☆コロナ対策をしつつ集会をしております。なお3密防止のため席数(10席程)が限られています。また駐車場も軽自動車4台分(実質2~3台分)と限られています。ですので、ご来会の際には事前にご連絡頂く事をお勧め致します。なおご参考までに、現在は午前9時半~の第一礼拝の集会の方が空席が十分あります。
☆コロナ感染予防のため、会堂内のマスク着用、アルコール消毒、換気の徹底、密閉、密集、密接を避ける等を実施します。ご来会の際にはご協力をお願い申し上げます。
☆ご体調のすぐれない方や、コロナの感染がご心配な方は、ご無理はなさらないで、下の方にあります、「礼拝ライブ配信または録画配信」を用いて、ご自宅にて、主なる神様を礼拝頂ければと存じます。その他、ご心配な点等やご質問等ございましたら、どうぞ、お尋ね下さい。
●当教会は歴史的にはプロテスタントの流れにある、伝統的なキリスト教会です。平和統一家庭連合(旧・統一教会)、エホバの証人(ものみの搭、王国会館)、モルモン教(末日聖徒キリスト教会)ではありません。これらでお困りの方はご遠慮なくご相談下さい。
☆彡最近の注目記事(↓こちらをクリック)
注意!キリスト教の異端&カルト宗教~元首相銃撃事件を機に改めて警戒を~
⇒関連リンク先(↓こちらをクリック)
〇日曜礼拝(毎週日曜日、毎朝行っています)
第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)
午前9時30分~10時頃
*回線不具合等により、配信開始が遅くなる場合や配信ができない場合もあります。時折起こる回線不具合の為、第二礼拝、午後礼拝の配信となる場合もございます。あらかじめご了承ください。
*説教者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。
*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。
第二礼拝 午前10時30分~11時30分頃
(お話は第一礼拝よりも詳しくお話します)
〇教会学校(子ども) 午前9時半~10時頃
〇聖書研究祈り会 毎週水曜日 午前10時30分~11時30分頃
*各集会は全て無料ですが礼拝では自由献金の時があります(強制ではなく自由です)。
☆「やさしい聖書の学び」(お申し込み随時受付中)*ご都合の良いお時間で聖書を学べます。オンラインでも個別にも対応致します。ご遠慮なくご相談下さい。
*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。
十一月第三主日礼拝
◇礼拝の始まり5分前には心を静めて、静かにお待ちください。
♢讃美歌は心を込めつつ、声は小さめに歌いましょう(コロナ感染対策)。
前 奏
頌 栄 あめつちこぞりて(新聖歌60・ゴスペル2) (起立)
主の祈り (週報左下記載)
祈 祷 司会者 (着席)
信仰告白 使徒信条(週報右下記載)
聖 書 マルコの福音書10章35~45節(新約p89) 司会者
メッセージ 「全人類に尽くされた王、主イエス様」 後藤健一牧師
讃 美
マジェスティ(新聖歌170) (起立)
献 金
頌 栄 父・ 御子・ 御霊 (新聖歌63・ゴスペル3) (起立)
祝 祷 牧師
*交読文とSGは割愛し、讃美歌も減らしております(コロナ感染対策)
主の祈り
天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ、
み国を来らせたまえ、みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ、
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ、我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ、我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ、
国とちからと栄えとは 限りなく なんじのものなればなり、アーメン。
使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、 生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。
メッセージ聖書箇所・マルコの福音書10章35~45節(新約p89)
10:35 ゼベダイの息子たち、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。「先生。私たちが願うことをかなえていただきたいのです。」
10:36 イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」
10:37 彼らは言った。「あなたが栄光をお受けになるとき、一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにしてください。」
10:38 しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか。」
10:39 彼らは「できます」と言った。そこで、イエスは言われた。「確かにあなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることになります。
10:40 しかし、わたしの右と左に座ることは、わたしが許すことではありません。それは備えられた人たちに与えられるのです。」
10:41 ほかの十人はこれを聞いて、ヤコブとヨハネに腹を立て始めた。
