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2023年9月30日土曜日

10月1日(日)礼拝録画配信「あなたをいつも愛する父なる神」ルカの福音書15章11~24節(新約聖書149~150ページ)

 


基本集会のご案内

〇日曜礼拝(毎週日曜日午前)*第一、第二礼拝等のご案内

第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)

*席数は第二礼拝に比べて空席(14席程)は十分あります(駐車場は軽4台or普通車2台程。事前にご連絡頂くと駐車場の空きの確認や予約ができて確実です。どうぞ、ご相談下さい)。空席状況や駐車場がご心配の方はあらかじめご連絡ください。

午前930分~10頃 *終了時間が10時15分頃まで延長する場合もあります。

【ライブ(録画)配信でもご視聴できます】

*回線不具合等により、配信開始が遅くなる場合や配信ができない場合もあります。時折起こる回線不具合の為、第二礼拝、午後礼拝の配信となる場合もございます。あらかじめご了承ください。

*説教者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。

*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。




*【予備】回線不具合時には↓こちらをお試し下さい
【少し時間がかかる場合があります】

第二礼拝 午前1030分~1130分頃

  (お話は第一礼拝よりも詳しくお話します)

☆諸事情により、どうしても上の時間帯での礼拝出席がかなわず、その他の時間帯での個別の礼拝【早朝(例・朝6時~6時半)礼拝、午後礼拝、夕礼拝(午後8時~8時半)等】の時をご希望の方は、ご遠慮なく、事前にご相談ください。なるべく対応させて頂きます。

☆彡 当教会のコロナ対策方針  

特に高齢者等リスクの高い方への配慮のため、会堂内のマスク着用の推奨(強制ではありません)、アルコール消毒、換気、密閉、密集、密接を避ける等を引き続き実施します。

☆なお3密防止のため席数14席程)が限られています。また駐車場も軽自動車4台分(実質2~3台分)と限られています。ご参考までに、現在は午前9時半~の第一礼拝の集会の方が空席が14席程と十分あります。第二礼拝は日によっては空席が4~5席の時もあります。空席状況がご心配の方はあらかじめご連絡頂く事をお勧めしております(特に第二礼拝出席時)。なおご連絡頂かなくても、空席があれば、先着順にてご着席可能です。

☆満席時も、なるべくご着席頂けるように対応させて頂きますが、どうしてもスペースに限りがありますし、コロナ感染対策のため、場合によっては、オンラインでのご参加をお願いする場合もございます。その際は、どうぞ、ご了承ください。事前にお電話頂くと確実です(教会の電話 095(870)7200、あるいは牧師直通携帯;080-6322-5554)。

☆引き続き、コロナ対策の為、ご体調のすぐれない方や、コロナの感染がご心配な方は、ご無理はなさらないで、上の方にあります、「礼拝ライブ配信または録画配信」を用いて、ご自宅にて、主なる神様を礼拝頂ければと存じます。その他、ご心配な点等やご質問等ございましたら、どうぞ、お尋ね下さい。

〇教会学校(子ども) 午前9時半~10時頃

〇聖書研究祈り会 毎週水曜日 午前1030分~1130分頃

*各集会は全て無料ですが礼拝では自由献金の時があります(強制ではなく自由です)

「やさしい聖書の学び」(お申し込み随時受付中)*ご都合の良いお時間で聖書を学べます。オンラインでも個別にも対応致します。ご遠慮なくご相談下さい。

*その他、ご質問、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。


☆彡教会周辺の地図はこちら↓

十月 第一主日礼拝

◇礼拝の始まり5分前には心を静めて、静かにお待ちください。

♢コロナ感染対策は、各自で、適宜、お気をつけ下さい(コロナ再流行中)。

  司式;後藤健一師、ヒムプレイヤー;後藤栄子師 

前 奏                            

頌 栄       『あめつちこぞりて』(新聖歌60)              (起立)

主の祈り     (週報左下記載)                             

祈 祷                           司会者 (着席) 

信仰告白 日本イエス・キリスト教団信仰告白(別紙)&使徒信条 (週報右下記載)                 

聖 書  ルカの福音書151124新約聖書149150ページ)   司会者

メッセージ  「あなたをいつも愛する父なる神」      後藤健一牧師

聖 餐    『しみも咎(とが)も』(新聖歌49)   司式;後藤健一牧師

                        配餐補佐;西田美保子役員

讃 美    「驚くばかりの」(新聖歌233)             (起立)                                              

献 金                           井手口泰典兄                                                                    

頌 栄      父・ 御子・ 御霊』  (新聖歌63)                (起立) 

 祷                                 後藤健一牧師

 

主の祈り

天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ、

み国を来らせたまえ、みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ、

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ、我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ、我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ、

国とちからと栄えとは 限りなく なんじのものなればなり、アーメン。


日本イエス・キリスト教団 信仰告白文 (毎月第一日曜日第二礼拝のみ告白)

 わたしたちは信じて、告白します。旧新約聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた、誤りのない神のことばであり、キリストをあかしし、福音の真理を示すもので、教会の拠(よ)って立つただ一つの正典です。聖書は、わたしたちに、神と救いについての完全な知識を与えるものであり、信仰と生活の規準です。

 主イエス・キリストによって啓示され、聖書にあかしされた唯一の神は、父と子と聖霊の三位一体の神であり、その本質において同一です。イエス・キリストは、神のひとり子であり、わたしたちを罪から 救うために人となり、身代りとなって十字架にかかり、ただ一度、ご自身を完全な犠牲(いけにえ)として神にささげ、あがないを成就されました。その復活は、永遠のいのちの保証です。天に昇られた 主は、キリストの日に至るまで、わたしたちのためにとりなしておられます。

