこに天幕(生活の拠点、家庭)を張り、イサクのしもべ達はそこに井戸を掘りました(仕事、そこに長く住む事の現れ)(25)。神第一の信仰生活です(参照;Ⅰ列王記17116「かめの粉と壺の油」の奇跡、マタイ63133)。

イサクは神に信頼し従う中で神に祝福を受けました。その根底にあるのは、「アブラハムのゆえに」。主とアブラハムとの契約のゆえに、イサクは主に祝福されたのです。私たちもイエス・キリストの十字架の血による契約のゆえに、ただ神の恵みにより、イエス様を信じる信仰によって、「キリストにあって」神の祝福にあずかります(ローマ42551、エペソ248、ヨハネ155、ガラテヤ314)。さて、イサクは試練の中で特に問題の無いレホボテに留まる事もできましたが、さらにベエル・シェバに上ってきた時、主が臨まれました。地味ですがそこに父亡き後、父アブラハムから継承した信仰が現われています。彼は誰に強制されたわけでもなく、神に従い自らを捧げます。それは主が共におられるという主の臨在の恵みの故でした。やがて敵対していた人達もイサクの祝福の歩みを見て、イサクと共に神がおられる事を認め(28)、彼の土地を認め、和平を結びます(2831)。奇しくもかつて父もこの地で和平条約を締結(2132)。ちょうどその日、掘っていた井戸から水が出たとの報告(32)。イサクは父と同じ試練を通して、神と共に生きる父と同じ信仰と祝福に導かれたのです。

【祈り】父なる神様。主を信じて従う祝福された生活をさせて下さい。アーメン。


2025年7月5日土曜日

7月6日(日)第一礼拝動画配信「いつも主イエス様を信じて生きる」使徒の働き16章25~34節(新約268頁) 

 

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説教要旨「いつも主イエス様を信じて生きる」使徒162534(新約268p

1.試練の中でも、神に信頼し続け、神を賛美したパウロたち(1625

使徒パウロがピリピという都市にいた時の事です。突然、占いの霊に取りつかれた女性がついて来て、パウロを困らせ続けます。ついに、パウロはイエス様のお名前によって占いの霊を女から追い出しました(1618)。すると、この女の占いでもうけていた人たちからパウロは恨まれ、役人に訴えられます(1921。町の人々も反対したので、パウロとシラスは何度もムチ打たれ、牢に入れられました。そして厳重に番をするように命じられた看守はふたりを奥の牢に入れ、足に足かせをかけます(2224)。良い事をしたのに、かえって苦しい目に合わせられたパウロ達。しかし獄に入れられたにもかかわらず、25節。「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた」。二人は苦難の中でも神に信頼していたのです。

 

2.人生の危機の中で受け取られた神の祝福(2634)

 すると26節。「ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。」。そして27節。「目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。」のです。ローマ法によると、囚人の脱獄を許した看守は、その囚人に課せられていたのと同じ刑に服することになっていました。看守の人生は突然の地震で一転。死に直面させられました。そして、いざ、その死に直面した時、その死の先には何の希望もなかったのです。

しかし、そんな看守の所に希望の声が聞こえたのです。「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」(28とパウロは叫びます。まさか、と思ったでしょう。けれども、その声の通りでした。牢屋の扉が開いているのに、囚人は一人も逃げ出さなかったのです。まさに奇跡です。看守の命は救われたのです。看守は、この突然の地震というハプニングを通して、人生の土台を揺り動かされました。そして、死に直面した時、その先に何の希望も救いも無い事を知ったのです。

それは同じく、死ぬかも知れない状況に置かれてもなお、神に祈り、神に賛美を捧げる、二人の不思議な囚人パウロとシラスとは全く違う自分でした。そして、看守はこの時、二人に、救われるために何をしなければならないのかを尋ねます。

看守はひれ伏して二人に「救われるために何をしなければなりませんか。」(30と尋ねます。二人は「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(31と伝えます。ローマ帝国において、主はローマ皇帝です。救い主はローマ皇帝であり、平和を与え、いのちを守ってくれるのはローマ帝国でした。彼らにとってローマ皇帝は神であり、神の子でありました。けれども地震を通して、看守は、そのローマ皇帝の支配下にあるローマ帝国の命令が、自分に死を迫り、そして、ローマ帝国は、その死の先にある絶望、滅びに対して何の力もない事を知ったのです。しかし、今や本当の救い主イエス様を信じるようにと招かれたのです。二人の囚人を苛酷な環境で生かし、強め、喜びを与えているのは、このイエス・キリストである事を知るのです。

さらに、パウロ達は伝道を続けます。32節。「そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。」。すると、3334節。「看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ」(34なんと、看守とその家族が救われました!そこには大きな喜びがありました。