10:42 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。
10:43 しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。
10:44 あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。
10:45 人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」
©2017 新日本聖書刊行会
「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコの福音書10章45節)
「全人類に尽くされた王、主イエス様」マルコの福音10章35~45節(新約85p)
この時、主イエス様はこれから受ける苦難、十字架の死について打ち明けられました(32~34)。しかし弟子たちの関心はここでもこの世での立身出世でした。35節。弟子のヤコブとヨハネがイエス様のところに来て言います。「先生。私たちが願うことをかなえていただきたいのです。」。イエス様は彼らに言われます。36節。「何をしてほしいのですか。」。彼らは言います。37節。「あなたが栄光をお受けになるとき、一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにしてください。」。そこでイエス様は彼らに言われます。38節。「あなたがたは、自分が何を求めているのか分かっていません。わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか。」。ここでの「杯」とは旧約聖書では人間の罪に対する神の怒りと裁きを意味する事が多いです。ここでイエス様は45節にもあるように罪に対する神のさばきを身代わりに背負う意味で「わたしが飲む杯」と言われ、その使命を「わたしが受けるバプテスマ」と言われました。彼らは39節で「できます。」と言いますが、何もわかってはいませんでした。
しかしイエス様は言われます。39節後半。「確かにあなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることになります。」。確かに彼らも将来、イエス様のため福音のために大きな苦難を受ける。その事をイエス様は予言されました。実際、ヤコブは殉教し、ヨハネは島流しにされます。しかし、イエス様がこれから着こうとしておられる栄光の座とは十字架でした。そこでイエス様は言われます。40節。「しかし、わたしの右と左に座ることは、わたしが許すことではありません。それは備えられた人たちに与えられるのです。」。
ここまで会話が交わされると他の十人の者がこの事を聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立てました(41)。腹を立てるという事は似たような事を心の中で考えていたという事でしょう。イエス様は弟子たちを呼び寄せて言われます。42~44節。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。」。
「仕える者」とは自分のためではなく他者のために尽くす事を使命とする者の事です。「しもべ」とは自分の身柄(仕事も生活も)が他者に属する、いわゆる、奴隷の事です。要するに、どちらも自分のためにではなく、他の人のために尽くす人の事です。イエス様は「偉くなりたい」、「先頭に立ちたい」と思う人は、自分のためにではなく、他人のために尽くす人となりなさい、と教えられました。なぜでしょうか。イエス様は言われます。45節。「人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」。
神の国の最高の王子である神ご自身であるイエス様でさえ、仕えられるためではなく仕えるためにこの世界に人となって来られました。「贖いの代価」とは、「戦争の捕虜や奴隷の自由を買い戻すための身代金」の事です。罪を犯した結果、罪の奴隷となり、永遠の滅びに向かってしまっているすべての人を買い戻すために、イエス様はご自分の罪なき「いのち」をもって、すべての人を救うための代価をお支払いになります。そのために、この後、十字架刑に処せられるのです。十字架刑に処せられるという事、これは世間的には奴隷以下の事で恥の極みです。
ここで「多くの人のために」とは「すべての人」(参照;ローマ5・18)の「身代わり」(ここで「ために」と訳された原語には「身代わり」という意味もあります)という事です。そこにはご自分を迫害して十字架につける人たちも含まれます。イエス様はご自分を殺す人のためにも、ご自分の命を与えるためにエルサレムに参ります。それは彼らのためにも信仰による救いの道を開くためでした。
イエス様の愛は無条件の愛です。契約の愛です。相手に何か良い所があるから、相手が何か良い事をしてくれるから、愛するという条件付きの愛ではありません。そうだと自分の思い通りにしてくれないと愛せなくなります。相手がどんな状態でも、相手がどういう言動をしてきても、愛する事をやめません。これが神の愛、イエス様の愛です。私達も主イエス・キリストを信仰の目をもって見つめ続け、神様からの無条件の愛と聖霊の力を頂きながら主に従う時に、主の愛によって生かされつつ、隣人をイエス様のように愛する、愛の人に成熟させて下さいます。
(祈り)父なる神様。私も聖霊とあなたの愛により、主イエス様のように、隣人を愛して仕えていく者にして下さいますように、お願い致します。アーメン。
―今週の予定―
☆11月24日(木)聖書研究祈り会10:30am *今週は木曜日ですのでお気を付けください。
0 件のコメント:
コメントを投稿