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2022年3月27日日曜日

4月3日(日)礼拝メッセージ要旨・録画「柔和な者は幸いです」マタイの福音書5章5節

☆4月3日(日)第一礼拝録画配信ご視聴される方は↓の枠内のをクリックしてください。youtubeを見る」がある場合は、そちらをクリックするとご視聴できます。



メッセージ中心聖句


柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。          (マタイの福音書5章5節)

説教要旨「柔和な者は幸いです」マタイ5章5節(新約6頁)    

 2022年度の最初の4月第一主日の日曜日を迎えました。2022年の長崎めぐみ教会の標語として、「主にあって共に幸せになる教会」という標語を掲げさせて頂きました。テーマ聖句はマタイの福音書2820の主イエス様の御言葉。「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」です。この事を意識しつつ、同じマタイの福音書より、先週から主イエス様の山上の説教を見ております。主イエス様の御口から語られる、権威ある神の御言葉、神のみ教えです。

この主イエス様の御言葉は神の言葉です。この神の言葉を聴いて、弟子たちや群衆はイエス様についていくようになりました(マタイ41722)。また、彼らは主イエス様のお言葉と御人格と御業によって導かれてきた人たちです。

1.幸せとは何か?(マタイ5・1~4)

「幸せとは何か」とはよく問われる事です。この点、先の群集がついて来て(マタイ4・23~25)、その周りを取り囲んで聴いている中で(5・1)、主イエス様の弟子達がイエス様のみそばに集まって来ます。そこで主イエス様は、本当に幸せな人について、繰り返し教えて、お語りになりました(マタイ5・1~2)。

先週は5章3~4節に注目しました。心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。。心すなわち霊において貧しい者、すなわち自分の罪や足らなさを自覚している人は、自分の罪や足らなさを悲しみ、救いを求めて、主イエス・キリストに信頼します。そして救われます。また天の御国、すなわち、主イエス様の愛と恵みのご支配の中にへりくだって入れて頂きます。そしてその中で主に信頼して生きます。そこで神様の愛と恵みと助けと慰めと供給を体験して生きます。だから幸いなのです。

ですから、この「幸いです」は主イエス・キリストの救いにあずかる人たちだけに与えられる祝福を指しています(ウェスレアン聖書注解p32)。この山上の説教では、おもに、主イエス・キリスト様の弟子の性質と弟子の祝福が示されているのです。

もちろん、だからといって、神様はクリスチャンやキリストの弟子だけを愛しているのではありません。全ての人を愛しておられます。そして、全ての人に恵みを下さっています。しかし、主なる神様はそれで満足されません。全ての人を愛するがゆえに、全ての人が、イエス様を救い主と信じて受け入れて救われて、この神様が与えようとしておられる、永遠の天国の幸いに導こうとしておられるのです。

2.柔和な者は幸いです(5

 今朝は続く5節に注目します。「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」「柔和な者」とは3節の「心の貧しい者」とほとんど同じ意味(新聖書注解)。なお関連する旧約聖書の聖句は篇37・11。「しかし 柔和な人は地を受け継ぎ 豊かな繁栄を自らの喜びとする」。ここで「柔和な人」のヘブル語的な意味として「ヤハウェ(主)と、その御旨に従う」とありました(岩隈「新約ギリシャ語辞典」)。柔和な者とは主イエスを信じて救われて、さらに主とその御旨に従う人なのです。そういう人は確かに神の祝福を受けます。

柔和」は聖霊の実です。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」(ガラテヤ5・22)。これらの品性の実は、生まれつきある性質ではなく、悔い改めて、主イエス・キリストを信じて神に立ち帰り、神の聖霊の導きに従って、神に従う時に現れてきます。すなわち様々な試練の中でも忍耐強く主に従う人です。柔和は軟弱とは違います。世の試練や迫害や誘惑や圧迫があっても、主に信頼し従い続ける忍耐強い人です。だから柔和なのです。

その人は「地を受け継ぐ」のです。その人には神からの平安が与えられ、神に祝福されます。そのような人は、たといこの世で報いられなくても、最終的に天国において報いられて神の相続にあずかるのです。「私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます」(Ⅱペテロ3・13)

クリスチャン、キリストの弟子となった後も、私たち自身の力では、神に従う事において貧しく、不可能な者です。だからこそ主イエス様から来る聖霊の助けが必要です。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、(信仰の)目を離さないでいなさい」(へブル12・2)。キリストの弟子として最高に柔和なお方である主イエス様に信頼し倣い従いましょう。「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11・28~30)

