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2023年11月11日土曜日

11月12日(日)礼拝録画配信 「人の救いを渇き求める神様」 ヨハネの福音書4章1~14節(新約181~182頁)

 

基本集会のご案内

〇日曜礼拝(毎週日曜日午前)*第一、第二礼拝等のご案内

第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)

*席数は第二礼拝に比べて空席(14席程)は十分あります(駐車場は軽4台or普通車2台程。事前にご連絡頂くと駐車場の空きの確認や予約ができて確実です。どうぞ、ご相談下さい)。空席状況や駐車場がご心配の方はあらかじめご連絡ください。

午前930分~10頃 *終了時間が10時15分頃まで延長する場合もあります。

【ライブ(録画)配信でもご視聴できます】

*回線不具合等により、配信開始が遅くなる場合や配信ができない場合もあります。時折起こる回線不具合の為、第二礼拝、午後礼拝の配信となる場合もございます。あらかじめご了承ください。

*説教者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。

*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。


*【予備】回線不具合時には↓こちらをお試し下さい
【少し時間がかかる場合があります】


第二礼拝 午前1030分~1130分頃

  (お話は第一礼拝よりも詳しくお話します)

☆諸事情により、どうしても上の時間帯での礼拝出席がかなわず、その他の時間帯での個別の礼拝【早朝(例・朝6時~6時半)礼拝、午後礼拝、夕礼拝(午後8時~8時半)等】の時をご希望の方は、ご遠慮なく、事前にご相談ください。なるべく対応させて頂きます。

☆彡 当教会のコロナ対策方針  

特に高齢者等リスクの高い方への配慮のため、会堂内のマスク着用の推奨(強制ではありません)、アルコール消毒、換気、密閉、密集、密接を避ける等を引き続き実施します。

☆なお3密防止のため席数14席程)が限られています。また駐車場も軽自動車4台分(実質2~3台分)と限られています。ご参考までに、現在は午前9時半~の第一礼拝の集会の方が空席が14席程と十分あります。第二礼拝は日によっては空席が4~5席の時もあります。空席状況がご心配の方はあらかじめご連絡頂く事をお勧めしております(特に第二礼拝出席時)。なおご連絡頂かなくても、空席があれば、先着順にてご着席可能です。

☆満席時も、なるべくご着席頂けるように対応させて頂きますが、どうしてもスペースに限りがありますし、コロナ感染対策のため、場合によっては、オンラインでのご参加をお願いする場合もございます。その際は、どうぞ、ご了承ください。事前にお電話頂くと確実です(教会の電話 095(870)7200、あるいは牧師直通携帯;080-6322-5554)。

☆引き続き、コロナ対策の為、ご体調のすぐれない方や、コロナの感染がご心配な方は、ご無理はなさらないで、上の方にあります、「礼拝ライブ配信または録画配信」を用いて、ご自宅にて、主なる神様を礼拝頂ければと存じます。その他、ご心配な点等やご質問等ございましたら、どうぞ、お尋ね下さい。

〇教会学校(子ども) 午前9時半~10時頃

〇聖書研究祈り会 毎週水曜日 午前1030分~1130分頃

*各集会は全て無料ですが礼拝では自由献金の時があります(強制ではなく自由です)

「やさしい聖書の学び」(お申し込み随時受付中)*ご都合の良いお時間で聖書を学べます。オンラインでも個別にも対応致します。ご遠慮なくご相談下さい。

*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。


☆彡教会周辺の地図はこちら↓

十一月 第二主日礼拝 

◇礼拝の始まり5分前には心を静めて、静かにお待ちください。

♢コロナ感染対策は、各自で、適宜、お気をつけ下さい。

 

  司会;西田美保子姉、ヒムプレイヤー;後藤 栄子師 

前 奏                             

頌 栄       『あめつちこぞりて』(新聖歌60)          (一同起立)

主の祈り     (週報左下記載)                             

祈 祷                         司会者 (会衆着席)

信仰告白    使徒信条 (週報右下記載)                       

