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2024年3月8日金曜日

3月10日(日)礼拝録画配信 「罪人をそれでも愛する神」 ホセア書1章10~2章1節(旧約1534頁)

 

基本集会のご案内

〇日曜礼拝(毎週日曜日午前)*第一、第二礼拝等のご案内

第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)

*席数は第二礼拝に比べて空席(15席程)は十分あります(駐車場は軽4台or普通車2台程。事前にご連絡頂くと駐車場の空きの確認や予約ができて確実です。どうぞ、ご相談下さい)。空席状況や駐車場がご心配の方はあらかじめご連絡ください。

午前930分~10頃 *終了時間が10時15分頃まで延長する場合もあります。

【ライブ(録画)配信でもご視聴できます】

*回線不具合等により、配信開始が遅くなる場合や配信ができない場合もあります。時折起こる回線不具合の為、第二礼拝、午後礼拝の配信となる場合もございます。あらかじめご了承ください。

*説教者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。

*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。


*【予備】回線不具合時には↓こちらをお試し下さい
(対応に少し時間がかかる場合があります。10分しても復旧しない場合は、
下の方をスクロールして頂くと出てきます、
礼拝プログラムや説教要旨を用いて各自で礼拝をお捧げになられてください。)


第二礼拝 午前1030分~1130分頃

  (お話は第一礼拝よりも詳しくお話します)

☆諸事情により、どうしても上の時間帯での礼拝出席がかなわず、その他の時間帯での個別の礼拝【早朝(例・朝6時~6時半)礼拝、午後礼拝、夕礼拝(午後8時~8時半)等】の時をご希望の方は、ご遠慮なく、事前にご相談ください。なるべく対応させて頂きます。

☆彡 当教会のコロナ対策方針  

各自で適宜お気をつけください。

☆なお席数14席程)が限られています。また駐車場も軽自動車4台分(実質2~3台分)と限られています。ご参考までに、現在は午前9時半~の第一礼拝の集会の方が空席が15席程と十分あります。第二礼拝は日によっては空席が4~5席の時もあります。空席状況がご心配の方はあらかじめご連絡頂く事をお勧めしております(特に第二礼拝出席時)。

(教会の電話 095(870)7200、あるいは牧師直通携帯;080-6322-5554)。

☆引き続き、コロナ対策の為、ご体調のすぐれない方や、コロナの感染がご心配な方は、ご無理はなさらないで、上の方にあります、「礼拝ライブ配信または録画配信」を用いて、ご自宅にて、主なる神様を礼拝頂ければと存じます。その他、ご心配な点等やご質問等ございましたら、どうぞ、お尋ね下さい。

〇教会学校(子ども) 午前9時半~10時頃

〇聖書研究祈り会 毎週水曜日 午前1030分~1130分頃

*各集会は全て無料ですが礼拝では自由献金の時があります(強制ではなく自由です)

「やさしい聖書の学び」(お申し込み随時受付中)*ご都合の良いお時間で聖書を学べます。オンラインでも個別にも対応致します。ご遠慮なくご相談下さい。

*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。


☆彡教会周辺の地図はこちら↓

三月 第二主日礼拝 

◇礼拝の始まり5分前には心を静めて、静かにお待ちください。

♢コロナ感染対策は、各自で、適宜、お気をつけ下さい。

前 奏                             

頌 栄       『あめつちこぞりて』(新聖歌60)          (一同起立)

主の祈り     (週報左下記載)                             

祈 祷                         司会者 (会衆着席)

信仰告白     使徒信条 (週報右下記載)                      

聖 書        ホセア書1章10~21(旧約1534)      司会者

メッセージ    罪人をそれでも愛する神           後藤健一牧

讃 美    「神は汚れたる世人のため」(新聖歌215)    (一同起立)

献金・祈祷                                                                                          

頌 栄      父・ 御子・ 御霊』  (新聖歌63)             (一同起立) 

祝 祷                                 後藤健一牧師

報 告

主の祈り

天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ、

み国を来らせたまえ、みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ、

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ、我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ、我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ、

国とちからと栄えとは 限りなく なんじのものなればなり、アーメン。


日本イエス・キリスト教団 信仰告白文 (毎月第一日曜日第二礼拝のみ告白)

 わたしたちは信じて、告白します。旧新約聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた、誤りのない神のことばであり、キリストをあかしし、福音の真理を示すもので、教会の拠(よ)って立つただ一つの正典です。聖書は、わたしたちに、神と救いについての完全な知識を与えるものであり、信仰と生活の規準です。

 主イエス・キリストによって啓示され、聖書にあかしされた唯一の神は、父と子と聖霊の三位一体の神であり、その本質において同一です。イエス・キリストは、神のひとり子であり、わたしたちを罪から 救うために人となり、身代りとなって十字架にかかり、ただ一度、ご自身を完全な犠牲(いけにえ)として神にささげ、あがないを成就されました。その復活は、永遠のいのちの保証です。天に昇られた 主は、キリストの日に至るまで、わたしたちのためにとりなしておられます。

 わたしたちは、神の恵みにより、ただキリストを信じる信仰によって義とされ、罪をゆるされ、神と和解し、新たに生まれて神の子とされます。わたしたちは、キリストの血によって、すべての罪からきよめられ、神のものとされ、聖霊のバプテスマを受け、その内住による全き支配によって、主のかたちに変えられていきます。主は 再び来られ、わたしたちを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて、永遠のみ国をつぐ者とされます。

