HP上で注目されている記事

2022年11月5日土曜日

11月6日(日)礼拝ライブ配信動画(配信後は録画)&説教要旨「子どもを愛するイエス様」マルコの福音書10章13~16節

 

☆彡最近の花壇のお花

☆コロナ対策をしつつ集会をしております。なお3密防止のため席数10席程)が限られています。また駐車場も軽自動車4台分(実質2~3台分)と限られています。ですので、ご来会の際には事前にご連絡頂く事をお勧め致します。なおご参考までに、現在は午前9時半~の第一礼拝の集会の方が空席が十分あります。

☆コロナ感染予防のため、会堂内のマスク着用、アルコール消毒、換気の徹底、密閉、密集、密接を避ける等を実施します。ご来会の際にはご協力をお願い申し上げます。

☆ご体調のすぐれない方や、コロナの感染がご心配な方は、ご無理はなさらないで、下の方にあります、「礼拝ライブ配信または録画配信」を用いて、ご自宅にて、主なる神様を礼拝頂ければと存じます。その他、ご心配な点等やご質問等ございましたら、どうぞ、お尋ね下さい。

●当教会は歴史的にはプロテスタントの流れにある、伝統的なキリスト教会です。平和統一家庭連合(旧・統一教会)、エホバの証人(ものみの搭、王国会館)、モルモン教(末日聖徒キリスト教会)ではありませんこれらでお困りの方はご遠慮なくご相談下さい。

☆彡最近の注目記事(↓こちらをクリック)

注意!キリスト教の異端&カルト宗教~元首相銃撃事件を機に改めて警戒を~ 


⇒関連リンク先(↓こちらをクリック)


基本集会のご案内

〇日曜礼拝(毎週日曜日、毎朝行っています)

第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)

午前930分~10頃 

*回線不具合等により、配信開始が遅くなる場合や配信ができない場合もあります。時折起こる回線不具合の為、第二礼拝、午後礼拝の配信となる場合もございます。あらかじめご了承ください。

*この度は、メッセージ終了直後に音声が消音となっております(操作ミスのため)。ご了承下さい。

*説教者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。

*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。

第二礼拝 午前1030分~1130分頃

  (お話は第一礼拝よりも詳しくお話します)

〇教会学校(子ども) 午前9時半~10時頃

〇聖書研究祈り会 毎週水曜日 午前1030分~1130分頃

*各集会は全て無料ですが礼拝では自由献金の時があります(強制ではなく自由です)

「やさしい聖書の学び」(お申し込み随時受付中)*ご都合の良いお時間で聖書を学べます。オンラインでも個別にも対応致します。ご遠慮なくご相談下さい。

*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。

十一月第一主日礼拝 ~子ども祝福式~

◇礼拝の始まり5分前には心を静めて、静かにお待ちください。

♢讃美歌は心を込めつつ、声は小さめに歌いましょう(コロナ感染対策)。 

 

前 奏                            

頌 栄       あめつちこぞりて(新聖歌60・ゴスペル2)          (起立)

主の祈り     (下記載)                             

祈 祷                           司会者 (着席) 

信仰告白  使徒信条(下記載)        

聖 書     マルコの福音書10章1316節(新約p87)        司会者

メッセージ   子どもを愛するイエス様」         後藤健一牧

讃 美     両手いっぱいの愛(新聖歌483)               (起立)                                       

献 金                                                                                   

頌 栄      父・ 御子・ 御霊  (新聖歌63・ゴスペル3)            (起立) 

 祷                                     牧師

*交読文とSGは割愛し、讃美歌も減らしております(コロナ感染対策)


主の祈り

天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ、

み国を来らせたまえ、みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ、

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ、我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ、我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ、

国とちからと栄えとは 限りなく なんじのものなればなり、アーメン。


使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、 生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。


メッセージ聖書箇所・マルコの福音書101316(新約87頁)

10:13 さて、イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た。ところが弟子たちは彼らを叱った。
10:14 
イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。

10:15 まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。
10:16 
そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。

©2017 新日本聖書刊行会


【今日の聖句】

イエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて 祝福された。          (マルコの福音書10章16節)

「子どもを愛するイエス様」マルコ101316祷会(新約p87

1.主イエス様と子どもたち(13)