 わたしたちは、神の恵みにより、ただキリストを信じる信仰によって義とされ、罪をゆるされ、神と和解し、新たに生まれて神の子とされます。わたしたちは、キリストの血によって、すべての罪からきよめられ、神のものとされ、聖霊のバプテスマを受け、その内住による全き支配によって、主のかたちに変えられていきます。主は 再び来られ、わたしたちを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて、永遠のみ国をつぐ者とされます。

 教会は、キリストのからだであって、神に召された聖徒の集まりです。教会は、公同の礼拝を守り、主の命(めい)にこたえて、福音を正しく宣べ伝え、聖礼典を執り行ない、聖徒をととのえ、主に仕えつつ愛のわざを励み、主が再び来られるのを待ち望みます。わたしたちは、このように信じ、代々の聖徒と共に、使徒信条を告白します。

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、 生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。


メッセージ聖書箇所・ルカ151124(新約149150)

11イエスはまた、こう話された。「ある人に二人の息子がいた。12弟のほうが父に、『お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい』と言った。それで、父は財産を二人に分けてやった。13それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった。14何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。15それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。16彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。17しかし、彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。18立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。19もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』20こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。21息子は父に言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』22ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。

23そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。24この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』こうして彼らは祝宴を始めた。

新日本聖書刊行会翻訳.新約聖書新改訳2017(新改訳聖書センター).INOCHINOKOTOBASHA.Kindle.

【今日のメッセージの中心聖句】

・・・それで、父は財産を二人に分けてやった。  ルカの福音書1512節


「あなたをいつも愛する父なる神」ルカの福音書151122(新約149150)

 今朝の聖書の箇所はキリストの有名なたとえ話です。わかりやすくも深遠です。

1.イエス様のたとえ話(15110

ある時、他のユダヤ人から「罪人」と呼ばれて嫌われている人たちがイエス様の話を聞きにきました。イエス様は彼らを受け入れ一緒に食事をしました。律法学者、パリサイ人と呼ばれる当時のユダヤ教の宗教指導者たちは、イエス様のこの行動を非難しつぶやきます。そこでイエス様は①100匹の羊と羊飼いのたとえ、②10枚の銀貨と婦人のたとえ、そして、③二人の兄弟と父親のたとえのお話をされました。有名な「放蕩息子」のたとえ話です。このようなお話です。

2.放蕩息子とその父親のたとえ話(1122

ある人に二人の息子がいました(11)。弟息子は自分の相続財産分を父に要求します。父親は財産を二人に分け与えます(12)。しかし弟息子は父親の財産を換金して遠い外国に出て行きます(13)。しかし、そこで財産を湯水のように使い果たして死にそうになるのです(1316)。その時、この人は幸いにも本心に立ち帰りました。1719節。彼は我に返って言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」』」

彼はこのように決心して父の所に帰ります(20)。すると何と父親がその息子を目がけて走り寄ります。しかし父親は怒るどころか、彼をかわいそうに思って、その息子を抱きしめ、何度もその首に口づけするのです(20)。弟息子は驚愕したことでしょう!そして父に言おうと思っていた事を父に言います。21節。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。』…。そして、息子が雇い人の一人にしてください。」と言おうとしたその時!父親は僕たちに言いつけます(2224)。『急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』。その言葉の通り父親は急いで息子を息子にふさわしく装うのです。そして息子の帰りを心から喜んで、最高のごちそうをもって祝宴をします(24)。

 息子としては父親の前に「自分は息子と呼ばれる資格はない」と思っていました。でも父親はそうは見ていません。息子はどんなに落ちぶれても息子なのです。そのように私たちがどんなに罪深く、自分は神様に愛される資格なんかないと思い込んでいても、神様の方では大切な愛する息子、娘として見ておられるのです。

「食べて祝おう」は原語では受身形ですから「食べてみんなで祝わせてもらおう!」というニュアンスでしょう。息子はお父さんの相続財産ばかり見ていましたが、お父さんは息子自身を見ているのです。息子が喜び、息子が楽しみ、息子が帰ってきたから喜びたい、祝いたいのです。自分で自分を喜べない弟息子。この後、出てくる兄も弟の帰りを喜べない。それほどに落ちぶれて帰ってきた弟息子を父親は喜びました。「私にお前の事を喜ばせてくれ!お前の帰りを私にお祝いさせてくれ!」という父親の喜びの叫びです!これは神様の一方的な無条件の愛を表しています。父なる神様はいつも、あなたという存在そのものを無条件で愛し、あなたの思いや考えをはるかに超えて、あなたを愛しておられます。

さて、この父親の財産(12)は何を意味するのでしょうか。「身代」とも訳されるこの財産。父親の存在から出て来たものです。父親はその「身代」を弟息子に分け与えました。この父親は神を表しています。神は全てをお見通しです。父親は弟息子の今後を見通した上で、あえて、身代を分けて与えたのです。それは弟息子が自分から離れていっても、彼に寄り添う父の愛ではないでしょうか。

父なる神様は全ての人が神に立ち帰って来る事を心待ちにしておられます。帰ってきたら、父なる神様の喜びはものすごい喜びです。そして父なる神様のみもとに帰る一本道こそ唯一の救い主イエス・キリスト様です(ヨハネ14・6)。主イエス様は私たちの罪を身代わりに背負って十字架で死なれました。父なる神は最愛の息子を犠牲にされました。これにより、主イエス様を信じる者が父なる神様に受け入れられるようにして下さいました。主イエス様は父なる神様の御許からお迎えに来られました。主イエス様に信頼して父なる神様の御許に参りましょう。

【祈り】天の父なる神様。あなたが私を常に愛して下さっている事を感謝致します。


*メッセージ内容、その他、ご質問、ご意見、ご相談などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。

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