聖 書        ヨハネの福音書4章1~14節(新約181182) 司会者

メッセージ    「人の救いを渇き求める神様」                後藤健一牧

讃 美    「世界の友と」(新聖歌482)            (一同起立)

献金・祈祷                         後藤 栄子師                                                                    

頌 栄      父・ 御子・ 御霊』  (新聖歌63)             (一同起立) 

祝 祷                                 後藤健一牧師

主の祈り

天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ、

み国を来らせたまえ、みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ、

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ、我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ、我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ、

国とちからと栄えとは 限りなく なんじのものなればなり、アーメン。


日本イエス・キリスト教団 信仰告白文 (毎月第一日曜日第二礼拝のみ告白)

 わたしたちは信じて、告白します。旧新約聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた、誤りのない神のことばであり、キリストをあかしし、福音の真理を示すもので、教会の拠(よ)って立つただ一つの正典です。聖書は、わたしたちに、神と救いについての完全な知識を与えるものであり、信仰と生活の規準です。

 主イエス・キリストによって啓示され、聖書にあかしされた唯一の神は、父と子と聖霊の三位一体の神であり、その本質において同一です。イエス・キリストは、神のひとり子であり、わたしたちを罪から 救うために人となり、身代りとなって十字架にかかり、ただ一度、ご自身を完全な犠牲(いけにえ)として神にささげ、あがないを成就されました。その復活は、永遠のいのちの保証です。天に昇られた 主は、キリストの日に至るまで、わたしたちのためにとりなしておられます。

 わたしたちは、神の恵みにより、ただキリストを信じる信仰によって義とされ、罪をゆるされ、神と和解し、新たに生まれて神の子とされます。わたしたちは、キリストの血によって、すべての罪からきよめられ、神のものとされ、聖霊のバプテスマを受け、その内住による全き支配によって、主のかたちに変えられていきます。主は 再び来られ、わたしたちを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて、永遠のみ国をつぐ者とされます。

 教会は、キリストのからだであって、神に召された聖徒の集まりです。教会は、公同の礼拝を守り、主の命(めい)にこたえて、福音を正しく宣べ伝え、聖礼典を執り行ない、聖徒をととのえ、主に仕えつつ愛のわざを励み、主が再び来られるのを待ち望みます。わたしたちは、このように信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白します。

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、 生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。


メッセージ聖書箇所・ヨハネの福音書4114(新約181182)

1パリサイ人たちは、イエスがヨハネよりも多くの弟子を作ってバプテスマを授けている、と伝え聞いた。それを知るとイエスは、2──バプテスマを授けていたのはイエスご自身ではなく、弟子たちであったのだが──3ユダヤを去って、再びガリラヤへ向かわれた。4しかし、サマリアを通って行かなければならなかった。5それでイエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近い、スカルというサマリアの町に来られた。6そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れから、その井戸の傍らに、ただ座っておられた。時はおよそ第六の時であった。7一人のサマリアの女が、水を汲みに来た。イエスは彼女に、「わたしに水を飲ませてください」と言われた。8弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。9そのサマリアの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」ユダヤ人はサマリア人と付き合いをしなかったのである。10イエスは答えられた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに027生ける水を与えたことでしょう。」11その女は言った。「主よ。あなたは汲む物を持っておられませんし、この井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れられるのでしょうか。12あなたは、私たちの父ヤコブより偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を下さって、彼自身も、その子たちも家畜も、この井戸から飲みました。」13イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。14しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」

新日本聖書刊行会翻訳.新約聖書新改訳2017(新改訳聖書センター)(Kindleの位置No.12889-12967).INOCHINOKOTOBASHA.Kindle.