(祈り)天の父なる神様。あなたに忍耐強く信頼して従う人が最終的に勝利し、あなたから神の国の嗣業を受け継ぐ事を学びました。この世の栄華や権力闘争に惑わされず、柔和の模範である主イエス様に信頼し、倣い従います。アーメン。

*メッセージ内容について、分かりづらいところ、疑問に思うところなど、ご質問、ご意見、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。


2022年3月24日木曜日

3月27日(日)礼拝説教要旨・録画「心の貧しい者がなぜ幸いなのか?」マタイ5章1~4節

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【今日の聖句】


心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。  

(マタイの福音書5章3節)


【説教要旨】

「心の貧しい者がなぜ幸いなのか?」マタイ5章14(新約6頁)

新型コロナやウクライナでの戦争、様々な自然災害、それらに伴う経済的な諸問題、長引く先行き不透明感等、よりストレスの多い昨今。今まで感じていた幸福感が感じられなくなってきた方もおられるでしょうか。ではそもそも幸せとは何でしょうか。私はずいぶん前、親しいある方に「幸せってなあに?」と尋ねられた事がありました。事あるごとにその問いを思い出してきました。では聖書には何と書いてあるのでしょうか。今日から、キリスト様の山上の説教からこの事を学んでいきましょう。主イエス様は多くの群集が聞く中で、イエス様の弟子達に本当に幸せな人について、繰り返しお語りになりました(マタイ5・1~2)。

1.心の貧しい者は幸い(3)

私が学生時代の時、ある大学教授の先生が、私に、どうして心の貧しい人が幸いだとキリストは言ったのだろうか、という事を尋ねられました。何と答えたかは覚えてはいませんが、すんなりとは答えられなかった記憶があります。

イエス様は山上の説教で言われました。心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。(3)。ここで「心」は直訳すると「霊において」です。「貧しい」とは「徹底的に貧しい人」。どうして、このような人が幸いなのでしょうか。これは神に対する霊的こじき同然の意味で「この世で圧迫され、失望し、神の助けを必要とし、これにより頼んでいる人」の事です。天の王国は彼のものである、とイエス様はおっしゃいます。この人は神様の前に自分の罪と貧しさを自覚しているからです。だからこそ主なる神様に頼ります。

父なる神は全ての人の罪のために、神の独り子イエス・キリストを遣わし、身代わりに十字架で死ぬ事を許しました。ですから、このキリスト様の身代わりの死のおかげで、自分の霊的貧しさ、すなわち自分の罪を素直に認め、自分では救われない事を認めて、主イエス様を信じる人は全ての罪が赦され、救われるのです。そして、天国、神の国に入るのです。イエス様は、「砕かれた心でへりくだって神に全く信頼している心の貧しい人」に天の御国、神の恵みの支配をおよぼしてくださいます。鍵は、ここでも、主イエス・キリストへの信仰、信頼です。心の貧しい者+主イエス・キリスト=幸いな人、なのです。これはキリストの弟子、クリスチャンの特質です。

天の御国、すなわち「神の国」とは神の恵みのご支配のことです。神の恵みのご支配を、神の国を受け入れる。つまり、私たちがキリスト様に信頼して、自らをキリスト様に明け渡して、ご支配して頂いて生きる時に、その人は神の国に生かされ生きるのです。その人はこの世におりながらも、天国の民として生きるのです。その心には天国があります。イエス様とその神ご自身のお言葉に信頼して生きていく時、聖霊なる神様がこのような幸いな人生を送らせて下さいます。それはこの世の与える一時的な幸いではなく、神の国の幸いに生きる永遠の幸いです。私たちはこの試練の世の中でも、主イエス・キリスト様に信頼し、明け渡して、神の恵みの支配の中に生かされていく時に、神の国に生きる幸いな人生を送るのです。

2.悲しむ者は幸い(4)

さて、4節。「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」。また、自分の罪や、他の人の罪、この世の罪に直面する時に、その罪を悲しむ人は幸いです。罪に直面する時に悲しみがあります。正しく生きようとすればするほど、愛に生きようとすればするほど、罪という悲しい現実をに直面します。それは悲しみです。しかし、その人の悲しみはイエス様によって慰められます。なぜなら、主イエス様は全人類の全ての罪、悪から来る苦しみを受け、特に十字架において最大の苦しみを受けました。だから、イエス様はどんな試練、悲しみ、苦しみの中にある人をも慰めることができるからです。主イエス様を信じる人は、この世の罪、悪、滅びから救われます。

