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2024年6月1日土曜日

【再アップ】5月26日(日)特別伝道礼拝(講師・藪野潤一先生)録画配信、第一礼拝録画配信 *一時的に視聴できなくなっておりました。申し訳ありません。

          

        ☆彡長崎の街並み~ココウォーク観覧車よりパチリ~

基本集会のご案内

〇日曜礼拝(毎週日曜日午前)*第一、第二礼拝等のご案内

第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)*説教者は後藤健一です。

午前930分~10頃 *終了時間が10時15分頃まで延長する場合もあります。

【録画配信をご視聴できます】

*説教者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。

*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。


第二礼拝(特別伝道礼拝) 午前1030分~11時45分頃

 (お話は第一礼拝よりも詳しくお話します)

 お話は特別講師の藪野潤一先生です。

講師の藪野潤一先生のご紹介

和歌山県のお生まれ。同志社大学卒、関西聖書神学校卒。19861993年、 日本イエス・キリスト教団長崎めぐみ教会牧師。その後、同教団アラスカ・キリスト教会牧師、関西聖書神学校舎監・学監、同教団青山台希望教会牧師を経て、現在は同教団放出教会牧師(以上、放出教会HP参照)、同教団大阪教区教区長。また、同教団委員、同教団副委員長を歴任。

【録画配信をご視聴できます】

*説教者、司会者、献金奉仕者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。

*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。




「やさしい聖書の学び」(お申し込み随時受付中)*ご都合の良いお時間で聖書を学べます。オンラインでも個別にも対応致します。ご遠慮なくご相談下さい。

*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。


☆彡教会周辺の地図はこちら↓


    ☆礼拝プログラム *第一礼拝はプログラムを一部割愛

五月第四主日 特別伝道礼拝 

◇礼拝の始まり5分前には心を静めて、静かにお待ちください。

♢コロナ感染対策は、各自で、適宜、お気をつけ下さい。

               司会;後藤健一師

前 奏                             

頌 栄      『あめつちこぞりて』(新聖歌60)               (一同起立)

主の祈り   (週報左下記載)                    (起立)

讃 美(今月の賛美)「主と」(新聖歌431)            (起立)

交読文          イザヤ書4317節(旧約聖書1237ページ) (会衆着席)

祈 祷                              司会者

信仰告白    使徒信条                      (週報右下記載) 

講師紹介 (週報右側参照)                後藤健一牧師

聖 書     マルコの福音書5章1820(新約74ページ)         司会者

メッセージ   「主にいやされて」                        藪野潤一牧

讃 美    「罪深きこの身を」(新聖歌359)           (一同起立)

献金・祈祷                          

頌 栄     父・ 御子・ 御霊』(新聖歌63)                   (一同起立) 

祝 祷                                    藪野潤一牧

報 告                          後藤健一牧師


主の祈り

天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ、

み国を来らせたまえ、みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ、

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ、我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ、我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ、

国とちからと栄えとは 限りなく なんじのものなればなり、アーメン。


日本イエス・キリスト教団 信仰告白文 (毎月第一日曜日第二礼拝のみ告白)

 わたしたちは信じて、告白します。旧新約聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた、誤りのない神のことばであり、キリストをあかしし、福音の真理を示すもので、教会の拠(よ)って立つただ一つの正典です。聖書は、わたしたちに、神と救いについての完全な知識を与えるものであり、信仰と生活の規準です。

 主イエス・キリストによって啓示され、聖書にあかしされた唯一の神は、父と子と聖霊の三位一体の神であり、その本質において同一です。イエス・キリストは、神のひとり子であり、わたしたちを罪から 救うために人となり、身代りとなって十字架にかかり、ただ一度、ご自身を完全な犠牲(いけにえ)として神にささげ、あがないを成就されました。その復活は、永遠のいのちの保証です。天に昇られた 主は、キリストの日に至るまで、わたしたちのためにとりなしておられます。

 わたしたちは、神の恵みにより、ただキリストを信じる信仰によって義とされ、罪をゆるされ、神と和解し、新たに生まれて神の子とされます。わたしたちは、キリストの血によって、すべての罪からきよめられ、神のものとされ、聖霊のバプテスマを受け、その内住による全き支配によって、主のかたちに変えられていきます。主は 再び来られ、わたしたちを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて、永遠のみ国をつぐ者とされます。

 教会は、キリストのからだであって、神に召された聖徒の集まりです。教会は、公同の礼拝を守り、主の命(めい)にこたえて、福音を正しく宣べ伝え、聖礼典を執り行ない、聖徒をととのえ、主に仕えつつ愛のわざを励み、主が再び来られるのを待ち望みます。わたしたちは、このように信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白します。