【今日のメッセージの中心聖句】

「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」                   (ヨハネの福音書4章10)


「人の救いを渇き求める神様」ヨハネの福音書4・1~14(新約181182)

 今朝の聖書の箇所も有名なお話の一つで、「サマリアの女性」と呼ばれる箇所です。主イエス・キリスト様の救いのすばらしさが豊かに現されています。

1.一人一人の救いを渇き求める主イエス様(19

この時、主イエス様はユダヤを去って、ガリラヤに行く途中のサマリア地方で疲れを覚えて、井戸の傍らで休んでおられました(56)。サマリアの地域の人たちとユダヤ人とは歴史的経緯の中で不仲でした。それでユダヤ人はわざとサマリアの人たちが住んでいるこの地域を避けて通るほどでした。しかしイエス様はユダヤ人であるのに、「サマリアを通って行かなければならなかった」(4とあります。これは「サマリアを通って行く事が父なる神の御心であった」と理解できる言葉です。それは、この後、イエス様が会話をするこのサマリアの女性の救いを求めての事であり、この地域のサマリアの人々の救いを求めての事でした。

さてイエス様が傍らに座って休んでいたその井戸に、サマリア人の女性が一番暑い正午に、人目を避けて重い水瓶を抱えて水を汲みに来ました。イエス様はそんな彼女に「わたしに水を飲ませてください」とお願いしました(7)。彼女は驚きます。なぜなら①ユダヤ人とサマリア人とは昔から仲が悪かった。②ユダヤ人はサマリア人を宗教的に汚れていると見下していた。③当時ユダヤ教の教師が道端で堂々と女性に声をかける事は非常識。これらの理由から彼女は驚きながら言いました。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」()。「サマリアの女の私に!?」が強調されています。


2.魂の渇きを癒される救い主イエス様(1014

イエス様は驚く彼女の質問にお答えになります。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」(10)。「生ける水」とは水たまり等の「たまり水」に対する「流水」の事です。ここでイエス様が言われている「生ける水」とは飲料水の事ではなく、信じる者に与えられる「永遠のいのち」の事であり、「主との親しいお交わり」の事です。さらには後に教会にペンテコステ以降に臨まれる聖霊なる神をも指し示している言葉(ヨハネ73739)でしょう。

しかし彼女はよくわかっていません。イエス様の与える水は飲料水の事だと思っています。そしてイエス様に対してすぐに水を汲んであげません。「主よ。あなたは汲む物を持っておられませんし、この井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れられるのでしょうか。あなたは、私たちの父ヤコブより偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を下さって、彼自身も、その子たちも家畜も、この井戸から飲みました。」(1112。思えば彼女はこの井戸から生きるためにいつも水を汲んでいました。重労働です。きっと、この井戸の深さのゆえに苦労していたのでしょう。彼女はその苦労を知っていました。「…この井戸は深いのです」は「あなたは汲む物を持っていませんがこの井戸の深さを知っていますか?水を汲むのは大変ですよ!」と言っている様です。さらに「私の先祖はこの井戸を与えたヤコブだ」と彼女は言います。彼女はこの井戸に詳しかった。

しかし彼女は主イエス様を知りません。そんな彼女にイエス様はさらに言われます。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(1314「いつまでも決して渇くことがありません」は「この世に対して決して渇くことがありません」とも訳せます。イエス様は彼女の魂の奥深い所の渇きを全てご存じでした。それはこの世の何かによっては埋め合わせる事ができない、主イエス・キリストにしか埋める事のできない魂の空洞であり、癒す事のできない心の渇きでありました。

「わたしに水を飲ませてください」(7)。これは彼女を救うためのきっかけづくりという事をはるかに超えた、主なる神さまご自身のご真実な熱望です。思えば、これは計り知れない事です。全知全能で、何でも持っている神が、へりくだって、「わたしに水を飲ませてください」と熱望し、お願いするのですから。これは神の渇きの現れです。神様が愛して止まない一人一人の救いを渇き求める神の渇きです。その人でなければ癒せない渇きです。それは「あなたを愛していますよ。私の所に帰ってきて私の心を喜ばせて下さい。あなたでなければできない事ですよ」と言われている様です。主イエス様は全ての人の救いを渇き求めます。

【祈り】主なる神様。私の救いを求めて下さり感謝致します。あなたを信じます。


*メッセージ内容、その他、ご質問、ご意見、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。

―今週の予定―   

☆11月15日(水)聖書研究祈り会 午前10時半~。

☆11月16日(木)こども宿題タイム 午後3時~4時半

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