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「救い、回復せずにはおれない父なる神の愛」ルカの福音書15・11~24(新約149~150頁)
1.イエス様のたとえ話(15・1~10)
ある時、他のユダヤ人から「罪人」と呼ばれて嫌われている人たちがイエス様の話を聞きにきました。イエス様は彼らを受け入れ一緒に食事をしました。律法学者、パリサイ人と呼ばれる当時のユダヤ教の宗教指導者たちは、イエス様のこの行動を非難しつぶやきます。そこでイエス様は①100匹の羊と羊飼いのたとえ、②10枚の銀貨と婦人のたとえ、そして、③二人の兄弟と父親のたとえのお話をされました。有名な「放蕩息子」のたとえ話です。このようなお話です。
2.放蕩息子とその父親のたとえ話(11~24)
ある人に二人の息子がいました(11)。弟息子は自分の相続財産分を父に要求します。父親は財産を二人に分け与えます(12)。しかし弟息子は父親の財産を換金して遠い外国に出て行きます(13)。しかし、そこで財産を湯水のように使い果たして死にそうになるのです(13~16)。その時、この人は幸いにも本心に立ち帰りました。17~19節。「彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』」。彼はこのように決心して父の所に帰ります(20)。すると何と父親がその息子を目がけて走り寄ります。しかし父親は怒るどころか、彼をかわいそうに思って、その息子を抱きしめ、何度もその首に口づけするのです(20)。弟息子は驚愕したことでしょう。そして父に言おうと思っていた事を父に言います。21節。「『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』…」。そして、息子が「雇い人の一人にしてください。」と言おうとしたその時!父親は僕たちに言いつけます(22~24)。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』。その言葉の通り父親は急いで息子を息子にふさわしく装うのです。そして息子の帰りを心から喜んで、最高のごちそうをもって祝宴をします(24)。
「食べて祝おう」は原語では受身形ですから「食べてみんなで祝わせてもらおう!」というニュアンスでしょう。「私にお前の事を喜ばせてくれ!お前の帰りを私にお祝いさせてくれ!」という父親の喜びの叫びです!これは神様の一方的な無条件の愛を表しています。父なる神様はいつも、あなたという存在そのものを無条件で愛し、あなたの思いや考えをはるかに超えて、あなたを愛しておられます。私たちが思うような自分でなく、もどかしい時も、主はそれでも、私たち一人一人を愛してくださっているのです。そして、父なる神に心を向けて、主イエス様を信じて、父なる神に立ち帰る(悔い改め)人は、イエス・キリストの十字架での身代わりの死のゆえに、神の赦しを頂き、神の義による「義の衣」を着せて頂き、覆ってもらうのです。イエス・キリストを信じる者は、イエス・キリストの「義」に覆っていただけます。それにより、神に義と認められ、神に受け入れられます。父なる神は、御子イエス様を見るように、イエス様を信じて結ばれた者たちを見て、受け入れて下さるのです。この愛がどれほどの犠牲の代価が支払われた愛かと思うのです。それはキリストの血、いのちの支払われた義の衣です。それを着せて頂くのです。キリストと結ばれた生涯がそこからスタートします。神に受け入れられ、神のいのち永遠のいのちにあずかって生きるのです。そこにイエス様のように変えられて行く生涯が開かれます。父なる神様は全ての人が神に立ち帰って来る事を心待ちにしておられます。一人の罪びとが悔い改めて、救い主イエス・キリストを信じて、父なる神のところに帰ってきたら、父なる神様の喜びはものすごい喜びです。そして父なる神様のみもとに帰る一本道こそ唯一の救い主イエス・キリスト様です(ヨハネ14・6)。主イエス様は私たちの罪を身代わりに背負って十字架で死なれました。父なる神は最愛の息子を犠牲にされました。これにより、主イエス様を信じる者が父なる神様に受け入れられるようにして下さいました。主イエス様は父なる神様の御許からお迎えに来られました。主イエス様に信頼して、共に、父なる神の永遠の愛の祝宴という、天国の交わりの中に進み、お互いも兄弟姉妹として、愛し合っていけたら幸いです。
【祈り】天の父なる神様。あなたは、私が、うまくいっていてもそうでなくても、私という存在を常に最高に愛し続けてくださっていることを感謝致します。アーメン。