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2022年4月22日金曜日

4月24日(日)第一礼拝動画・説教要旨「全ての人の救いを望まれる神」(ヨナ書4章)

☆4月24日(日)第一礼拝録画配信ご視聴される方は↓の枠内のをクリックしてください。youtubeを見る」がある場合は、そちらをクリックするとご視聴できます。



今日の中心聖句

「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」(ヨナ書4・1011


説教要旨「全ての人の救いを望まれる神」(ヨナ書4章)

1.唯一真の神に逆らったヨナ

ある時、アミタイの子であるヨナに次のような主のことばがありました。「立ってあの大きな都ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」(12)。二ネベはイスラエルの国に対して脅威だったアッスリヤという国の首都。イスラエルの人気の預言者ヨナにとっては敵国の中心地です。二ネベの人たちは悪を行っていました。神様は預言者ヨナにニネベの町への宣教を命じます。しかし、ヨナは神様の命令に逆らって、ニネベに行きません。そして逆方向のタルシシュに行く船に乗って、神に逆らいます。

2.死を覚悟する出来事の中で、悔い改めたヨナ

すると大嵐にその船は合います。神様がその嵐をヨナの舟に合わせたのです()。嵐の中で船に乗っていた人たちは、くじを引いて誰のせいでこんな嵐に合ったかを知ろうとします(7)。彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たります(7)。そこで彼らはヨナにいろいろと質問をし、ヨナも答えます(810)。その中で自分が神に逆らって来た事を知られ、人々は非常に恐れて、何でそんなことをしたのか(10)言います。海がますます荒れてきたので彼らはヨナに、「海が静まるようにするには、あなたをどうすればよいのか」(11と尋ねます。ヨナは彼らに言いました。「私を抱え上げて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。私は分かっています。この激しい暴風は、私のせいであなたがたを襲ったのです」(12人々はさすがにそれはしたくないと思って船を陸に戻そうと努力しますが駄目でした。そこでどうしようもないのでヨナが言う通りにしたのです。すると海は静かになったのです(1415*【注】もちろん自殺はしてはいけませんし、因果応報の教えを教えているわけでもありません。ここで聖書は起こった事実を記しています)。人々は非常に主を恐れました(16)。海に投げ込まれたヨナは海の中に沈んでいきます。しかし主は大きな魚にヨナを飲み込ませます(17)。ヨナはその魚の中で自分の考えを神様にしていた偶像礼拝を悔い改めます(28)。その時、神様は魚に命じてヨナを陸地に吐き出させます。そしてヨナは再び神様からニネベに行くようにと言われ、ヨナは従います(3・2~4)。するとニネベの民がこぞって悔い改めたのです(5~9)。そして神様も彼らをお赦しになります(10)。

3.唯一真の神の心を教えられるヨナ

しかし不思議なことにヨナは怒り狂うのです(4・14)。イスラエル愛国者のヨナは敵国ニネベの救いを喜べなかったのかもしれません。または自分の言ったとおりにならなくて、自分の預言者としての面目が丸つぶれになってしまった事を怒ったのかもしれません。すねて怒るヨナ。そしてニネベの回心した人たちを置いてヨナは町を出ます(5)。そして、この町がどうなるか見てやろうと小屋を作って引きこもり、いじわるの目でそのニネベの町を眺めます(5)。ヨナの心にはニネベの人たちへの愛はありませんでした。神様に従ってお言葉を伝えて、人々が悔い改めて回心したもののニネベの人たちを愛していませんでした。

そこで神様は一つの事を通してヨナを取り扱われます。暑さが厳しい中でストライキし小屋に立てこもるヨナのそばに、神様は、とうごまの木を生えさせます。とうごまの木の日陰で暑さやわらぎ、ヨナは喜びました(6)。しかし神様は翌日の夜明けに虫を送ってそれをかませ、とうごまの木は一夜にして枯れてしまったのです(7)。ヨナは暑さのあまり死を願います(8)。

すると神様は言います。「この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか」(9。ヨナは「私が死ぬほど怒るのは当然のことです」と答えます(9)。神様は「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」(4・1011と言われます。これが神様の愛の心です。ヨナはこの神様の愛の心を心とすべきだったのです。ヨナはこの度の出来事を通して、この神様の愛の心を教えられました。神様の心は今も同じです。全ての人を愛して救いたいのです。そしてこの神様の愛の心は十字架のイエス様に表されています。イエス様は全ての人の身代わりに死なれたのです。

(祈り)天地万物を治めておられる唯一まことの神様。すべての人を愛しておられる、あなたの大きな愛を感謝致します。イエス様の御名によって、アーメン。

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