また、主に従って伝道をしていく中で、イエス様を信じて救われてくる人も起きてきます。その時に、これまでの悲しみが吹き飛ぶほどに、慰められます。また伝道しても、思うような結果が出ずに悲しみを体験したとしても、そのような悲しみの全てを知っておられる主イエス様が、すべてをご存じの上で慰めて下さるので、幸いなのです。

悲しんでいる人は幸いです。その人は、神によって必ず慰められるからです。ここでも鍵は主イエス・キリストへの信仰、信頼です。ここでも、悲しんでいる人+主イエス・キリスト=幸いな人、なのです。これもまたキリストの弟子、クリスチャンの特質です。

正直な人であれば、この世にあっては、自分の心の貧しさ、霊の貧しさを痛感します。そして、それらを悲しみます。この世の罪の現実の前に、自分の力の無さを悲しみます。ウクライナでの戦争もしかりです。自分たちではどうすることもできない罪や悪に直面し悲しむ事があります。だからこそ、全ての人には、すべてを統べ治め、一切の権威をもち、全知全能の創造主なる唯一まことの父なる神に立ち帰り救って頂く事が必要なのです。唯一まことの救い主イエス・キリスト様が必要なのです。そしてその事に気づき、主イエス・キリスト様を信じて救われ、神の国の愛の支配の中で守られ、どんな時でも慰められ助けられ、神の命に生かされて、生きる人こそ真に幸いな人なのです。

(祈り)天の父なる神様。自分の心の貧しさ、罪深さを悲しみつつも、主イエス様を信じて従って行きます。神の国に生きる幸いな者として下さい。アーメン。

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2022年3月17日木曜日

3月20日(日)礼拝説教要旨・録画「永遠不滅の主イエス・キリストの愛」エペソ6章21~24節

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【聖句】


信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。朽ちることのない愛をもって私たちの主イエス・キリストを愛する、すべての人とともに、恵みがありますように。               

(エペソ人へ手紙6章2324節)


【説教要旨】

永遠不滅の主イエス・キリストの愛エペソ人への手紙62124(新約392)

この手紙もいよいよ最後の箇所です。最後まで充実した内容で一杯です。

1. 使徒パウロが示す模範~不自由な中でもできる事がある~(2122

62122節。「私の様子や私が何をしているかを、あなたがたにも分かってもらうために、愛する兄弟、主にある忠実な奉仕者であるティキコがすべてを知らせます。ティキコをあなたがたのもとに遣わすのは、ほかでもなく、あなたがたが私たちの様子を知って、心に励ましを受けるためです。」とあります。使徒パウロは、自分の様子や自分が何をしているかを教会の兄弟姉妹に分かってもらおうとしています。電話もメールもインターネットも、その他いわゆるSNSソーシャル・ネットワーキング・サービス。ネット上で社会的ネットワーク(ソーシャル・ネットワーク)を構築可能にするサービス】もない時代です。そういう中で使徒パウロは自分の事をよく知っている、忠実な奉仕者ティキコを派遣して、自分の事等を伝えます。

使徒パウロの様子等についてはこの手紙にも書いています。その直前の1920節には「また、私のためにも、私が口を開くときに語るべきことばが与えられて、福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」とあります。使徒パウロは、福音、すなわち、主イエス・キリストについて、その救いについて伝えていました。すなわち「あなたがたの神は王であられる」(イザヤ527とありますように、主イエス・キリストが神の国の王として来られて、十字架と復活によって、罪と悪魔と死の奴隷から、主イエス様を信じる者を解放して自由にして下さったという事です。