 教会は、キリストのからだであって、神に召された聖徒の集まりです。教会は、公同の礼拝を守り、主の命(めい)にこたえて、福音を正しく宣べ伝え、聖礼典を執り行ない、聖徒をととのえ、主に仕えつつ愛のわざを励み、主が再び来られるのを待ち望みます。わたしたちは、このように信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白します。

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、 生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。


罪人をそれでも愛する神ホセア書110~21(旧約15341535)

 今朝はホセア書13章から唯一まことの神様の愛について学びましょう。

1.預言者ホセアとその時代背景について(ホセア1・1)

 著者のホセアは北イスラエル王国出身であると言われています。ホセアとは「ヨシュア」(「主は救い」の意味)の短縮形です。主イエスの「イエス」はヘブル語では「ヨシュア」です。ホセアと主イエスの共通点は名前とその意味と共に、「神の愛」について教えている点と言えましょう。

 ホセアが預言活動した時代については1・1。「ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代」。さらに「イスラエルの王‥‥ヤロブアムの時代」とあります。したがって、ホセアの預言活動の開始時期は、南王国ウジヤ王が前792年頃~前740年頃の間に王である時代で、1・4から北王国イスラエルのヤロブアム2世の死の数年前の前760年頃と言われています。その預言活動の終わりはヒゼキヤ王の治世の開始頃で、北王国滅亡の少し前の前723年頃と推定されます。とすると、ホセアの預言活動の期間は、前760年頃~前723年頃のおよそ40年間と推定されます。

 ホセアが預言活動をした時、ヤロブアム2世が王であった北王国イスラエルは、アラム(シリヤ)の軍事的脅威が取り除かれ、ダマスコとハマテを取り戻し、内政が安定。文化や経済が復興し、急速な物質的繁栄に伴い、上流階級が形成され、貧富の格差が生じます。しかし偶像礼拝が広がり霊性や道徳は低下。やがてヤロブアム2世が死ぬと、政治的無秩序と混乱が生じます。25年間の間に6人の王が闘争と流血により交替。この間、アッスリヤが侵入し北王国は隷属化されます。

北王国の道徳的荒廃をホセア書は記します(6・7~7・7)。その最たるものは霊的姦淫とも言われる偶像礼拝。背教、偶像礼拝、道徳の退廃、信仰の低下、政治的混迷、一貫性のない外交という内憂外患の北王国。ホセアはそんな北王国に対して神の審判と愛を告知。悔い改めをひたすら迫り、その反逆にもかかわらず、神が不変の愛(へブル語でヘセドゥ)で愛し続けている事を伝えます(『新聖書辞典』いのちのことば社「ホセア書」参照)。それはまるで姦淫をする妻を、それでも愛し続ける誠実な夫の様です(1293章、ローマ5・6~8)。

2.罪深いイスラエルの民をそれでも愛する主なる神ホセア書1・1035

21節にて主が『言え。あなたがたの兄弟には、「わたしの民」と。あなたがたの姉妹には、「あわれまれる者」と。』と語られています。1・10~2・1は一つのまとまりです。ヘブル語聖書では1・10から二章が始まるとの事です。ここにイスラエルの救いが述べられています。2・1の「わたしの民」とはヘブル語の「アンミ」。「あわれまれる者」とはヘブル語の「ルハマ」。1章でホセアの妻であるゴメルの生んだ子どもの名前が「ロ・アンミ」で「わたしの民ではない」の意味(1・9)。また、もう一人が「ロ・ルハマ」で「あわれまない」の意味です(1・6)。そのヘブル語の「ロ」という否定の言葉が取られて、「アンミ」(あわれまれる者)、「ルハマ」(あわれまれる者)と言え、と主は言われます。

すなわち、イスラエルとユダの12部族が再び一つとなり(1・11)、互いに契約の用語である「わたしの民」、「あわれまれる者」と呼び合うようになる、との約束、預言なのです。これは1・11の「一人のかしら」として来られる主イエス・キリストの下に「一つに集められ」た、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンである神の民たちを示しているものと思われます。キリストの血によって贖われた、主イエス様を信じる神の民たちで、主イエス様のもとで一つとされて、互いに「わたし(主)の民」、「あわれまれる者」と互いに語り合う様子です。主イエス様の贖いにより、主イエス様を信じる者の罪は赦され、主の民とされる。それは100%、神の恵みと憐みによるのです(エペソ二章参照)。

2・2では主なる神への霊的姦淫の罪である偶像礼拝を悔い改める事を命じます。「…姦淫を取り除け」と。「そうでなければ…」(3)、と悔い改めないならばどうなるのかを明らかにします(2・3~13)。すなわち、偶像礼拝への妨げを何らかの形で主が置き、偶像が与えてくれていると錯覚していた穀物等を主が取り上げる、と。そうならないために「それゆえ」(14)、2・1423にあるように、主は悔い改めの先にある救いと回復へと「誘い」(214。新改訳第三版の訳は「くどいて」)、導くのです。そして罪とその罪の結果による悲惨な状態から、主は救出し、主との相思相愛関係と幸いを回復されるのです(21620)。主はホセアとゴメルの夫婦関係を通してもその事を示します(1293章)。

(祈り)恵み深い主よ。罪人をも愛するあなたの愛を感謝します。私を愛すればこそ、罪からの悔い改めに導いて下さり感謝です。アーメン。出典:©2017 新日本聖書刊行会


*メッセージ内容、その他、ご質問、ご意見、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。

 ―今週の予定―

313日(水)聖書研究祈り会

   午前10時半~。LINEでも参加できます。

  ☆314日(木)こども宿題タイム

    午後3時~4時半頃


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