ある時、子どもを連れた親たちがイエス様の所に幼い子どもたちを連れてきました。13節。さて、イエスに触れていただこうと、人々が子どもたちを連れて来た。ところが弟子たちは彼らを叱った」。それはイエス様に手をおいて祈って祝福してもらうためでした。親にとって子どもは宝物です。しかし、子どもは病気をしたり、けがをしたり、危険もたくさんあるので心配です。ですから神様のお守りと祝福が本当に必要な弱い存在です。親たちは子どもの祝福、神の守りを切に願ってイエス様の所に連れてきたのです。ところがイエス様のそばにいた弟子たちはイエス様の所に連れてくる人々や子どもたちをしかりつけますお弟子たちはイエス様がパリサイ人たちと大事な話をしていましたし、イエス様は忙しいから、と思ったのでしょう。

 

2.子どもを受け入れるイエス様 (14~15)

ですが、そんな弟子たちを珍しく、イエス様がお叱りになりました。1415節。「イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません「神の国」とは神の愛の支配です。イエス様の中に神の祝福、神の愛、神の救いが豊かにあります。そしてその愛の対象は幼子を含めたすべての人なのです。この神の国、神の祝福に与る人とは、この幼い子ども達の様に何ができなくても、イエス様を信頼して、イエス様に愛される事を受け入れる人です。そして、イエス様に信頼して、イエス様に救って頂く人、神の国の愛のご支配を受け入れる人です。幼子は愛や恵みを拒まないで受け入れるのです。私たちも幼子のように神様の愛と救いを受け入れましょう。

自分のクリスチャン生涯をふと振り返る中で、自分の力で頑張りながらも、起こってくる限界、どうにもならない、という中で、そこに見えない手がすっと導いてくれる、ちょっと抱っこされて、障害物をすっと乗り越えられた感覚、心に「こっちにいくんだよ」とふっと教えられたような導きの感覚、間違った方向に行きたくてもどうしても前に進めない手を握られているような出来事、それは、振り返ると、神の国、恵みの支配だったのではないか、と思う事があります。親や保護者なくしては生きられない。それが幼な子です。それは神の国に生きる者、すなわち、信仰者、クリスチャンが、神様、主イエス様抜きには生きていけないのと同じではないでしょうか。その事をへりくだって認めて、私たちもまた子どもたちと共に主イエスの御許に行き、そこにとどまるものであらせて頂きましょう。主イエス様は私たちを放蕩息子を迎える父のような神の愛で愛して下さり祝福して下さいます(ルカ151124)。

 

3.子どもを祝福するイエス様(16)

 イエス様は弟子たちを教えられてから、子どもたちを抱き、両手を子どもの上に置いて祝福されました(16)。イエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。」子供たちが産まれながらにもっている原罪の罪をも背負ってイエス様は身代わりに十字架におかかりになられました。そこにイエス様の命がそのすべてが犠牲にされるほどに愛する果てしない愛があるのです(ヨハネ316)。父なる神は一番大切な御子イエス様を犠牲にされる程の愛をもって、軽んじられやすい子どもたちを愛しておられます。イエス様のいのちの代価を支払うほどに、身代りにイエス様が罰を受けて死なれるほどに、価値ある存在として愛して下さっているのです。それほどの愛の眼差しをもって主イエスは、今も子供達人一人を見ておられます。そして私たちをもそのように見ておられます。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ434。私たちもこの主イエス様の愛、十字架の愛を改めて信じて受け取りつつ、この主イエスの愛のまなざしの先にある子ども達を愛していきましょう。イエス様にならって、幼い子どもたちを愛し、受け入れ、祝福し、育てていく教会であり続けましょう。子どもを愛されるイエス様の心を知り、倣い、イエス様の心を心とさせて頂きましょう(哀歌319、第二テモテ315

(祈り)主よ。救い主イエス様、今、子どもも大人もあなたに幼な子のように全く信頼して、あなたの愛の支配に委ねて、あなたにどこまでもついていきます。




*メッセージ内容、その他、ご質問、ご意見、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。

―今週の予定―

☆11月9日(水)聖書研究祈り会10:30am

0 件のコメント:

コメントを投稿