罪と悪魔と死に勝利して下さった救い主キリストを、使徒パウロは宣べ伝えていたが故に、逮捕されて牢屋につながれていたのでした。それでも彼は、主なる神に不撓不屈の祈りを捧げながら、教会に手紙を書き、機会を活かして福音を宣べ伝えていたのでした。この手紙の一つがこの聖書の一部であるこのエペソ人への手紙であり、2000年近くたった今でも、聖霊様のお働きによって、この手紙を通して、世界中に福音が示され続けています。使徒パウロ先生が鎖につながれ、不自由な状態であったにもかかわらず、その中で使徒パウロにはできる事が残されていました。それは先週見たように、不撓不屈の祈りであり、この手紙を教会に書く事でありました。そして主にある忠実な奉仕者であるティキコを遣わす事でした。それは自分の様子や自分のしている事を教会の兄弟姉妹に示して励ますためでした。それらは全て福音宣教の拡大につながる事でした。使徒パウロが自由に動き回れた時にしていた事に勝るとも劣らない働きと言っても言い過ぎではないでしょう。

私達もコロナ禍で、コロナ禍以前よりも不自由があります。しかし、コロナ禍でもできる事もあります。むしろ、コロナ禍だからこそ集中してできる事があるでしょう。不自由を嘆くよりも、この不自由な中でもできる事を捜し、その中で、やれることをもって、愛の業に励み、福音を宣教していきましょう。そのことがかえって福音宣教の拡大につながるかもしれません。少なくとも、誰かのために、とりなし祈る事ができます。不撓不屈の祈りを呼吸のように続けながら、神様から与えられているチャンスを活かして、隣人への愛の業に励み、主イエス・キリストの福音、良いおとずれをお伝えして参りましょう。主は必ず、良い業に報いて下さいます(エペソ68)。

2.永遠不滅のキリストの平安と愛と恵み(寵愛)を求める祈り(2324

2324節。「信仰に伴う、平安と愛が、父なる神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。朽ちることのない愛をもって私たちの主イエス・キリストを愛する、すべての人とともに、恵みがありますように。」。最後はこの使徒パウロの祈りで締めくくられています。「平安」は神の命溢れる状態。「愛」は神からの愛です。パウロは最後に、平安と信仰と共に、最も大切な愛を祈り求めます。その神の愛を受けて、その愛をもって「主イエス・キリスト」「愛」します。その様な人を神はますますんで(寵愛して)下さいます。「朽ちることのない」「主イエス・キリスト」にかける翻訳も可能です。意訳すれば「主イエス・キリストは永遠に不滅」です!

(祈り)天の父なる神様。使徒パウロの模範から、不自由な中でも福音宣教のためにできる事がある事がわかりました。祈りつつ取り組みます。イエス様によって、アーメン。

*メッセージ内容について、分かりづらい所や疑問に思う事等、ご質問、ご意見、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。


2022年3月9日水曜日

【シェア】緊急!ウクライナ難民キリスト教支援団体情報

 (1)ハンガーゼロ

ウクライナ緊急支援活動の募金受付開始
https://www.jifh.org/news/2022/03/post-670.html
募金の窓口(1)郵便振替 00170-9-68590 一般財団法人日本国際飢餓対策
機構「ウクライナ緊急支援」と明記 (2)ホームページ 募金画面からクレジ
ットカード、コンビニ決済がご利用できます。

(2)ワールド・ビジョン
WVJでは、募金の受付を開始しております。
https://www.worldvision.jp/news/press/20220228.html
WVJを含め、世界各地のオフィスから集まった募金は、WVルーマニアによるウク
ライナ難民の支援活動等のために送られます。

(3)救世軍
救世軍の働きについて現状と献金の受付について情報を共有させて頂きます。
https://www.salvationarmy.or.jp/etc/7866

3月6日(日)礼拝説教要旨・録画「神のみ言葉を身につける」エペソ人への手紙6章11~17節

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   聖書の御言葉

悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身につけなさい。(エペソ人へ手紙6章11節)


説教要旨

神のみ言葉を身につけるエペソ人への手紙61117(新約392)(改訂)

先週に引きつづき、エペソ人への手紙を見て参りましょう。これまで、「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい」(エペソ521)というクリスチャン生活の大原則を、夫婦関係(52233)、親子関係(614)、主従関係(6・59)の人間関係の中で、それぞれ具体的に学んで来ました。そして、さらに学ぶべき重要な事が、この61020節に記されています。

