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2022年7月20日水曜日

7月24日(日)礼拝録画配信&説教要旨「旧約聖書を成就するキリスト」マタイの福音書5章17~18節


           教会の花壇にひまわりが咲きました。

礼拝録画配信

*視聴される方は↓の写真をクリックしてください。「youtubeで見る」という文字が写真内に出た場合はそちらをクリックしてください。

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七月第四主日礼拝

◇礼拝の始まり5分前には心を静めて、静かにお待ちください。

♢讃美歌は心を込めつつ、声は小さめに歌いましょう(コロナ感染対策)。 

 

前 奏                            

頌 栄       あめつちこぞりて(新聖歌60・ゴスペル2)          (起立)

主の祈り     (週報左下記載)                             

祈 祷                           司会者 (着席) 

信仰告白      使徒信条(週報右下記載)        

聖 書      マタイの福音書5章17~18節(新約p7)         司会者

メッセージ  旧約聖書を成就するキリスト               後藤健一牧師

讃 美    人びとはイエスの教えを(新聖歌362)          (起立)                                              

献 金                                                                                   

頌 栄      父・ 御子・ 御霊  (新聖歌63・ゴスペル3)            (起立) 

 祷                                     牧師

*交読文は割愛し、讃美歌も減らしております(コロナ感染対策)

主の祈り

天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ、

み国を来らせたまえ、みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ、

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ、我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ、我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ、

国とちからと栄えとは 限りなく なんじのものなればなり、アーメン。


使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、 生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。


メッセージ聖書箇所・マタイの福音書5章17~18節(新約p7)

17 わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。

18 まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。

©2017 新日本聖書刊行会


【今日の中心聖句】

 「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです」(マタイ福音書5章17節)


旧約聖書を成就するキリスト」マタイ5章17~20節(新約7頁)

 今朝もイエス・キリスト様の山上の説教に聴き、学びましょう。

1.これまでのあらすじ

マタイ5・17~20はイエス様の有名な山上の説教の中の一部です。1~12節ではキリストの弟子の特質と幸いについて見ました。しかし、その弟子の特質さの故に時に迫害も起こりうる事を見ました。しかし聖書の教える「義」すなわち「神との正しい関係、救い、きよさ、神ご自身」の為に受ける迫害は、神の国の民である事の証拠であり、神は天において報いを備えて下さっているから、大いに喜ぶべきである事を確認しました。13~16節では、その弟子の特質と幸いの故に、この世の人々と異なる側面もありますが、その異質性は押し殺されるべきものでなはなく、むしろ塩の様にこの世の腐敗を防止し、世に良い影響を与え、光の様に世の闇を照らし、救い主イエス・キリストの光を反射し輝かせる存在であり、その弟子の特質は失ってはならない事を見ました。

2.旧約聖書を成就するために来られた主イエス・キリスト様(1718

 ここで少し話が変わります。さらにイエス様が語られます。17節。「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです」「律法と預言者」という表現はユダヤ人が旧約聖書全体を意味する時の呼び方でした(R・T・フランス)。「律法」とは律法全体を意味します。律法は主なる神様がイスラエル民族に与えられたもので、道徳律法、司法律法、儀式律法に分けられます。道徳律法はモーセの十戒に代表される道徳的大原則の事です。司法律法とは特定の環境に置かれていた当時のイスラエル民族に与えられた法律です。儀式律法とは神殿や礼拝に関するすべての礼典や儀式に関するものです。「預言者」とは旧約聖書の預言的文書の中に語られている全てを意味します。預言者は実際に律法を教え、これを適用し、解釈しました。預言者は民の律法違反を指摘し、律法の真の理解に立ち帰らせる事に尽力しました。さらには、やがて来るメシヤ(キリスト)の到来を予告したのです(D・M・ロイドジョンズ)。

「成就する」については、J・ウェスレーという教会の指導者は「この場所において主が意味しておられることは…私は…その十分さにおいて確立するために来た、私はその中の暗く、不明瞭な事をすべて十分に、明瞭に、明らかにするために来た、私はその各部分の真の、十分な意味を宣言するために、すなわち、そこに含まれているすべての誡めの長さと幅、全範囲及び高さと深さ、そのすべての部分の想像し得ぬきよさと霊的性格さとを示すために来た、という事である」と述べています。またロイドジョンズは「実行する、それに完全に従うという意味で成就するということである。律法と預言者に語られていることを一つ残らず文字どおり実行するということである」と述べています。さらに、R・T・フランスは「約束されていたものが、存在するようになったという意味」と述べ、「旧約聖書が待ち望んでいたことを、イエスは実現しつつあった。イエスの教えは旧約聖書の啓示を超越するであろう。しかし、イエスの教えが旧約聖書を廃棄することはありえず、むしろ旧約聖書が意図していたことの頂点となるのである。」と述べています。

例えるならば、富士山の頂上が雲で隠れていた所が晴れると頂上が見えるように、旧約聖書という山はイエス・キリストによって頂上まで完全に明らかにされ、成就され、実現されたという事でしょう。しかし主イエス・キリスト様は決して旧約聖書と別物として、別の山として来られたのではなく、旧約聖書に示されてきた神の御心を明らかにし、成就し、実現し、旧約聖書の啓示を超えた、主の啓示の山頂を主イエス・キリストは示されたのです。

 さらに主イエス様は続けます。18節。原語から直訳で私訳すると「(なぜなら)まことに、あなたがたに言うが、天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはないからです、(律法の)すべてが実現するまでは」。すなわち「律法の極細部分さえも一つ残らず、絶対的に、全面的に成就するまでは、天地は滅びない。」と主は宣言しておられるのです(ロイドジョンズ)。したがって、旧新約聖書において啓示されてきた神の御心は必ず実現するのです。それから、今の世の終わりが来るのです。しかし聖書にあるように、主イエス・キリスト様を信じる者は救われ、今の天地が終わった後に来る、新天新地において、栄光のからだで、永遠に生きるのです。

(祈り)主よ。もっと旧新約聖書に親しみ、主の御心を悟らせて下さい。アーメン。

*メッセージについて、ご質問などございましたら、メールやお電話にてお尋ねください。【ご連絡先】☎095(870)7200 または 📲080-6322-5554(牧師直通電話) e-mail nagasakimegumich@gmail.com まで。

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