☆彡あさがおが咲きました
第一礼拝(お話は第二礼拝よりも短めです)午前9時30分~10時頃
*回線不具合等により、配信開始が遅くなる場合や配信ができない場合もあります。あらかじめご了承ください。先週は音声が小さく申し訳ありませんでした。
*説教者のみを撮影して配信しています。会衆は映りません。
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七月第五主日礼拝順序
◇礼拝の始まり5分前には心を静めて、静かにお待ちください。
♢讃美歌は心を込めつつ、声は小さめに歌いましょう(コロナ感染対策)。
前 奏
頌 栄 あめつちこぞりて(新聖歌60・下記載) (起立)
主の祈り (下記載)
祈 祷 司会者 (着席)
信仰告白 使徒信条(下記載)
聖 書
マタイの福音書5章19~20節(新約p7)
司会者
メッセージ 「イエス・キリスト様を信じて与えられる神の義」後藤健一牧師
讃 美 信ずる者は何びとも(新聖歌244・下記載) (起立)
献 金
頌 栄 父・ 御子・ 御霊 (新聖歌63・下記載) (起立)
祝 祷 牧師
*交読文とSGは割愛し、讃美歌も減らしております(コロナ感染対策)
主の祈り
天にまします我らの父よ、ねがわくはみ名をあがめさせたまえ、
み国を来らせたまえ、みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ、
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ、我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ、我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ、
国とちからと栄えとは 限りなく なんじのものなればなり、アーメン。
使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、 生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。
【今日の聖句】
「しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。」 (ローマ人への手紙3章21、22節)
【聖書箇所】
19 ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。
20 わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。
【説教要旨】
「イエス・キリスト様を信じて与えられる神の義」マタイ5章19~20節(新約7頁)
1.これまでのあらすじ (7月30日改訂)
マタイ5・19~20は、主イエス様の有名な山上の説教の中の一部です。マタイ5・1~12節ではキリストの弟子の特質と幸いについて見ました。5・13~16節では、その弟子の特質と幸いの故に迫害があっても、その弟子の特質と幸いは押し殺されるべきものではなく、むしろ、塩のようにこの世の腐敗をとどめ、光の様にこの世の闇を照らし、この世に良い影響を与えるために神が用いられる、という事を見ました。
5・17~18節では、主イエス・キリストは決して新興宗教を始めたのではなく、旧約聖書において示されてきた「神の御心」を明らかにし、成就・実現し、神の約束を実現し、その教えの頂点を示されたという事を見ました。旧約聖書は唯一真の神の霊に導かれた神のしもべ達を通して啓示され続け、伝統的には紀元前15世紀頃に生きたモーセ(前1525~1405)から紀元前5世紀後半の預言者マラキ(?~前420年頃)までは、およそ1000年に及びます。多くの神のしもべ達を通して啓示されたのですが、矛盾せず、その真の著者は神ご自身です。そして紀元前5世紀後半頃に完結します。
そしてマタイ5・18にて、旧約聖書において啓示された神の御心は必ず実現するという事を見ました。そして、主イエス・キリスト様は旧約聖書に示された神の御心を誤りなく、明確に解き明かして教え、旧約聖書に記された神の約束を実現・成就するために来られた、唯一真の救い主なのです。ですので、決して、イエス様は旧約聖書と矛盾する教えを教えたのでもなければ、旧約聖書と異なる別の教えを新しく始めたのではないのです。
2.天国に入る人、天国で偉い人(19~20)
ですので、主イエスは続く19節にて「ですから…」と語られました。「ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。」。主イエス様は先に見たように、旧約聖書に記される神の御心、み教え、ご命令を実行し、その約束を実現するために来られ、完全に実行、成就、実現されました。ですから主イエス様にこそ聴き、学び、信頼して倣い従い、神の御心と教え、ご命令を適切に守り行い、教える事が神の御心なのです(参照マタイ11・28~、へブル12・2)。神はその人に天国で最善に報いられます(19)。
一方、19節に続けて主イエス様は誤った教えから弟子を守ります。20節。「わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。」。当時、律法学者は旧約聖書を教え、パリサイ人はその教えを守ろうとします。彼らは旧約聖書にまつわる613の戒律を勝手に形成し、それらの戒律を守る事で「義」を獲得して救われると考えます。その結果、偽善に陥り、人々の生活をがんじがらめにしてしまい、その戒律を守れていない人たちを「罪人」と断罪して見下し、宗教共同体から排斥してしまったのです。しかし主イエス様は、そういうパリサイ人や律法学者の自己義認と偽善を批判し、それらの自分達の宗教的努力でこしらえた「自己の義」では救われない、天国には入れない、という事を示されます(参照;ルカ18・9~14)。
ではどうすれば天国に入れるのでしょうか?それは、ただ主イエス・キリストを信じる信仰による「義」によってのみ天国に入る事ができます。その信仰による「義」とは、主イエス様がすべての人を救うために備えて下さった「神の義」です。すなわち旧約聖書を完全に実行し実現し成就して下さった主イエス・キリスト様が、「律法」を完全に守る事がどうしてもできない全ての人間のために、十字架において身代わりに、人類のすべての罪・汚れをその身に背負い、完全にきよく正しい唯一まことの父なる神の怒りの刑罰を身代わりに受けて下さったのです。これにより、罪を認めて主イエス・キリスト様を信じる者は「神の義」を着せられ、罪赦され義と認められて天国に入るのです(ローマ3・21,22等)。この「神の義」こそ、律法学者やパリサイ人の「自己の義」に勝る「義」です。天国で「最も小さい者」(19)でも、律法学者やパリサイ人の「自己の義」にまさる、「神の義」によって天国に入ります。さらに聖霊によって「自己の義」にまさる神の愛の実を結ぶのです。
(祈り)主よ。「神の義」によって天国に入れて、愛の実を結ばせて下さい。アーメン。
―今週の予定―
☆8月3日(水)聖書研究祈り会10:30am
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