説教要旨「御子イエス様の血潮の効力」(ヨハネの手紙第一1章5節~2章2節)
このヨハネの手紙の最大の関心事は、この手紙の読者である、「愛する」信仰者たちを守り、クリスチャンとしての信仰と生き方を堅固なものにしようとする事でした。それは当時、誤った教えが教会を惑わしていたからでした。その教えは、イエス・キリストが神であると同時に完全に人間であることを否定する教えでした。「人間の外観をとっているが見せかけで、人間のように思えたのだ」という異端的教えだったのです。ですから、ヨハネは、人となられた神であるイエス様をよく観察した、その肉声を聞いた、さらによくさわった、とまで言うのです。これによって異端的教えの偽りを示すのです(1~4)。
さらに、5節。「私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです」とあります。主なる神のご性質は「光」と表されるように、悪や不義と対比される完全なきよさであり、義と愛を示します。そして、道徳的内容を含む真理そのものである聖なる神の真理の光です。この聖なる主の栄光の前に出る時に、己の罪に気づくのです。使徒ヨハネはこのように示しつつ、身体の行いで罪を犯し続けても精神は汚れない、という偽りの教えをする者たちの誤りを示します。6節。「もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません」と。神のご性質はきよさ。なのに、この神と交わりがあるのだと言いながら、もし「闇の中を歩んでいる」、すなわち、習慣的に罪を犯し続けながら、罪を認めず、悔い改めないなら、それは真理を行ってはいない、とその偽りの教えの誤りを指摘するのです。
そして7節で真理を伝えます。「もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます」。「神は光」です。この神と交わりをもつとは、神の前に誠実に神と共に生きるという事です。そのためには自分の罪のために身代わりに十字架で血を流し死なれた主イエス様を信じる必要があります。そして主イエスの血によって罪からきよめて頂きながら生活するのです。さらに、イエス様を信じて歩む者同士も神の光の中で共に歩む中で、主にあって互いに愛し合う、きよい愛の実を結んでいくのです。
さて、使徒ヨハネは8節でも、罪はないと主張する偽りの教えの間違いを示し、9節で真理を示します。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」。きよい神の光の御前に自分の罪を認めて、主イエス様を信じるなら、神はその罪を赦し、すべての悪と不義から信仰者をきよめて下さるのです。その罪の赦しときよめは、どこまでもイエス様が十字架ですべての人の罪を背負い、身代わりに血を流し、死んだ事を根拠とします(7)。
一方で、2・1~2で「どうせ赦される」と罪を甘く見る誤り(1a)や、「罪を犯したら復帰できない」という厳格過ぎる誤りも正します(1b)。
【祈り】主よ。イエス様の十字架の血による罪の赦しときよめを感謝します。
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