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2024年10月5日土曜日

10月6日(日)第一礼拝録画配信「主は私の牧者」(後藤健一)詩篇23・1~6(旧約954頁) 


基本集会のご案内

〇日曜礼拝(毎週日曜日午前)*第一、第二礼拝等のご案内

第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)

*席数は第二礼拝に比べて空席(15席程)は十分あります(駐車場は軽4台or普通車2台程。事前にご連絡頂くと駐車場の空きの確認や予約ができて確実です。どうぞ、ご相談下さい)。空席状況や駐車場がご心配の方はあらかじめご連絡ください。

午前930分~10頃 *終了時間が10時15分頃まで延長する場合もあります。

【ライブ(録画)配信でもご視聴できます】

*回線不具合等により、配信開始が遅くなる場合や配信ができない場合もあります。時折起こる回線不具合の為、第二礼拝、午後礼拝の配信となる場合もございます。あらかじめご了承ください。

*説教者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。

*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。




*【予備】回線不具合時には↓こちらをお試し下さい
(対応に少し時間がかかる場合があります。10分しても復旧しない場合は、
下の方をスクロールして頂くと出てきます、
礼拝プログラムや説教要旨を用いて各自で礼拝をお捧げになられてください。)

第二礼拝 午前1030分~11時45分頃

 (お話は第一礼拝よりも詳しくお話します)

☆諸事情により、どうしても上の時間帯での礼拝出席がかなわず、その他の時間帯での個別の礼拝【早朝(例・朝6時~6時半)礼拝、午後礼拝、夕礼拝(午後8時~8時半)等】の時をご希望の方は、ご遠慮なく、事前にご相談ください。なるべく対応させて頂きます。

☆彡 現在の当教会のコロナ対策方針  

各自で適宜お気をつけください。

☆なお引き続き密は避けるため席数15席程)が限られています。また駐車場も軽自動車4台分(実質2~3台分)と限られています。ご参考までに、現在は午前9時半~の第一礼拝の集会の方が空席が15席程と十分あります。第二礼拝は日によっては空席が4~5席の時もあります。空席状況がご心配の方はあらかじめご連絡頂く事をお勧めしております(特に第二礼拝出席時)。

(教会の電話 095(870)7200、あるいは牧師直通携帯;080-6322-5554)。

☆引き続き、コロナ対策の為、ご体調のすぐれない方や、コロナの感染がご心配な方は、ご無理はなさらないで、上の方にあります、「礼拝ライブ配信または録画配信」を用いて、ご自宅にて、主なる神様を礼拝頂ければと存じます。その他、ご心配な点等やご質問等ございましたら、どうぞ、お尋ね下さい。

〇教会学校(子ども) 午前9時半~10時頃

〇聖書研究祈り会 毎週水曜日 午前1030分~1130分頃

〇こども宿題タイム (基本)毎週木曜日 午後3時~4時半頃 

*各集会は全て無料ですが礼拝では自由献金の時があります(強制ではなく自由です)

*教会学校、聖書研究祈り会、こども宿題タイムはお休みの時もありますので、

 HPで最新情報をお確かめになられるか、お電話等でお尋ねください。


「やさしい聖書の学び」(お申し込み随時受付中)*ご都合の良いお時間で聖書を学べます。オンラインでも個別にも対応致します。ご遠慮なくご相談下さい。

*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。


☆彡教会周辺の地図はこちら↓


メッセージ要旨

第一礼拝説教要旨「主は私の牧者」(後藤健一)詩篇2316(旧約954)

今朝は、有名な詩篇23篇から、私たちを愛し守り養われる、唯一真の神様について見ます。冒頭「ダビデの賛歌」とあります。詩篇23篇はイスラエルの名君であったダビデ王の歌です。ダビデ王が晩年に人生の様々な悩みをなめつくした後、人生を振り返って歌ったと言われています。特にダビデが息子に謀反を起こされ、命を狙われる、苦しい状況の中でバルジライという人に接待をされた事が背景にあると言われています(第二サムエル172729)。ダビデは王になる前は羊飼いでした。彼はこの詩篇23篇にて、自分を羊にたとえ、唯一真の神様(「主」とも呼びます)を羊飼いにたとえて、実体験をもとに歌っています。

1.いつも共にいて、愛して守り養って下さる主なる神(1~3)

1節。ダビデは主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。と歌います。羊は弱い動物で羊飼いがいないと生きてはいけません。ダビデ自身も羊飼いでしたのでよくわかっていました。その上でダビデは一国の王でありながら、主が羊飼いで自らを主の羊と告白します。ここにダビデの謙遜を見ます。

2節。主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。。緑の牧場とは餌のある所。パレスチナでは牧草と水は乏しく、優れた牧者によってのみ、そこを捜し当てる事ができます。か弱い羊の一切は牧者にかかっています。牧者なしには飢えと猛獣の危険からの守りの保証はありません。緑の牧場に「伏す」とは安心して餌を食べ身を横たえる事のできる安全な状態。羊飼いを信用していないとできず、それだけ主は信頼できる羊飼いだという事です。

3節。主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。。主なる神は信仰者を正しい道に導き、救いに導き、その魂をよみがえらせ、何度も回復させます。それは「御名のため」です。「御名」とは神ご自身と、その聖なる神の御性質(愛、義、真実等)を現わします。神は正しいので正しい道に導きます。それはご自身の聖なるご性質にあずからせる為です。

 

2.どんな試練の中でも見捨てずに、共にいて、守り導いて下さる主なる神(4)

ですから、たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。(4)と告白できます。「死の陰の谷」とは狭く険しく見通しの効かない場所。パレスチナには深い谷があり、猛獣がそこに住んでしばしば羊を襲いました。しかし災いを恐れないと言えるまでの主の守りと導きへの信頼です。目に見えない主の現実の守り(むち)と導き(杖)によって、主を知ります。救い主イエス・キリストは「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ1011)と言われました。主イエスこそ真の牧者です。このお方は決してご自身を信頼する者を見捨てません(へブル135)。

 

3.敵から常に守りつつ、敵前でも祝福を注いで下さる主なる神(56)

主は守りに加え、豊かな恵みを注ぎ続けてくださいます。ですから5節。私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれていますと歌われます。主の守りがあるので敵の前でも平然と食事ができるほど安全なのです。一方で、愛する息子に追われて逃げるダビデ。その背後には自分の犯した罪の刈り取りもありました(Ⅱサムエル1211)。どれほどつらかったでしょうか。しかし神はそんなダビデを追いかけるようにして彼を守り、祝福を注いで下さったのです!ダビデは息子に追われ、涙を流しましたが(1530)、この神の愛と恵みに感激の涙を流したと思うのです。頭に香油を注いでくださいますとは喜びの象徴。主人が客人の頭に油を注ぐことはパレスチナでは客を歓迎する時の習慣でした。 

「杯」は人生を現わし、杯があふれるとは神様からの豊かなおもてなしによって人生に神様の祝福があふれている様子でしょう。自分の罪の刈り取り、愛する息子が敵になる苦しみ。しかし何とその時すら主の完全な守りと豊かな祝福がありました!ですから6節。「まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます」。原語では冒頭に「とだけ」とあります。「いつくしみ」(原語は「へセド」で「契約に基づく愛」)と「恵み」(「良い事」)「だけが」ダビデを追いかける!試練の中でも、神の愛と良き事だけがダビデを追いかけ、守り祝福する!その神の愛と恵みはいのちの日の限りあり、今も、試練の中でも常にあるのです。

【祈り】父なる神様。あなたは決して私を見捨てず、共にいて、守って下さると信じます。



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