看守にやってきた突然の人生の危機。けれども、その危機さえも神様の御手の中にありました。それは看守とその家族が神の祝福を受け取り、救われるきっかけとなったのです。パウロとシラスの投獄・大地震さえも、神は益に変えられました。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8・28)主イエス様は私たちに、どんな時も、絶対絶命のピンチの時でも、希望を与え、絶望から救い、生きる力を与えてくださるお方です。苦しい、惨めな環境におかれても、主を信じる者に力と愛と喜びを与え、御業をなして下さるお方です。主イエス・キリストにより頼むなら、人生の土台は決して揺り動かされる事はありません(Ⅰペテロ26

主イエス様に信頼して、家族に仕え、主を証ししていきましょう。

(祈り)父なる神様。あなたが私達の人生の土台となって下さり、感謝致します。


2025年6月26日木曜日

6月29日(日)第一礼拝動画配信「聖書が教える愛と希望」 ヨハネ14章1~6節(新約213p)

 

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説教要旨「聖書が教える愛と希望」ヨハネ14章1~6節(新約213p

今朝はヨハネ14章1~6節を心にとめましょう。以前、英国女王エリザベス2世の国葬でもこの聖書の箇所が、当時のトラス首相によって朗読されました。

この時の弟子たちは、これからイエス様が歩まれる道(十字架へ)について不穏な空気を感じ、先行きが見えず、恐れと不安の中にいたようです。そんな弟子たちに主イエス様は改めてご自身が一体誰であるのかをお示しになったのです。

1.信仰者の心を守り、平安をくださる、主イエス・キリスト(1

1節。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。聖書において啓示されている、唯一まことの絶対者なる神、全知全能の創造主なる神を信じ、また神の子であり神である、主イエス・キリストを信頼し続ける時、神に支えられ平安が与えられて安心し、恐れと不安から守られ、「心を騒がせられること」、「心かき乱されること」から守られます。と共に神に祈る時に平安が与えられる事を聖書は教えています(ピリピ人への手紙4・6,7)。その事を通して聖書の教える唯一まことの神は生きておられる事を知ります。

 

2.神の御許(天国)に居場所を用意して下さった主イエス・キリスト(2~3)

続いて2でイエス様は言います。わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。」。「住む所」とは「父(唯一まことの神の事)の家」にあります。そこは天国、神の国、父なる神の御許とも言い換えられます。神の身許には多くの住まい、居場所があります。さらに3節。「わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです」。永遠にずっと共にあなたと天国で(この世でも)過ごしたい、という切なる神の愛が表されています。聖書では、その神の愛は、親が子を愛する愛や、新郎が新婦を愛する愛にたとえられています。唯一まことの主なる神は、あなたや私たちにご自分の命を与えるほどに最高に愛して下さっています(ヨハネ316)。ですから、父なる神の御許、天国に私達の永遠の居場所を用意するために、主イエス・キリストはこの後、十字架で死なれます。イエス様以外の全ての人間は皆、「原罪」という罪を抱えて生まれてきます。神の前に罪ある人間は、完全に正しい唯一のまことの神のご支配(神の国)に自分の力では入れません。その原因である「人間の罪」の為に罪なきイエス様が十字架で身代りに死んで下さったのです。父なる神の怒りの刑罰を身代わりに引き受けて下さったからです。それは救い主イエス様を信じる者の罪が赦され、無罪とされ、罪きよめられ、聖なるイエス様と父なる神の御許でいつも親しくできるようにするためです。神とのお交わりを通して信仰者に、神ご自身のご性質(聖さ・愛、義等)が分け与えられるためです。その証拠としてキリストは死後三日目に復活し、弟子達に現れ、弟子達の前で天に引き上げられ、父なる神の王座のある天にお帰りになりました。そして今も一切の権威をもって天に座しておられます。ですからイエス様は目には見えませんが、イエス様を信じて父なる神に近づく者をいつでも救う事がおできになるのです(へブル72425)。この神の与えて下さった救いに、神からの愛と希望があるのです!

 

3.天国の唯一の道である主イエス・キリスト(4~6)

4節。キリスト様は続けて言われました。「わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています。」。その時、弟子のトマスが私たちの思いを代弁しているようにイエス様に聞いてくれています。5節。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか」と。トマスはここで実際に歩いて行く道路を知ろうとしていましたが、イエス様の回答はトマスのイメージとは違います。すなわち6節。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」。主イエス様はトマスに対して「わたしがその天国の道なのだ」と言われます。イエス様がご自身が天国の道、真理そのもの、永遠の命なのです。イエス様だけが父なる神の御許、唯一の神の家、天国への道です。イエス様はまるで花婿が花嫁をエスコートするように天の家へと導かれます!

(結論)主イエス・キリストこそが「道であり、真理であり、命」です。イエス様だけが唯一まことの父なる神の御許、ただ一つの天国の家への、一本道です!

(祈り)天の父なる神様。唯一まことの永遠の命の道、天国への道、主イエス・キリスト様に信頼して、このお方と共に天国の道を歩んで参ります。イエス様によって、アーメン。