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2022年3月24日木曜日

3月27日(日)礼拝説教要旨・録画「心の貧しい者がなぜ幸いなのか?」マタイ5章1~4節

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【今日の聖句】


心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。  

(マタイの福音書5章3節)


【説教要旨】

「心の貧しい者がなぜ幸いなのか?」マタイ5章14(新約6頁)

新型コロナやウクライナでの戦争、様々な自然災害、それらに伴う経済的な諸問題、長引く先行き不透明感等、よりストレスの多い昨今。今まで感じていた幸福感が感じられなくなってきた方もおられるでしょうか。ではそもそも幸せとは何でしょうか。私はずいぶん前、親しいある方に「幸せってなあに?」と尋ねられた事がありました。事あるごとにその問いを思い出してきました。では聖書には何と書いてあるのでしょうか。今日から、キリスト様の山上の説教からこの事を学んでいきましょう。主イエス様は多くの群集が聞く中で、イエス様の弟子達に本当に幸せな人について、繰り返しお語りになりました(マタイ5・1~2)。

1.心の貧しい者は幸い(3)

私が学生時代の時、ある大学教授の先生が、私に、どうして心の貧しい人が幸いだとキリストは言ったのだろうか、という事を尋ねられました。何と答えたかは覚えてはいませんが、すんなりとは答えられなかった記憶があります。

イエス様は山上の説教で言われました。心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。(3)。ここで「心」は直訳すると「霊において」です。「貧しい」とは「徹底的に貧しい人」。どうして、このような人が幸いなのでしょうか。これは神に対する霊的こじき同然の意味で「この世で圧迫され、失望し、神の助けを必要とし、これにより頼んでいる人」の事です。天の王国は彼のものである、とイエス様はおっしゃいます。この人は神様の前に自分の罪と貧しさを自覚しているからです。だからこそ主なる神様に頼ります。

父なる神は全ての人の罪のために、神の独り子イエス・キリストを遣わし、身代わりに十字架で死ぬ事を許しました。ですから、このキリスト様の身代わりの死のおかげで、自分の霊的貧しさ、すなわち自分の罪を素直に認め、自分では救われない事を認めて、主イエス様を信じる人は全ての罪が赦され、救われるのです。そして、天国、神の国に入るのです。イエス様は、「砕かれた心でへりくだって神に全く信頼している心の貧しい人」に天の御国、神の恵みの支配をおよぼしてくださいます。鍵は、ここでも、主イエス・キリストへの信仰、信頼です。心の貧しい者+主イエス・キリスト=幸いな人、なのです。これはキリストの弟子、クリスチャンの特質です。

天の御国、すなわち「神の国」とは神の恵みのご支配のことです。神の恵みのご支配を、神の国を受け入れる。つまり、私たちがキリスト様に信頼して、自らをキリスト様に明け渡して、ご支配して頂いて生きる時に、その人は神の国に生かされ生きるのです。その人はこの世におりながらも、天国の民として生きるのです。その心には天国があります。イエス様とその神ご自身のお言葉に信頼して生きていく時、聖霊なる神様がこのような幸いな人生を送らせて下さいます。それはこの世の与える一時的な幸いではなく、神の国の幸いに生きる永遠の幸いです。私たちはこの試練の世の中でも、主イエス・キリスト様に信頼し、明け渡して、神の恵みの支配の中に生かされていく時に、神の国に生きる幸いな人生を送るのです。

2.悲しむ者は幸い(4)

さて、4節。「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」。また、自分の罪や、他の人の罪、この世の罪に直面する時に、その罪を悲しむ人は幸いです。罪に直面する時に悲しみがあります。正しく生きようとすればするほど、愛に生きようとすればするほど、罪という悲しい現実をに直面します。それは悲しみです。しかし、その人の悲しみはイエス様によって慰められます。なぜなら、主イエス様は全人類の全ての罪、悪から来る苦しみを受け、特に十字架において最大の苦しみを受けました。だから、イエス様はどんな試練、悲しみ、苦しみの中にある人をも慰めることができるからです。主イエス様を信じる人は、この世の罪、悪、滅びから救われます。

また、主に従って伝道をしていく中で、イエス様を信じて救われてくる人も起きてきます。その時に、これまでの悲しみが吹き飛ぶほどに、慰められます。また伝道しても、思うような結果が出ずに悲しみを体験したとしても、そのような悲しみの全てを知っておられる主イエス様が、すべてをご存じの上で慰めて下さるので、幸いなのです。

悲しんでいる人は幸いです。その人は、神によって必ず慰められるからです。ここでも鍵は主イエス・キリストへの信仰、信頼です。ここでも、悲しんでいる人+主イエス・キリスト=幸いな人、なのです。これもまたキリストの弟子、クリスチャンの特質です。

正直な人であれば、この世にあっては、自分の心の貧しさ、霊の貧しさを痛感します。そして、それらを悲しみます。この世の罪の現実の前に、自分の力の無さを悲しみます。ウクライナでの戦争もしかりです。自分たちではどうすることもできない罪や悪に直面し悲しむ事があります。だからこそ、全ての人には、すべてを統べ治め、一切の権威をもち、全知全能の創造主なる唯一まことの父なる神に立ち帰り救って頂く事が必要なのです。唯一まことの救い主イエス・キリスト様が必要なのです。そしてその事に気づき、主イエス・キリスト様を信じて救われ、神の国の愛の支配の中で守られ、どんな時でも慰められ助けられ、神の命に生かされて、生きる人こそ真に幸いな人なのです。

(祈り)天の父なる神様。自分の心の貧しさ、罪深さを悲しみつつも、主イエス様を信じて従って行きます。神の国に生きる幸いな者として下さい。アーメン。

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