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2025年11月1日土曜日

2025年11月2日(日)第一礼拝配信 マタイの福音書18章1~5節(新約聖書p36) 「小さい子どものように主なる神様を信頼する」 

 


説教要旨「小さい子どものように主なる神様を信頼する」マタイ1815節(新約36)

 本日は子ども祝福式です。今一度、子どもたちを愛されたイエス様に心を向けたいと思います。イエス様の受難予告の後、弟子たちはお互いの間で誰が一番偉いか?と議論し、イエス様に尋ねます。1節。「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか」。この問いに対するイエス様の答えが2~5節です。

1.天国に入るためには?(23)

 まず2~3です。イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、こう言われた。「まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。。ここで、イエス様は、「自分が一番偉い」とお互いがはりあって、お互いを支配しようといた弟子達に対し、幼い子を呼び寄せて御自分の側で真ん中に立たせ、「向きを変えて」つまり「悔い改めて」、「心を入れ替えて」、「子どもたちのように」ならないならば、天の御国で一番になるどころか、その天の御国に入ることさえできないよ、と言われたのです。一体どういうことでしょうか。「小さい子ども」は保護者に頼って生きています。一人では生きていけない弱くて小さい存在です。いばろうにもいばれません。もちろん、小さい子も罪びとですので、わがままな心はもっていますが、彼らは自分の弱さ、小ささを体験的に知っていて、保護者が必要である事を知っているのです。

さて「天の御国」とは神様の恵みの支配の事を表します。天国の王様は天の父なる神様であり、その御子イエス様です。この幼な子のように、主に保護してもらわなければ(救ってもらわなければ)自分では生きていけない、その事を自覚している人こそ、イエス様により頼み、イエス様の愛と恵みの支配を心から受け入れ、そして天国に入るのです。一方で「自分が一番偉い」と思い込んで、他の人を支配しようとする心は、天の御国においてふさわしくありません。それは天の御国の王である主の御支配に反する事だからです。

ですから「自分が一番偉い」と思って、ほかの人を支配しようとする心の向きを変えて、そういう生き方、考え方を変えて、そして、幼な子のように、自分の無力、自分の罪深さ、神の前に自分の力では到底立ちえない、立場無き身であることを素直に認めて、悔い改めて、イエス様の前に自分を低くする事が必要です。そして、ただイエス様の愛と恵みの支配(救い)に寄りすがって救って頂く事が、そもそも、天の御国で生きるために、全ての人、全てのキリストの弟子に必要不可欠な事なのです (3、参照;ルカ151124)

2.天国で一番偉い人は?(4)

 さらにイエス様は弟子たちの質問に答えます。4節。「ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。自分の無力さ、立場の無さを認め、素直に、イエス様の愛と恵みの支配を受け入れる人が天国に入ります。天国はそういう人達の国なのです。そういう人たちは、イエス様を王様としている人です。神の前に、子どものようにへりくだる人です。そして、イエス様に信頼して従う人です。そういう人は謙遜な人になります。なぜなら、イエス様が謙遜な方だからです。イエス様こそ十字架の上で私達の全ての罪と汚れと呪いを背負い、父なる神から身代わりに罰を受けて一番自分を低くして下さった(劣った地位を受け入れた)方で、天国で一番偉いのです。私たちはこのお方に倣い聴き従うべき存在なのです。

3.イエス様を真ん中にして、子どもを含めて、おたがいを大切に(5)

さらにイエス様は言われました。5節。また、だれでもこのような子どもの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。。ここで、「このような子ども」とありますが、これは悔い改めて、こどものように自分の無力を認めて、イエス様を王様として心に迎えたキリストの弟子の事です。キリストの弟子は、自分の罪深さを認め、神の前に自分の力では立てない事を認めて、自分の小ささを認めています。へりくだっています。ですから、この世においては軽んじられたりしやすいでしょう。しかし、イエス様を心の王座にお迎えしている人なのです。ですから、このような、幼な子のようにイエス様を心の王座にお迎えしている人を、イエス様の名のゆえに受け入れる人は、イエス様を受け入れるのです。主にある兄弟姉妹、互いに主を中心にして、愛し合う事が大切であることを教えられます。

(祈り)主よ。私たちは皆、幼子のように弱く小さい者です。ただあなたの恵みによって生かされ、主イエスを信じて救って頂いた恵みを感謝致します。私達も主イエス様に倣って生きられますように。アーメン。出典:©2017 新日本聖書刊行会



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