それはクリスチャン生活には霊的な戦いがあり、その相手は人ではなく、人の力では決して太刀打ちできない悪魔であるという事です。悪魔に対して、二つの間違った向き合い方があります。一つは、悪魔なんかいない、と悪魔を無視して生きる生き方。しかし聖書は悪魔の存在をはっきりと述べています。敵がいるのに敵の存在に気が付いていない、これは危険です。また悪魔と聞くと例えばバイキンマンのようなおもしろおかしい、それでいて憎めないキャラクターを想像するかもしれません。しかし悪魔は人間を神から引き離し、人間の生活を崩壊させ、地獄に道ずれになるように導く存在です。たまに悪さをする程度のおっちょこちょいで憎めないというような軽い存在ではありません。悪魔をあなどるのも危険です。悪魔は人間よりもずる賢く、超自然的な力の持ち主です。人は悪魔に自分の力では勝てないのです。

悪魔をあなどってはなりませんが、しかし恐れるのも間違っています。悪魔とて神様に対して何の力もなく、神様の許しがなければ何もできないからです。なぜかはわかりませんが、神様の計り知れない御主権とお考えの中で、悪魔が存在することが許されていて、また悪魔が人間に対して誘惑したり迫害したりする事も神様が許される範囲で限定的に許されています。しかし神様は悪魔をも支配しています。悪魔は神様に逆らっている存在ですが、神様の許しなしには何もできないのです。だから悪魔を恐れる必要はないのです。

だからこそクリスチャンは悪魔に打ち勝つために、主にある「大能の力」により頼みます(10)。すでに悪魔に勝利されたイエス様に信頼します。具体的には御言葉(1117)と祈り(1824)です。1417節には六つの武具が記されていますが、要するに、神の言葉を身に着ける、という事です。神の言葉を信じて従うという事です。①「真理の帯」。すなわち福音の真理そのものを着るのです。そして、真理であるキリストに従い、真理に生きるのです。②「正義の胸当て」。キリストを信じる信仰によって義とされている者として、義に生きるのです。③「平和の福音の備え」を履く。信仰者としての足元がふらつかないように、しっかりと福音に信じて立つ。だからこそ他の人に福音を伝える事ができる。④「信仰の盾」。全身をすっぽりとつつむ程の大きな盾のイメージ。悪魔が鎧をも貫く誘惑と迫害の火矢を打ってきても跳ね返す、救いの信仰です(エペソ2・8)。神のみことばを信じて、悪魔の誘惑、攻撃を跳ね返すのです。⑤「救いのかぶと」。「勝って兜の緒を締めよ」という言葉を思い出します。油断せず、絶えず、福音を信じ続ける事でしょう。⑥「御霊の剣」である神の言葉です。イエス様も悪魔の攻撃を三度、(聖書にはこう)書いてある」と跳ね返しました(マタイ4・1~10)。これらの6つの武具である神の言葉は神から授けられた、神の賜物です。神は備えて下さっています。あとはそれを信じて自分の身に着けるか否かです。聴きっぱなし、読みっぱなしではなく、御言葉を信じて従い、自分のものとしましょう。ヤコブ4・7。「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」

悪魔と手を組んでいるなら悪魔と戦いはないでしょう。しかし神に敵対する事になります。そして悪魔はその人を滅びに道ずれにします。しかし神に従うなら悪魔に敵対するのです。悪魔はあの手この手で神から引き離そうとします。迫害かもしれません。または誘惑かもしれません。巧妙です。どんな手であれ真の神様から信仰者の信仰を反らせ、また神に従わせなくしていくのです。いきなり大きな試練でとは限らず、少しずつ御言葉に従う事をやめさせていって神から引き離す事もある。悪魔は人間を神から引き離そうと、あの手この手で攻撃と誘惑をしかけてきます。キリスト者は生きている限り、目を覚まして、悪魔の策略を神の御言葉によって見抜き、戦い続けなければなりません。しかし罪と悪魔と罪の世にすでに勝利された主イエス様が共におられます。神の御言葉に堅く信頼して離れず主に祈りつつ生活しましょう。

(祈り)天の父なる神様。神の御言葉に生きるクリスチャン生活を邪魔する、悪魔の働きを見抜き、神の御言葉を身につけて勝利できますように。イエス様によって、アーメン。

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2022年3月1日火曜日

2月27日(日)礼拝説教要旨・録画「良い業に主が報いて下さる」エペソ6章5~9節

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   聖句


奴隷であっても自由人であっても、良いことを行えば、それぞれ 主からその報いを受けることを、あなたがたは知っています。(エペソ人へ手紙6章8節)


説教要旨

「良い業に主が報いて下さる」エペソ人への手紙6章5~9節(新約391)