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、 生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。


「主にいやされて」マルコ5182074) 第二礼拝メッセージ要旨(藪野潤一先生)

ゲラサの人の地方でイエス様らを出迎えた男は騒々しい存在で、墓場や山で大声を上げ続け、からだを石で打ち続けていました。大きな音はまだあります。2000匹もの豚が崖から湖に飛び込みました。突然多くの豚を失った豚飼いたちは大騒ぎ。急いで町や村に行ってこの事件を告げました。何事かと人々は集まってきますが、彼らがそこで見出したのは静けさでした。さっきまで大声を張り上げていたあの男が正気に戻っていたのです。それまでは裸同然の男がきちんと服を着ていました(515)。男はイエス様に一緒に連れて行ってほしいと願い出ます。それに対してイエス様はおっしゃいました。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったのか、どんなあわれんでくださったのかを知らせなさい」(519)と。

1.   悪霊につかれた男―滅びに向かっていた人

(1)死に近い場所にいる―彼は墓場に住んでいました(53)。彼の意識は死の方に向いています。(2)攻撃的である―彼は攻撃の的を自分にも他人にも向けていました。石で自分のからだを傷つけていました(55)。足かせや鎖でつながれていました(54)。そうでないと、暴れて人々に危害を加えるかもしれなかったからです。(3)理性を失っている―彼は大声で叫んだり、服を着なかったりと、理性を失っていました。興奮して暴れまわり、感情を制御することができずに、大声を上げ、衣服を身につけず、墓場を住まいとしていました。(4)悪霊の虜になっていた―悪霊は彼から出て行くためには2000匹もの豚が必要でした。それほどの大きな力が彼を支配していました。悪霊の力は、本来動物がするはずがない自殺行動を強いるほどの大きさでした。もし彼がそのままでいたら、必ず自滅していたことでしょう。しかし彼自身、自分が破滅に向かっていることさえ知ることができませんでした。悪霊の虜になっている人は悪霊の虜であることに気づかないのです。イエス様に出会って初めて自分が悪霊の虜であったことに気づくのです。悪霊は人間に罪を犯させます。しかも罪の恐ろしさを本当に知るのは、自分が罪人だということに気づいた時なのです。

2.イエス・キリスト―滅びの中から救い出す方

(1)イエス様は暗黒の世界に降りて来られた―ゲラサの地は異邦人の地で、そこはユダヤ人にとって暗黒の地、汚れた地、悪が満ちている世界、病める世界と考えられていました。悪霊につかれた男は異邦人の地でも最も闇に包まれている墓場を住みかとしていました。そのような地にイエス様は足を踏み入れられました。(2)イエス様は罪人を救い出された―イエス様は悪霊につかれた男を救おうとされました。イエス様はユダヤ人だけでなく、異邦人をも救おうとされました。とりわけ社会から孤立しているような人を救おうとされました。ところが、悪霊につかれた男はイエス様に助けを求めませんでした。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか」(57)。原文では「わたしはわたし。あなたはあなた」です。「関係ありません」という意味です。「構わないで放っておいてくれ。あなた抜きでやっていきますから・・。」ここに罪の姿が描き出されています。「神様抜きでやっていける。」これが罪の姿です。かつてこの男もそうだったのです。自分で生きてみせると言って家を飛び出したのでしょう。ところが自分の力で生きてみせると言い放った男が自分自身を失っています。墓場でしか生きることができないでいます。自分の力や才覚で生きて見せると大口をたたいた男がこんなに恐ろしい悪霊の虜になっています。ところが、この男をイエス様はお癒しになりました。イエス様はこの男を捕らえていた悪霊を豚に移して解放なさいました。悪霊の名は「レギオン」といいます(59)。ローマ軍の「軍団」を意味します。この男は悪魔の軍団に属していましたが、イエス様によって神様の軍団に移されたのです。神様なしで生きていけると言い放った者が神様を敬い、神様に栄光を帰する者に変えられました。

信じて救われるということは、あなた自身の内に支配者が交代することです。これまで悪霊に支配されていたのが、神様の恵みの支配に入れられるようになることです。その時、あなたは健やかに生きることができます。

【祈り】天のお父様。今日からイエス様を私の主としてお迎えします。こころも、からだも、たましいも健やかにしてください。

*メッセージ内容、その他、ご質問、ご意見、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。

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