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2022年5月4日水曜日

5月8日(日)礼拝録画配信&説教要旨「両親を愛し敬われた主イエス様を知る心」マタイの福音書5章8節

 〇日曜礼拝 午前10時15分~ 録画配信 *回線不具合のため、途中からの配信となっております。申し訳ありません。

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*照明の関係で背景が暗くなっております。見苦しく手申し訳ありません。次聖日からはその点は改善しています。

*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。  

【本日の中心聖句】

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」

      (マタイの福音書5章8節)

【説教要旨】

「両親を愛し敬われた主イエス様を知る心」マタイ5章8(新約6頁)

今日は母の日。改めて私たちを産んで下さり、また育てて下さった母を感謝しましょう。聖書を読むならば、実はその母を通して産まれさせて下さったのは創造主なる唯一真の父なる神です。ですから創造主に感謝しましょう。そして、この創造主なる神ご自身を知る事は幸せに生きるために欠かせません。という事で今朝も主イエス様の山上の説教に聴きましょう。特に今朝は58節に注目します。「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです」とあります。

1.今日の御言葉の背景 ~これまでのあらすじ~(マタイ4・17~5・7)

まず8節までのあらすじを振り返りましょう。主イエス様のそば近くに弟子たちが集まり、その周りに先の群衆が取り囲んで聴いている中で(5・1)、まず、主イエス様は幸いな人について繰り返し教えてお語りになりました(マタイ5・1~2)。有名な山上の説教です。その教えには神の権威がありました(7・29)。

まず34節では、心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。と語られます。まず自分の罪や足らなさという心の貧しさを自覚し、それを悲しみ、救いを求めて主イエス・キリストに信頼します。そして神のご支配(天の御国)に受け入れられて救われます。そして主なる神からの慰めを受けます。だから幸いなのです。この「幸いです」は主イエス・キリストの救いにあずかった人たちだけに与えられる祝福を指しています(ウェスレアン聖書注解p32)。もちろんイエス様は全ての人をご自分の弟子とその幸いへと招いておられます(マタイ11・28~30)。この「幸いです」は山上の説教の冒頭の3~11節に繰り返されますが、主イエス・キリスト様の弟子の性質と弟子の祝福を示しています。

5節では「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」と語られます。柔和な者とは主イエスを信じて救われ、神に慰められ、神とその御旨に信頼して忍耐深く従う人です。その人は「地を受け継ぐ」。すなわち、神の国の嗣業を受け継ぐのです。6節は義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです「飢え渇く」は強調表現で「渇望」の意。ここでの「義」とは「神のとの正しい関係」、「救い」、「きよめ」(キリストの様に生きる事)、さらに神ご自身です。霊的渇望は本質的に誰もが抱えていて、唯一真の神によってのみ満たすことできます。そして神の恵みの豊かさ故に、さらに神を慕い求めるようになります。そしてその渇望は神によって満たされるので「幸いです」

7節。「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです」と語られますこれは憐みの気持ちだけでなく、実際に必要に応える行動を伴う憐みです。神の憐みはご自身の大切な独り子、神の御子イエス様をも与える程の最高の愛、憐みです(ヨハネ316この神の最高の憐みを受けて、主イエス・キリスト様を信じて、神の憐みを知った人は、神様の愛と赦しを受け取って、「あわれみ深い者」と変えられていきます。そのような「あわれみ深い者」を神様はさらに憐れんでお恵み下さり、良くして下さいます。だから幸いなのです。

2.両親を愛し敬われた主イエス様を知る心(マタイ5・8,ルカ2・4152

 続いて8節。「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです」。「神を見る」とは第一に、この世で心で霊的・人格的に神を知るという事です。第二に、天国で神と顔を合わせて見る、という事です。

 特に第一に点に今回は注目します。この世でどういう人が神を霊的・人格的に知る事ができるのでしょうか。それは「心のきよい者」です。心のきよい者とは、「一心に神を求める者」の事です。

 「心のきよい者」に自分の力でなれません。なぜなら人には罪があるからです。罪は神との関係を損ない、神を知る事を妨げます(イザヤ592。しかし主なる神は独り子の神である主イエス様を、神でありながら同時に人間として、この世界に母マリアの子として産まれさせて下さいました。主イエス様は母マリアを愛し敬い、33歳の時に私たち全人類の罪を身代わりに背負って、十字架で父なる神の怒りの刑罰を身代わりに受けて死なれます。この主イエス様の十字架の死によって、主イエス様を信じる者の罪が赦され、きよめられる道が開かれたのです。主イエス様を信じる者が心に主イエス様を主として王としてお迎えし、一心に主なる神を求める時、心清められ、この世において神を霊的人格的に知り、幸いになります。そういう中で主イエス様からの愛により、両親を愛し敬える様になり(ルカ24151、親子関係でも幸いになるのです(エペソ613

(祈り)父なる神様。母によって私を産まれさせ、母を通して恵みを下さり感謝致します。主イエス様を信じ、主を一心に求め、心清められ、主を霊的人格的に知り、主イエス様に倣って、私たちも両親を愛し敬わせて下さい。アーメン。

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