先週に引きつづき、エペソ人への手紙を見て参りましょう。これまで、「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい」(エペソ521)という事を、夫婦関係(52233)、親子関係(614)の関係の中で学んで来ました。「恐れて」とは「畏敬の念をもって」という事でした。イエス様は神でありながら、私たちの罪を背負って、身代わりに死んで下さいました。私たちはこのキリストのおそるべき愛の故に、キリストへの畏敬の念をもって、キリストに信頼してその愛の教えに従い、隣人を愛し、罪を犯すことは別にして、隣人に従い仕えるのです。キリスト様が私たちを愛して仕えて下さったように、夫婦関係、親子関係において、互いに愛し合い仕え合うのです。そして、それは今日取り上げられている社会生活においてもあてはまります。

先日、教区総会におきまして教区長よりメッセージをお聴きする中で、ゴスペル(福音)ソングのルーツについてのお話がありました。イエス様を信じて救われてもなお苦しみの中にあった黒人の方々が、苦しみの中で、ゴスペルを歌いながら、天の御国を覚えていたと言います。さらにネットで調べると次のような記事がありました。「アメリカ合衆国で奴隷制度が合法化されていた17世紀半ばから、憲法で公式に廃止される1865年までに多くの人々がアフリカ大陸から奴隷として連行されました。このようなアフリカ系アメリカ人は、彼らの宗教や文化を奪われ苦しい生活を強いられるなかで、キリスト教の福音(ゴスペル)に救いを求めたのです。魂の救済を願い、神に感謝と賛美を捧げるために密かに歌いはじめたのが、ゴスペルのルーツといわれています。奴隷制度が廃止されてからも厳しい人種差別は続き、アフリカ系アメリカ人は教会にも入ることができなかったため、独自の集会を開き礼拝を行いました。このような黒人教会で歌い継がれ、発展していったのがゴスペルでした。苦しい現実に耐え、明日への希望を見出すための魂の叫びが、神を讃え、神とともに生きる喜びの歌として表現されているのです。」。この世にあっては、イエス様を信じて後も、主従関係の中で、時に、苦しむ事もありうるのです。さらには、差別や格差といった力関係も生じます。

当時ローマ帝国の支配下にありましたが、そこでは自由人と奴隷人という差別が存在しました。自由人が奴隷人をおどして、従わせるのが常習化していたのです。ですから9節に「主人たちよ。あなたがたも奴隷に対して…脅すことはやめなさい。」と記されています。しかしパウロはまず奴隷に対してキリストの僕である事を示し、主に対するように真心から、地上の主人に仕えるように示します。すなわち、57節。「奴隷たちよ。キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。ご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、キリストのしもべとして心から神のみこころを行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」。

そして何と驚くべき事に、この時代で、主人に対しても同じように奴隷を愛して仕えていくべき事を示します。9節。「主人たちよ。あなたがたも奴隷に対して同じようにしなさい。脅すことはやめなさい。あなたがたは、彼らの主、またあなたがたの主が天におられ、主は人を差別なさらないことを知っているのです。」。今でこそサーバントリーダー(仕えるリーダー)と言う言葉を聞きますが、今からおよそ2000年前の奴隷制度の時代に驚くべき教えです。それは神は人を差別しないから(9)、というところから来ています。

そして、神は良い行い(例えば「人に良く仕える」)を見ていて下さり、良い報酬を与えて下さるからです。8節。「奴隷であっても自由人であっても、良いことを行えば、それぞれ主からその報いを受けることを、あなたがたは知っています。」とあります。この世の制度や常識や身分立場がどうであれ、神の御前に正しく生き、神に従って、良い行いをもって人に仕えるなら、その人に、神が必ず公平に報いて下さる。だから、自分の立場や身分や評価や待遇がどうであれ、いつも、主なる神様、主イエス・キリスト様に対するように真心から、主の御心に従って地上の主人に仕える事が教えられています。

神の御言葉に聞き、祈り、従って、自分の立場がどうであれ、神のしもべ、キリストのしもべとして、主にあって、隣人に仕えつつ、生活致しましょう。

(祈り)天の父なる神様。いつも主の御前に生き、主に対するように心から喜んで、主にあって、地上の主人にお仕えしていくために、主の謙遜を教えて下さい。良い行いを主が見ておられ、報酬を下さる事を感謝致します。イエス様によって、アーメン。

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