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2022年4月24日日曜日

5月1日(日)礼拝録画&説教要旨「憐れみ深い者を、神が憐れまれる」マタイの福音書5章7節

                                       

                  ミヤマキリシマ

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本日の中心聖句

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」

(マタイの福音書5章7節)

【メッセージ要旨】

「憐れみ深い者を、神が憐れまれる」マタイ5章7(新約6頁)

幸せになりたい。これは多くの人が願う事でしょう。では私たちが真に幸せに生きるために何が必要でしょうか。今朝もキリスト様の山上の説教に聴きます。

1.今日の御言葉の背景 ~これまでのあらすじ~(マタイ4・17~5・6)

イエス様の御人格や御業に触れ、弟子たちやおおぜいの群衆はイエス様についていくようになりました(マタイ41725)。主イエス様のそば近くに弟子たちが集まり、その周りに先の群衆が取り囲んで聴いている中で(5・1)、主イエス様は本当に幸せな人について繰り返し教えてお語りになりました(マタイ5・1~2)。有名な山上の説教と呼ばれる場面で、野外での説教です。主イエス様のこの山上の説教の一連の説教が終わった後、「群衆はその教えに驚いた。イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである」(7・29)とあります。主イエス様は神ご自身が人となって来られたお方です。その御口から語られるお言葉は神の権威のあるお言葉なのです。

34節では、心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。と語られています。自分の心の罪や足らなさを自覚している人は、自分の罪や足らなさを悲しみ、救いを求めて、主イエス・キリストに信頼します。そして神のご支配(天の御国)に受け入れられて救われます。そして主イエス様に信頼して生きる中で、神様の愛と恵みと助けと慰めと供給を体験して生きます。だから幸いなのです。

この「幸いです」は主イエス・キリストの救いにあずかった人たちだけに与えられる祝福を指しています(ウェスレアン聖書注解p32)。もちろんイエス様は全ての人をご自分の弟子とその幸いへと招いておられます(マタイ11・28~30)。まだキリストの弟子となっておられない方は、これを機にイエス様の弟子になられるならば幸いです。この「幸いです」は山上の説教の冒頭の3~11節に繰り返されますが、主イエス・キリスト様の弟子の性質と弟子の祝福を示しています。

5節では「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」と語られます。柔和な者とは己の心の貧しさを悲しみ、救いを求め、主イエスを信じて救われ、神に慰められ、神とその御旨に信頼して忍耐深く従う人です。その人は「地を受け継ぐ」。すなわち、さらに神の祝福、神の国の嗣業を受け継ぐのです。

6節では義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからですと語られました。「飢え渇く」は強調表現で「渇望」の意。ここでの「義」とは「神のとの正しい関係」、「救い」、「きよめ」(キリストの様に生きる事)、さらに神ご自身です。霊的な飢え渇きは人が本質的に誰もがもっています。その霊的な空洞は唯一真の神によってのみ満たすことできます。そして神によって満ち足らされても、その神の恵みの豊かさ故にさらに神を渇き慕い求めるようになります。そしてその渇望は神によって満足させらて頂けるようになるから「幸いです」

 

2.憐れみ深い者を神が憐れまれるから、その人は幸せ(マタイ5・7)

さて今日の本題、イエス様の山上の説教のマタイ57節に注目します。「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです」と語られています神様の視点からご覧になって本当に幸いな人とは「あわれみ深い者」です。これは憐みの気持ちだけでなく、実際に必要に応える行動を伴う憐みです。神の憐みはご自身の大切な独り子、神の御子イエス様をも与える程の最高の憐みです。これによって神は、神の独り子イエス様を信じる者を、地獄行きからお救いになり、永遠のいのちを与え、天国に迎え入れられます(ヨハネ316

この神の最高の憐みを受けて、主イエス・キリスト様を信じて、神の憐みを知った人は、神様の愛と赦しを受け取って、「あわれみ深い者」と変えられていき、その愛と憐みは成長、成熟していくのです。それは、主イエス様を信じる人に与えられる、神様の聖霊によって生み出される愛の結実です。「御霊の実は愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」(ガラテヤ5・22,23)

そのような「あわれみ深い者」を神様はさらにあわれまれます。例えば、弟がおやつをこぼして泣いている時に、兄が弟に自分のおやつを半分、分けてあげているのを親が見たらどうでしょう。親はいじらしく感じて、その兄にもっと良いものを与えてあげたくなるのではないでしょうか。神は全ての人を最高に愛していますが、神の憐みを受けて隣人を憐れむ者を、神はさらに憐れんで下さいます。

(祈り)天の父なる神様。あなたは独り子イエス様を与えるほどに私たちを愛して憐れんで下さっているのに、私たちがその愛を受けて他の人を愛して憐れむ時、もっと憐れんで恵んで下さるとは不思議です。ただただ感謝します。アーメン。

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